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【胃がん闘病記⑨】入院、そして手術・・・

2019年04月14日 | 闘病生活【胃がん闘病記】

(初めての入院生活も、ホテルのようなこの病室のおかげで快適だった・・・)

2019年1月24日、前日に仙台からはせ参じてくれた次女と“ワイフ君”に付き添われて、いよいよ手術を受けに出発することになりました。



郡山から新幹線に乗っていざ草加市へ・・・。



新幹線の車内で、ふとポスターが目に入りました。(今のオレにピッタリのポスターだ。いいお医者さんになりなさいよ・・・なんてネ)



上野駅に到着。その後、谷塚(やつか)駅から病院の前を通り、足立区のホテルに到着。荷物を置いて三人で夕食を食べに出かけました。わたしにとっては最後の晩餐とばかり、たらふく食べてやりました。ワッハッハ



“ワイフ君”と娘が同じ部屋。わたしはこの部屋でグッスリとてもよく眠ったのでした。

明けて2月25日、午前10時半にホテルを出て、三人で歩いて病院へ向かいました。入院手続きやら何やらを済ませてひとまず病室へ。じつは、入院に際して事前に個室を希望していたのです。それは、わたしが豪快なイビキの持ち主であったのと、年のせいか睡眠時間が短くて早起きだということがあったからです。相部屋では迷惑この上ない存在になって、みんなからヒンシュクを買うこと必至だと思ったんです。



わたしは、病院らしくない落ち着きのあるこの部屋がすっかり気に入ってしまいました。金平院長が癒やしの空間というこだわりを持って造られた病院だなというのが分かります。



広い洗面所とトイレ。



備えの32インチテレビはPCとしても使用可能でした。



窓から北東側(谷塚駅方面)の景色。



南東側(宿泊した足立区のホテルが見える)の景色。



次女と“ワイフ君”に、持ち込んだ衣類や品物などをあちこちに整理してもらい、病院で出された昼食を取ります。その後、午後2時から明日の手術に備えて下剤を服用することになります。看護師さんにネームバンドを付けられ、麻酔科の先生や手術室看護師さん、薬剤師さんなどから様々な説明を受けることになります。

そうそう、前に述べたおへそのところを4センチ切るという話。看護師さんがおへその掃除をしに来てくれました。
「おへそのところを切るんだと一番下の娘に話したら、それじゃということでへそのゴマを掃除してくれたんですよ」
「道理で綺麗になっていると思いました」

それから、この病院では手術室に入るとき好みのアロマを焚いて、好みの音楽を流してくれるのだそうです。ですから、事前にアロマの種類と音楽のジャンルを選んで下さいということでした。

“ワイフ君”と娘をホテルに帰して、術前の一人の夜を迎えます。



部屋の浴室でゆっくりお風呂に浸かりました。その後、テレビを見たり持参した2台のタブレットとキンドルを出して時間をつぶし、午後10時の消灯を迎えたのでありました。



ホテルでは“ワイフ君”たちも疲れて休んだことでしょう。オヤスミナサイ・・・。

2月26日手術当日。



午前6時35分、窓の外を眺めると曇っているみたい・・・。
“ワイフ君”と娘は11時頃にわたしの部屋に来てそのまま待機となりました。
手術は12時30分頃からの予定。わたしは、血栓予防のタイトなソックスを穿いてその時を待ちます。手術室看護師さんが迎えにこられて、担当の看護師さんと2階の手術室へと向かいます。手術室には昨日わたしが選んだ“ライトジャズ”が流れています。金平先生をはじめとしてスタッフの方々全員が笑顔で迎えてくれました。
「心配はいりませんから、安心して下さいね」
「よろしくお願いいたします」
と、いったようなやりとりがあったように記憶しています。不思議なことに緊張感はありませんでした。丸まって背中に痛み止めの針を入れられたり、のばされた右腕には、きっと血圧や脈拍、血中酸素量などを調べる装置がつけられたのでしょう。仰向けになり、その後麻酔が効いてきたのか意識が無くなったことにさえ気づかぬまま・・・。

目が覚めたのは午後6時頃だったのだと思います。“ワイフ君”と娘もいたのだと思いますがよく覚えていないのです。



ただ、その時『こんな大きな胆石があったんだよ』と見せられたような記憶だけはうっすらと残っているんです。“ワイフ君”と娘は手術の後、先生から手術の詳しい内容と経過について、手術で切除した胃や胆嚢、驚くほど大きな胆石などを見ながら説明を受けたと後で話してくれました。

その夜はHCU(高度治療室)で過ごすことになったのですが、痛みよりも身動きできないことが何より辛かったんです。眠れない夜は長くて長くて・・・、もうこれは拷問にも匹敵する辛さだなと思いました。しかし、思えばこのような手術を受けた人は誰しもがこんな状態を経験し、この状況を堪え忍んでいる訳で・・・自分のふがいなさを思いながら、看護師さんを度々呼んでは時間ばかり聞いていたのを覚えています。朝になるまでの長かったことといったら・・・。



2月27日、看護師さんに導かれながら、HCUから歩いて自分の部屋へ戻りました。



点滴、背中に針の入れてある痛み止めの投薬装置の入った袋、お腹の中から出ているドレーンチューブ用の袋を下げて・・・。



年季の入ったガラケーで、心配して下さった方々に手術が無事済んだ旨の電話を入れました。手術の次の日にこんなことが出来るなんて全く自分でも驚きでした。



こうしてわたしは日々順調に回復し・・・。



3月1日に“ワイフ君”と次女が、長らく留守にしたそれぞれの家庭へと戻って行ったのでした。
(ありがとうな・・・)

 

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6 コメント

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やはり,.. (なでら男)
2019-04-14 15:54:04
腹腔鏡による手術は回復早いですね!次の日に歩いて病室に戻れるとは!こちらも三日目には歩かされましたが,身体からチューブが8本くらい出ていて,さらに袋が4つくらいぶら下がっていて大変でした。とにかく,どんどん動いた方が癒着などがなくなるということで,動け歩けと言われました。なんにしろ,無事に済んで何よりでした!
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“なでら男さん” (koji)
2019-04-14 18:15:42
腹腔鏡手術は内臓が直接空気に触れないので癒着とかが無いのだと聞きました。ビックリしたのは、手術の次の日からリハビリスタッフが付いて歩行練習でした。自分からも出来るだけ動くようにして、たびたび病院内を周回していました。
日々の回復が著しく驚きでした。
術後3日目に流動食が出たときには、口から入るものはやっぱりいいと思いました。テレビやYoutubeで食レポや料理番組ばかり見ていました。
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胆石が! (へばな)
2019-04-15 08:19:26
手術、お疲れさまでした(^^)/
この黒いのが胆のうで白く見えるのが胆石なんですか!(゚Д゚;)
それにしても、手術後はぜんぜん痩せていませんね。とても病人とは思えません(^^;)
この後の入院生活でやせたのでしょうか?
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Unknown (玉井人ひろた)
2019-04-15 09:19:04
入院経験が無いわたしには、大変だとしか考えられません。
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“へばなさん” (koji)
2019-04-15 09:34:46
容器の中にある卵状の黒い固まりが胆石です。ですから胆嚢の中が胆石でいっぱいになっていたんです。
手術をすると痩せてしまうとみんながいうので、手術前の1ヶ月はこれが最後と思いっきり食事を楽しみました。その結果、入院したときの体重が80キロはあったと思います。この写真は入院3日目なのでそれに近い体重はあるはずです。退院してくるときの体重は72キロになっていました。ちなみに現在は69~70といったところで推移しています。
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“玉井人ひろたさん” (koji)
2019-04-15 09:41:33
わたしも、今回はじめて手術とか入院とかを経験して、わが家で生活できる素晴らしさを実感しています。ただ、救いだったのはストレスの無い個室でずっと過ごせたことでした。
寝るのが早いので、夜中から起き出しては映画を見たり音楽を聴いたり、キンドルで小説を読んだりと好きなことが出来ました。
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