京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

元三大師 

2021年05月31日 09時15分00秒 | 日記
 良源は"元三大師"と通称名で呼ばれる事が多く、正月三日に亡くなられた事からそう呼ばれ事が多いです。

平家時代の高僧で比叡山延暦寺の第18代天台座主にまでなられ、承平5年(935)の大火で根本中堂をはじめ多くの伽藍をうしないます。
焼失した堂宇の再建し、根本中堂を今の規模に建て直したりし、現在の伽藍の姿に復興し、"比叡山中興の祖"とされます。





また、"おみくじ"の発明者てしても知られ、比叡山横川にある元三大師堂の前には石碑が建っています。



また良源は「角大師」としても有名な方で「元三大師縁起」によると良源は夜叉の姿に化して鬼や疫病を駆逐されたそうです。








角大師の護符は毎年正月に売り出され、比叡山の麓の家や京都の家に貼られる習慣が今も残っています。







今回、JR東海「そうだ 京都、行こう。」で三ヵ寺の御朱印を授与して頂く企画があり今月29日に廬山寺を訪ね、漸く三ヵ寺の御朱印が揃いました。

少しでも早い新型コロナの終息を祈るばかりです。

京懐石でまなぶ大人のたしなみ第7弾 ちもと

2021年05月31日 07時47分00秒 | 日記
 5月29日はメルパルク京都カルチャールーム主催の表題の講座に参加させて頂きました。





会場は西石垣(さいせき)通四条下ル(東華菜館の南側)にある京料理の名店「ちもと」さんです。







江戸時代享保3年(1718)創業の老舗だけに調度品にも"京都"を感じます。


5月の紫陽花や花菖蒲、杜若が眼に浮かぶお着物です。



11時30分の集合の後、日本舞踊西川流の師範・西川影戀(えいれん)先生から"京の正月・節分祭・年中行事についての講義がありました。


レジュメに一月があるのは、当初は1月23日に開催される予定だった講座ですがコロナ禍の中、延び延びになっていました。

西川先生も開催を随分と迷われたようですが政府が定めたガイドラインを守り開催のはこびとなりました。



京都は"千年の都"だけに宮中を初め公家社会の慣習が今も色濃く残っています。

例えばお正月には大福茶や花びら餅を、6月の夏越の祓には水無月を食する文化が残っているのはほんの一例に過ぎません。

また、寺院や神社でも多くの法要や神事が一年を通して行われ、毎日、どこかで法要や神事、お祭りが行われているのが"京都"です。


約40分の講座でしたが大変、勉強になりました。

ふたり目の楽しめの京懐石です。





















さすがに京料理の名店だけあり、どの料理も品質の良い素材が使われているのが素人でも感じられます。
味付けも奇を衒(てら)わずにず正統派のお料理です。
椀物の出汁の味と風味は京料理の真骨頂ですね。

長芋のグラタンがこの日一番のお気に入りでした。

最後のお楽しみは西川先生の舞と先斗町の舞子・市琴さんの舞です。









舞の事は全くの素人ですが、いつも所作の機敏さや足の動き、特に指先の動きを見ています。
美しさを感じます。









続いて市琴さんの舞です。
定番の"祇園小唄"と"先斗町小唄"を踊られました。
先斗町の舞子さんなので流派は歌舞伎で有名な「尾上流」です。







最後に金屏風の前で写真を撮って頂きました。







承天閣美術館 若冲と近世絵画

2021年05月30日 06時40分00秒 | 日記
 相国寺を拝観の後、すぐ東側に隣接している承天閣美術館に来ました。







禅宗寺院らしく清掃の行き届いたアプローチが続きます。











かえでの新緑と共に庭園の景石も楽しめます。

相国寺は伊藤若冲との関わりが深く、多くの若冲作品を所蔵しています。



第一章は「作品を通じた相国寺の僧侶と絵師たちの交流の軌跡」がテーマです。 



中央には若冲の代表作「釈迦三尊像」が展示されています。
1765年に「動植綵絵」のうち30幅と共に相国寺に寄進された絵で両親や兄弟の、また、自分自身の永代供養を願うものでした。

その後、明治維新で経済状況が困窮しやむなく「動植綵絵」は皇室に献上されましたがこの「釈迦三尊像」は維持され相国寺の大事な法要の時には飾られてきました。



原在中筆による杉戸絵「白象図」です。

京都中心部を焼き尽くした天明の大火(1788)後に再建された諸堂を彩った障壁画や襖絵、杉戸絵が展示されています。




ここから第三章は「相国寺派寺院を彩ってきた絵師達の個性あふれる名品」です。

やはり圧巻は鹿苑寺金閣大書院五十面です。
若冲が世に出たデビュー作品で重要文化財に指定されています。

その他、与謝蕪村筆の慈照寺方丈障壁画の内、上官之間に描かれた「山水人物図」などが展示されています。




若冲と同時代に活躍した円山応挙の作品も多数展示されています。
写生を重視した応挙の画風はやがて円山派の絵師達により受け継がれて行きます。
応挙の観察眼の凄さが伝わってきます。



美術館に御朱印が登場しているのには驚きですね。




仙太郎のみなづき

2021年05月29日 22時02分00秒 | 日記
 "水無月"と言えば6月30日の"夏越の祓"の日に食するお菓子ですが、既に梅雨入りもし、梅雨が明ければ酷暑の夏になる今日の日本です。

暑気払いと健康維持を願ってまだ5月ですが
水無月を購入しました。



お気に入りは「仙太郎」さん。
外郎の食感と小豆の甘さのバランスが超抜群です。

今回は高島屋京都店で白と黒を購入。他の菓子店では6月のみの販売ですが仙太郎さんの人気商品だけに年間販売されています。
いつも行列が出来ているので直ぐにわかります。

これだけのクオリティーで210円です。
人気があるのもわかります。



歳を重ねてくると小豆の美味しさの虜になってきます。
と言う訳で"くず桜"と"くず小豆抹茶"も購入!
並んでいる間にガラスケースの中をどうしても見てしまい、あれもこれも、、、、になってしまいます。

「美味しく頂ける時には迷わず頂く」が最近のモットーなので、まぁ!いいか!って感じです。








相国寺 春の特別拝観

2021年05月29日 07時28分00秒 | 日記
 相国寺は臨済宗相国寺派の大本山で毎年、春と秋の一定期間のみ公開されます。





上の写真の門が相国寺の総門で通常時に使われる門です。
下の門は総門の西側にある勅使門です。
管長猊下の普山式の時や特別な賓客が通られる門で普段は閉じられています。 



勅使門の北側にある放生池です。
右に見える石橋は"天界橋"と呼ばれ、御所との境を意味しています。
この付近は"応仁の乱"での檄戦地で池には数え切れない程の死体が浮かんでいたそうです。



七堂伽藍のひとつ仏殿があったところです。
天文20年(1551)の"石橋の乱"で焼失し以後再建されず基壇・礎石のみが残っています。



"洪音楼"と呼ばれる鐘楼です。
袴腰の付いた立派な鐘楼です。



宗旦稲荷社です。
宗旦狐の逸話が多く残り、江戸時代の初めに境内に住み着いた白狐が時には千宗旦に化け茶事を行ったり、時には修行僧と坐禅をくみ、また、和尚と碁をうつなどしてしばしば姿を現したそうです。





拝観受付を済ませ、先ず法堂から拝観します。





過去の火災や戦乱で4度焼失しています。
現在の法堂は慶長10年(1605)に豊臣秀頼の寄進により再建されたものです。
天井には狩野光信筆の龍が描かれ、須弥壇の横から手を打つと堂内に残響音が響き"鳴き龍"と呼ばれています。







方丈の南庭は白砂だけの如何にも禅宗寺院らしい庭園です。







方丈内部は原在中の襖絵や杉戸絵で彩られています。(全てが原在中ではないです。)





裏方丈庭園に回ると表情が一変します。
渓谷からの水の流れを表した枯山水庭園で非常に変化に富んだ庭園です。
谷は人工的に作られたのでしょうか?
もみじが多く植えられ、秋には錦秋の庭へと変化します。







次に開山堂を拝観します。



相国寺の開山・夢窓疎石像をお祀りしています。
前庭は「龍渕水(りゅうえんすい)の庭」と呼ばれ、かっては蹴上から鉄管を埋設し運ばれた琵琶湖疏水の水が流れていました。(御所水道)
庭園の東側から庭園の淵を巡る水路が確認できます。



授与して頂いた御朱印の「圓明(えんみょう)」は開山・夢窓疎石をお祀りする開山堂を「圓明塔」からだそうです。

諸堂内部の写真は相国寺HPからの転載です。