190524_怒りについて
この前、
キケロ/セネカ/アウレリウス著 金森誠也・長尾剛訳 『超訳 古代ローマ三賢人の言葉』PHP研究所 2012年
を読んだ。
この本の中に「怒り」について書かれた部分があった。
(p.43)
● 怒りは自分の欠陥である
怒りは、欠陥である。
怒りを感じたら、それが自分の欠陥だと知れ。
セネカ『怒りについて』より
(p.145)
● 怒りに対するもっとも効果的な鎮静手段
怒りを静める効果的な方法は、怒ったまま放っておくことである。
怒りを無理に抑えようとしても、できるわけがない。
しかし、時が経てば、何もしなくとも人は冷静になっていく。
怒りとの戦いは、延長戦に持ち込むにかぎる。
セネカ『怒りについて』より
・・・・
おまえは何に対して怒っているのか。
怒る原因なんて何百万とある。
原因があるから怒っているのではなく、
おまえが、身の回りすべてのものを、怒りの原因としているから、怒っているのだ。
怒ってそこに立っているお前は、人間ではない。
そこに立っているのは「怒り」だ。
「怒り」という者は、
おはようと挨拶されても、
昼は何を食べようかと言われても、
風が自分に吹いてきても、
雨が上から落ちてきても、
怒る。
犬は、
餌をもらえばうれしがりしっぽを振り、
石を投げつけられれば怒って吠える。
犬は、相手により態度を変える。
しかし、「怒り」は相手により態度を変えない。
すべての相手に怒る。
・・・・
真実はこうだ。
キケロ
「怒りを無理に抑えようとしても、できるわけがない。
しかし、時が経てば、何もしなくとも人は冷静になっていく」
怒りは無理に抑えようとしてもできない。
しかし、時間が経てば冷静になる。
つまり怒りを忘れてしまうということだ。
たとえば、ある日、激しい怒りに取りつかれたとする。
しかし、次の日には日常が始まる。
朝飯を食う。
駅まで歩く。
電車に乗る。
会社でいろいろ打ち合わせをする。
電車で帰る。
夕食を食べ、寝る。
いろいろやることがあるのでいつまでも「怒り」を覚えていられない。
昨日のはげしい怒りを思い出すのも夜寝る前だけだ。
そんな日が何日か続く。
一ヶ月も経てばあの時の「怒り」は思いだそうとすれば思い出せるが、もう「思い出」となってしまった。
一年たった今は、そんなことがあったような気がするだけだ。
十年たった今、そんなことがあったことすら忘れている。
二十年たった今、もう何もない。