(病院内の廊下を点滴台を転がしながら、何度も周回して運動をしていました・・・)
3月1日(術後3日目)、次女と“ワイフ君”が帰った夜も、点滴台の転がる音を聞きながら廊下をひたすら歩きます。少しでも早く回復するように、午前と午後のリハビリの他にも、こうしてできるだけ体を動かすように指導されていました。
3月2日(術後4日目)は、朝から3分粥になりました。この日には東京で暮らしている一番上の娘が様子を見に来てくれました。そしてこの日、お腹から出ているドレーンチューブが取れました。背中の痛み止めもこの日抜く予定でしたが、こちらは一日早く昨日取れました。
夕方になって娘が帰っていきました。
睡眠時間の短いわたしにとって、タブレットはとてもありがたい味方。連日、音楽三昧・映画三昧です。
3月3日には点滴も終わり、シャワーを思いっきり浴びることが出来ました。そして、3月5日には先生から外出許可が出て、午前9時から1時間ほど病院の周辺を北に向かって散歩に出かけました。
辺りはもうすっかり春になっていました。
谷塚(やつか)駅。
駅前の中華屋さん。
浅間神社(せんげんじんじゃ)。この神社は富士山信仰と結びついた神社のようです。
境内の一画には富士山に見立てた岩山が造られていました。
浅間神社から南へ向かって歩き出すと、満開の梅林があったりしました。久々のシャバはやっぱり気持ちがいいです。
午後にも外出時間をもらい、今度は南へ歩いて毛長川に出ました。この川が埼玉県と東京都との堺です。
今度は毛長川に沿って歩きます。
「花畑大橋」というこの橋を渡れば東京都です。
南国を思わせるようなこの植物はいったい何というのでしょう。辺りを探しましたが名前が分かるものは見つけられませんでした。
東京都の散歩はここまでで引き返します。
いやいや本当に楽しい散歩でした。夕方、金平先生と退院についての打ち合わせをしました。こちらに来るときに、周りの方々からは『本当に大丈夫になるまで少し多めに置いてもらえ』と言われて来たのです。わたし自身も、戻ってから何かあっては大変なので、1週間ぐらい余計に入院できないでしょうかと以前から先生にはお話ししていたのです。ところが、あまりにも回復が順調で、病院側の予定通り3月8日(入院12日、術後10日目)で退院する運びになったのです。
ところがです。その日の夜中からどうも胸のつかえがあるのです。6日早朝、担当の看護師さんにその旨を話し、朝一でレントゲンを撮ることになりました。
思えば4日のお昼。卵でとじてある美味しいうどんが出たのです。あんまり美味しくて、これをペロリと平らげてしまいました。その後の食事は少しずつ残るようになってきていたんです。
レントゲンの結果、食物の残留が認められ・・・退院は延期となりました。看護師さん達は『退院が決まると調子を崩すような方がいるんですよ』などといって慰めて下さいましたが、まあ、わたしの当初からの予定通りと言えばその通りなのです。
食事が中止され、7日昼から点滴が再開されました。
食事は無くなっても、わたし自身は頗る元気なのです。点滴は少々邪魔くさいですが、快適なこの病室のおかげで、わたしの病院生活はいたってストレス知らずでした。
3月8日、退院するはずだったこの日は、素晴らしい快晴!皮肉なものです。アハハ
9日、“ワイフ君”と一番下の娘、それから東京の長女が面会に来てくれました。退院が延期になって、みんな気が気でないぐらいに心配していたんだと思います。ところが、驚くほど元気なわたしを見てとても安心したようでした。今晩は三人で外食してからホテルに泊まり、明日帰るということでした。
10日午前5時56分の朝焼け。
この日も三人で面会に来てくれ、洗濯などを済ませてから午後3時過ぎに自分たちの生活へと戻っていきました・・・。この日は他に、東京で暮らす姪も家族で見舞いに来てくれました。(みんな、ありがとうな・・・)
3月11日・・・。
3月13日・・・。
3月15日・・・。
3月17日・・・。
どうやらわたしの胃袋がストライキを起こしてしまったようで・・・。この間、先生はこちらが恐縮するほど気づかってくれて、回復のために様々な方法が講じられたのでした。
3月19日、昼から再び食事が再会されました。これまで、朝の回診や手術を終えた後に、連日様子を伺いに来てくれていた先生でしたが、この日も手術を終えた後、術後のレントゲン写真や吻合部の内視鏡による写真などをもとに説明して下さり、わたしの質問にも詳しく答えて下さいました。胃と腸の吻合部など、とても見事に仕上がっていました。
入院は長引いていますが、いいこともありました。この入院で血圧が正常値になったのです。看護師さんたちは、病院食で塩分の摂取量が少なくなったからだといいます。するところ、わが家の味付けは本当にチト濃いのかも知れません。それから、胆石症が解決出来たこと。そして、何より大きかったのは、手術の際に郭清したリンパ節にがんの転移がみられなかったということ。これは何にも増してうれしいことでした。
3月20日、食事再開2日目。異常なし、わたし自身も頗る快調。
3月22日午前6時43分、おかしな空だ。だけどわたしは快調そのもの。
ここに来てガスも便も気持ちよく出る。レントゲンの結果は、胃の中に食物があまり溜まっていなくて良好とのこと。
3月24日、きょうで点滴は一旦お仕舞いの予定。これでようやく、これまでのようにシャワーを浴びるときに看護師さんの手を煩わせずに済みます。そういえば、昨日の回診のとき、金平先生には『来週は外出許可が欲しい』とお願いしていたんです。
3月25日、朝一で採血とレントゲン撮影。結果は良好。食事は3分粥。きょうから点滴が一日5時間だけになりました。
3月26日午後5時30分、金平先生と退院の話になりました。『点滴も終わり、今週あたり退院できますね』。わたし自身は頗る調子がいいし、退院するなら3月30日の土曜日が良いと伝えました。
3月27日、朝食は5分粥、昼食は7分粥。23日から続けられている“エンシュア・リキッド(栄養剤)”1日3缶というのを、同じ味に飽きて辛くなってきたため1日2缶にしてもらいました。
この日、午前11時~12時まで外出許可をもらい飛び出しました。
桜も・・・
ボケの花も満開です。
毛長川沿いに桜を楽しみました。
川を越え足立区に足を踏み入れると、遠く霞んでスカイツリーが見えました。
そうそう、毛長川沿いには草加市側に“東京ひよ子”の工場もありました。
3月30日、うれしくて夜明け前から起き出して退院の準備をしていました。リュックに入らない荷物は段ボールに詰めて、1階の売店から宅急便に出してもらう予定です。昨日はきょうの退院に備えて、谷塚駅から高架脇の道を歩いて一つ隣の草加駅まで行ってみました。往復で4キロぐらいだと思いますが、歩くスピードが遅くなったのと、疲れやすくなったなと思いました。
午前11時ごろ“ワイフ君”と一番下の娘が迎えに来てくれました。栄養士さんから今後の家での食事の取り方について説明があり、わたしの好物(ラーメン、カツ丼、カレーライス)はことごとく好ましくない方に記載されていたのには参りました。ハハ
その後、金平先生が病室に来て下さり、家族も交えてこれまでの経過と今後の注意点についてお話がありました。今回のようなケースは初めてで、退院が長引いてしまったことをとても気にかけて下さっていました。
「“kojiさん”よく嚙んでゆっくり食べて下さいね」
先生と握手をして病室を後にしました・・・。
“平成のブラックジャック”こと金平永二先生は、クールな手術をするとても温かい先生でした。
私の場合もいろいろと食物の制限は言い渡されましたが,...。守ったのは3ヶ月ほどで,あとは好き勝手な呑み食いが始まって今に至ります。春のワラビなども繊維質なので食べないようにと言われましたが,毎日のように小鉢に一杯食べますし,..。聞けば,似たような手術をした人は腸閉塞などを起こしやすいので少量を何回にも分けて食べなさいとか繊維質は避けなさいとか言われるようです。女房が呆れてましたけど。
リンパ節への転移もなかったとのことで,完全寛解とみなせるんじゃないですか!おめでとうございました!
“様々な方法”の中には、胃の内容物を吸引したり、吻合部に内視鏡でバルーンを入れてみたりしました。吻合部にバルーンで拡張の必要な狭窄は無かったようですが、胃の刺激にはなったのかも知れません。栄養を確保するために鼻から腸へチューブも入れました。
先生は胃の蠕動運動が正常に行われない奇異運動が起こっているのかも知れないとお考えになってもいたようです。
何でも“よく嚙んでゆっくり食べています”から体重も思ったほど下がらずに推移しています。
ありがとうございます。抗がん剤の治療も必要なく、早期発見できて本当に良かったと思っています。
手術直後でも、食べ方の癖は出ちゃいますよね。
「減塩食をゆっくり噛んで食べる」ということで、今回の手術のおかげでかえって寿命が延びることになりそうですね(^^)v
「減塩食をゆっくり噛んで食べる」のは絶対に良いでしょうね。今は味の濃いものをガツガツ食べてみたくてしょうがありません。ワッハハハ
今後生きてもあと10年がいいところでしょうね。ですから、あんまり節制しても仕方が無い気もしています。
退院後はいたって順調に過ごしております。
日常生活に支障はありませんが、まだまだ以前の体力には戻りません。気長に少しずつ少しずつ鍛え直して参ります。
ありがとうございます。