雲上快晴

プーさん爺じが、何の変哲もない日々を綴る

草刈り名人

2014年12月09日 | 徒然
 いわきにもいましたねー草刈り名人が。





 通勤ルートの土手の草刈りをしている子ヤギに出会いました。

 草がガソリン、刃も取替え不要で、肥料まで自家製糞して撒いてくれるのですから、究極のエコサイクルですね。

 
 いつかはやってみたいなぁ~

 「田んぼの畑」に連れて行って、草刈りをしてもらっている横で、畑の横を流れる川に釣り糸を垂らして、日がな一日のんびりと。

 釣った魚と畑で取れた野菜でお昼ごはん、竹やぶもありますから燃料には事欠かないし。。。

 そんな生活も悪くはないでしょ

 

鬼太郎の結婚

2014年12月08日 | 徒然
 たなかしさんの次男坊、通称「鬼太郎」の結婚式におよばれしてきました。
 
 サーファーの鬼太郎とフラガールの新婦、結婚後はなんとワイハで生活するという・・・(いろんな運命的出会いが重なって、ハワイで仕事をすることになったんですけどね)






 それにしても、思い切りがいいというか凄いバイタリティですよね、若いって素晴らしい。

 何故、「鬼太郎」と呼ばれているかというと、幼少の頃に懸賞か何かで当たった鬼太郎のちゃんちゃんこがお気に入りで、得意になって着ていたので、そう呼ぶようになったのです。
 でも、ついこの間、KATSUさんの奥さんが、たなかしさんに、「鬼太郎って本名なんですか?」と聞いたときには、ひっくり返りそうになりまし たね。
 だって、三家族で一緒に温泉旅行に行った時につけたあだ名だったんですから。「あんたもその場にいたでしょ???」

 これからは、年に一度くらいは、たなかしさんもハワイに遊びに行くことになるんでしょうね、、、現地の方とほぼ同化している風体ですから、ごく ごく自然に馴染むとは思いますけど。
 KATSUさんの奥さんもフラを習っていますから、喜んで行くんじゃないですかねぇ。
 お土産楽しみにしてます。

 何はともあれ、おめでとさんです。ご馳走さんでした。

人生は八勝七敗からノーサイド

2014年12月04日 | 徒然
 三本杉先生が逝ってしまいました。

 福島県内の中学校の教頭先生をされていた45歳のときに、悪性リンパ腫に侵されて、11年にも及ぶ闘病生活に加え原発地区在住であったために避 難生活もされながら、命の大切さ・いじめの根絶について講演をされ続けていた先生が、先日天寿を全うされました。

 病床にあっても、一日も欠かすことなく書き綴られていたブログ「人生は八勝七敗からノーサイド」、何度も何度も心を救ってもらえたブログが、もう 更新されることはないと思うと辛いものがあります。

 亡くなる当日のブログの最後に、「いよいよです」と書かれていました、真剣に生死に向き合った人には、自分の死期がわかるということなのでしょうか。

 また一人、大切な人が逝ってしまいました。

 人生の晩秋に立っている自分、これからの一日一日をどういう思いで生きていけばいいんですかね。

http://blogs.yahoo.co.jp/hutaba1119

人間ドック行ってきました

2014年12月02日 | 徒然
 月火の一泊二日で、仙台の病院で受けてきました。

 結論から言うと、正常範囲までにはなっていないものの、全ての数値が改善されていました。

 特に、γ-GTPが101まで下がっていたことがうれしかったですね。このところの摂生と、思い出したように始めた「呼吸法」が功を奏したようです、腹筋が痛いですから。

 思い出しついでに、今日から、「骨体操」も始めましたので、あと3か月後くらいには腹回りもすっきりするんじゃないですかね、前にやった時には半年で6センチ、ウェストが細くなりましたから。


 それはそうと、今回、仙台までの経路を先日通行可能となった6号線を北上したのです。





 帰宅困難区域の家々の入口にはバリケードが張られていて・・・





 海岸沿いは未だ何にもありませんでした。

 人っ子一人もいないゴーストタウン、それでも川の水は何もなかったかのように力強く流れていました。

 時を止めたのは人間だけ、自然は何も変わらず時を刻んでいると、つくづく感じました。

 何をすればいいのか、私には具体的なことは浮かびませんが、とにかく前だけは向いて生きていこうと思えた行帰りでした。