新聞に「墓石に刻む私の思い」と題した記事が載っていました。72歳の男性は「ありがとう」と刻んだお墓を9年前に建てたというのです。その理由は、20歳のときに心疾患が見つかり、輸血を10人以上の人からもらって手術をしたそうです。その後、元気で定年を迎えるまでになり、定年前にお墓を準備したいと思ったそうです。さまざまな人に助けられて人生を送ってきた思いが、「ありがとう」のことばしかないと思うようになったそうです。
記事には、その他のことばとして、「また逢いましょう」「安からに眠れ」「日々是好日」「平和」「蒼天」「まじめに、家族のために」などが載っています。なかには、「DONT WORRY BE HAPPY!」という英語のことばまで願う人がいます。
その人その人の人生を映し出すことばがならんでいて、関心をもって記事を読みました。人生を振り返ることばを考える大事な時間になることを実感しました。
戦前の家制度があった時代は、「○○家之墓」とか「南無阿弥陀仏」ぐらいしか刻んでいなかったです。人生を振り返って墓石名を考えることなどできなかった時代です。家の墓として存在していたため、すでに決まってしまっていました。そういう墓に比べたら、自由に考え、刻むことができる現在は、選べるという大事なことができるので、すばらしいと思います。
しかし、記事には、「お墓を守ってくれる人が絶対的に少なくなっている現実を考え、散骨にしてほしい」という人と「私を知っている人が時々思いいだしてくれれば、それで十分」という人の意見も載っています。
このブログを読んでくださっているみなさまは、どちらを選ばれるのでしょうか。選べる時代になったことは、ほんとうによいことです。
わたしは、後者を選びます。墓をつくらない考えだから、墓に刻むことはありません。しかし、自分の人生を振り返ることはするでしょう。72歳の今もすでにこれまでの人生を振り返ることがあります。ときどきどころか、よく振り返っています。時間があることも理由のひとつでしょうが、自分で思うのは、幸せ感が薄いからだと思います。これは自分が感じることなので、他の人から見たらそうは映らないかもしれませんが、何をわたしの幸せとするかが問題ですが、ここをもう少し分析しなければならないと思っています。物欲で何かが足らないからということではないと思います。しかし、欲に変わりはないということだと思います。生きている限り、欲望を追いかけ、それに満たされたいと思うのが、人間だと思うからです。もう少しの時間が必要です。
記事には、その他のことばとして、「また逢いましょう」「安からに眠れ」「日々是好日」「平和」「蒼天」「まじめに、家族のために」などが載っています。なかには、「DONT WORRY BE HAPPY!」という英語のことばまで願う人がいます。
その人その人の人生を映し出すことばがならんでいて、関心をもって記事を読みました。人生を振り返ることばを考える大事な時間になることを実感しました。
戦前の家制度があった時代は、「○○家之墓」とか「南無阿弥陀仏」ぐらいしか刻んでいなかったです。人生を振り返って墓石名を考えることなどできなかった時代です。家の墓として存在していたため、すでに決まってしまっていました。そういう墓に比べたら、自由に考え、刻むことができる現在は、選べるという大事なことができるので、すばらしいと思います。
しかし、記事には、「お墓を守ってくれる人が絶対的に少なくなっている現実を考え、散骨にしてほしい」という人と「私を知っている人が時々思いいだしてくれれば、それで十分」という人の意見も載っています。
このブログを読んでくださっているみなさまは、どちらを選ばれるのでしょうか。選べる時代になったことは、ほんとうによいことです。
わたしは、後者を選びます。墓をつくらない考えだから、墓に刻むことはありません。しかし、自分の人生を振り返ることはするでしょう。72歳の今もすでにこれまでの人生を振り返ることがあります。ときどきどころか、よく振り返っています。時間があることも理由のひとつでしょうが、自分で思うのは、幸せ感が薄いからだと思います。これは自分が感じることなので、他の人から見たらそうは映らないかもしれませんが、何をわたしの幸せとするかが問題ですが、ここをもう少し分析しなければならないと思っています。物欲で何かが足らないからということではないと思います。しかし、欲に変わりはないということだと思います。生きている限り、欲望を追いかけ、それに満たされたいと思うのが、人間だと思うからです。もう少しの時間が必要です。
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