(2015.4.11 那須神社:栃木県大田原市金丸)
4月11日、雨降りの土曜日です。棚倉城址亀ヶ城公園をあとにした我が家は、県道60号線で戸中峠(とちゅうとうげ)を越えました。
やってきたところは、栃木県那須町伊王野。福島県より南ですから桜はすでに満開のよう。
ここは『道の駅 東山道伊王野』。蕎麦の粉ひき小屋にある大きな水車がシンボルになっています。
ここの道の駅の売りは、なんといってもお蕎麦です。しかしながら、道の駅とあって食べ物がお蕎麦のみというところは、きっと珍しかったのではないでしょうか。そのようなことがあってか、4月10日に“和食処あんず館”というレストランがオープンしたのです。
我が家もここで昼食にしようとしたのですが、希望したメニューは売り切れということで、結局いつもながらのお蕎麦にしました。
行き交う人たちを眺めながら、きょうは外のテーブルでお蕎麦を食べました。ここのお蕎麦はいつ食べてもおいしいんです。
お腹が膨れたところで出発です。雨はすっかり止んで青空が出ています。
我が家は次の目的地、大田原市の那須神社を目指しているのです。ナビを“那須神社”に設定したら、すぐとなりは『道の駅 那須与一の郷』らしいんです。
そこで、道の駅に車を止めて、となりの那須神社へ行くことにしました。
まずは、手水舎(ちょうずや)で身を浄めて楼門へと向かいます。
やはりここにも“坂上田村麻呂(大多鬼丸のエピソードに出ていた)”や“源義家(稚児舞台のエピソードにでていた)”が出てくるのですね。
どうしてここに来たかったというと、那須与一ゆかりの神社ということもありますが、栃木県を紹介しているパンフレットにあった、大層立派なこの神社の写真を見て、一度は行ってみなくてはならないと、ずっと思っていたのです。
ほら、この楼門を見てください。やはり大層立派な造りでしょう。
楼門に比して、拝殿は地味ですが、『楼門と本殿』はいずれも栃木県重要文化財に指定されています。
こちらがその本殿です。
それにしても、この楼門は豪華に造られています。
天井画もこの通りよく描かれています。
随神の像も立派です。
楼門の上部に描かれている“龍”の画も、きっとすごかったはず・・・。
今度は違った角度から一枚。
そうそう、ここでは写真の参道で、那須与一に因み流鏑馬が行われるそうなのです。
さあ、では次に“ワイフ君”の大好きな道の駅に行ってみます。
これが『道の駅 那須与一の郷』の建物です。
『那須与一伝承館』と書かれた建物がありました。
こういうのがあると、ついつい顔を出してみたくなってしまうのです。(みっともないので非公開としました。ハハハ)
せっかくなので、伝承館に入館してみました。伝承館の中にはシアターがあって、那須与一が屋島の戦いで、平氏が出した舟の扇の的を見事射落としたという平家物語の名場面が、語り部(ロボット)と動画とで上演されていました。その他、那須与一にまつわる沢山の資料が展示されていました。
(道の駅敷地内の那須与一像)
『道の駅 那須与一の郷』の施設は、屋根の形が“扇”になっているのです。“ワイフ君”に言われてはじめて気がつきました。
帰り道、大田原市黒羽の那珂川河畔にやってきました。
ここには歩道専用橋が架かっています。
上流の景色です。
そして、下流の景色です。
あらら、ここでカメラは電池切れ。いよいよ本日の遊びもここまでです。ここから我が家までは100キロチョットといったところ。
「よーし、“ワイフ君”。帰りは向こうの山の上“黒羽城跡公園”経由で帰るぞ!」
雨降りの月曜日をさんざん遊び倒して、二人を乗せた車は山の上の道へと走り出しました・・・とさ。
4月11日、雨降りの土曜日です。棚倉城址亀ヶ城公園をあとにした我が家は、県道60号線で戸中峠(とちゅうとうげ)を越えました。
やってきたところは、栃木県那須町伊王野。福島県より南ですから桜はすでに満開のよう。
ここは『道の駅 東山道伊王野』。蕎麦の粉ひき小屋にある大きな水車がシンボルになっています。
ここの道の駅の売りは、なんといってもお蕎麦です。しかしながら、道の駅とあって食べ物がお蕎麦のみというところは、きっと珍しかったのではないでしょうか。そのようなことがあってか、4月10日に“和食処あんず館”というレストランがオープンしたのです。
我が家もここで昼食にしようとしたのですが、希望したメニューは売り切れということで、結局いつもながらのお蕎麦にしました。
行き交う人たちを眺めながら、きょうは外のテーブルでお蕎麦を食べました。ここのお蕎麦はいつ食べてもおいしいんです。
お腹が膨れたところで出発です。雨はすっかり止んで青空が出ています。
我が家は次の目的地、大田原市の那須神社を目指しているのです。ナビを“那須神社”に設定したら、すぐとなりは『道の駅 那須与一の郷』らしいんです。
そこで、道の駅に車を止めて、となりの那須神社へ行くことにしました。
まずは、手水舎(ちょうずや)で身を浄めて楼門へと向かいます。
やはりここにも“坂上田村麻呂(大多鬼丸のエピソードに出ていた)”や“源義家(稚児舞台のエピソードにでていた)”が出てくるのですね。
どうしてここに来たかったというと、那須与一ゆかりの神社ということもありますが、栃木県を紹介しているパンフレットにあった、大層立派なこの神社の写真を見て、一度は行ってみなくてはならないと、ずっと思っていたのです。
ほら、この楼門を見てください。やはり大層立派な造りでしょう。
楼門に比して、拝殿は地味ですが、『楼門と本殿』はいずれも栃木県重要文化財に指定されています。
こちらがその本殿です。
それにしても、この楼門は豪華に造られています。
天井画もこの通りよく描かれています。
随神の像も立派です。
楼門の上部に描かれている“龍”の画も、きっとすごかったはず・・・。
今度は違った角度から一枚。
そうそう、ここでは写真の参道で、那須与一に因み流鏑馬が行われるそうなのです。
さあ、では次に“ワイフ君”の大好きな道の駅に行ってみます。
これが『道の駅 那須与一の郷』の建物です。
『那須与一伝承館』と書かれた建物がありました。
こういうのがあると、ついつい顔を出してみたくなってしまうのです。(みっともないので非公開としました。ハハハ)
せっかくなので、伝承館に入館してみました。伝承館の中にはシアターがあって、那須与一が屋島の戦いで、平氏が出した舟の扇の的を見事射落としたという平家物語の名場面が、語り部(ロボット)と動画とで上演されていました。その他、那須与一にまつわる沢山の資料が展示されていました。
(道の駅敷地内の那須与一像)
『道の駅 那須与一の郷』の施設は、屋根の形が“扇”になっているのです。“ワイフ君”に言われてはじめて気がつきました。
帰り道、大田原市黒羽の那珂川河畔にやってきました。
ここには歩道専用橋が架かっています。
上流の景色です。
そして、下流の景色です。
あらら、ここでカメラは電池切れ。いよいよ本日の遊びもここまでです。ここから我が家までは100キロチョットといったところ。
「よーし、“ワイフ君”。帰りは向こうの山の上“黒羽城跡公園”経由で帰るぞ!」
雨降りの月曜日をさんざん遊び倒して、二人を乗せた車は山の上の道へと走り出しました・・・とさ。
ってkojiさんは再雇用して定年以上に働いたので,そのマネもしないとダメかなあ。
栃木路もいいですね。やっぱり福島と似ている気がします。
だけれど、“毎日が日曜日”になるというのは、それだけ人生が終わりに近づいてきているということでもあるのですよ。まあ、わたしの場合、だからこそ、早く自由になりたいと思ったわけですが・・・ハハハ
今回の栃木ルートは、いつもの伊王野自転車ルートに那須神社と『道の駅 那須与一の郷』が加わっただけでした。栃木は福島と陸続きですから、それほど違いもなく安心感がありますね。