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2020年3月19日 1895年、日本で行われた病原菌対策

2020-03-19 | 昼間のエッセー
200319_1895年、日本で行われた病原菌対策

1895年、日本で行われた病原菌対策

2020年3月19日 産経新聞 p.7
拓殖大学学事顧問 渡辺利夫

今から125年前の、1894年~1895年、日本と清(中国)の間に戦争があった。
「日清戦争」という。

この戦争での、日本側の戦死者は、1417人。
一方、病死者は、1万1894名もいた。

病死者が多い理由は、「コレラ」である。

1895年、戦争が終わり、28万人の兵士が、400隻以上の舶で日本に帰ることになった。

この時、内務省衛生局長であった、後藤新平(しんぺい)は、このコレラの侵入を防ぐため、次のような対策を取った。

船が接岸する場所を、

一、広島湾の「似島(にのしま)」
二、大阪市の「桜島」、
三、下関の「彦島」、

の三ヵ所に限定した。

その三つの島で、

蒸気罐(鉄の罐。帰還兵を入れた後、60℃の蒸気を入れ15分間密封。こうやってコレラ菌を殺菌する)を使って、
一日、600人を消毒したという。

消毒する前の検査では、

兵士の中に、

真正コレラ 369人、
疑似コレラ 313人、
腸チフス 126人、
赤痢 179人、

が見つかっている。

この対策を採ったため、
日本の国内では、コレラが流行することはなかった、という。

日本人は、こういう先人のおかげで、生きながらえている。
以上

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