ゆうとたいへ

六十を過ぎて始めた自転車旅行、山登りをつづります

2019年11月8日 ヘミングウェイの「An Alpine Idyll」とカリフォルニア州の観光地「Idyllwild」

2019-11-09 | 日記
191108_「Idyll」とは牧歌という意味

 2019年11月8日

 ヘミングウェイの短編集「The First Forty-nine Stories」の中に「An Alpine Idyll」という作品があった。

 この「Idyll」という文字はよく覚えている。

 2016年5月、アメリカ・カルフォルニア州を旅した時、「Idyllwild」という小さい町を通過した。

 「Idyll」の意味は「牧歌」という意味らしい。とすれば「Idyllwild」とは「いなか歌の荒野」とでもいうのだろうか。

 実際の「Idyllwild」は、観光しかない小さな町で、ホテルやロッジの他、まちにある店と言えば観光客向けの店ばかりであった。

2016年5月3日 カリフォルニア州 Idyllwild







 Idyllwild の詳しい写真は次のブログを見てください

 https://blog.goo.ne.jp/gkazk/e/94296d1fa15eb257f5524210310fa8ee


 


2019年11月7日 懐かしい名前が出てきた。アメリカで見た "huckleberry" (ハックルベリー)という赤い色をした木の実のことが、本に出ていた

2019-11-08 | 日記
2019年11月7日

懐かしい名前が出てきた。アメリカで見た "huckleberry" (ハックルベリー)という赤い色をした木の実のことが、本に出ていた

ヘミングウェイ

Ernest Hemingway "The first forty-nine stories"

"Ten Indians" p.272

"His father sat watching him eat and filled his glass from the milk-pitcher.
 Nick drank and wiped his mouth on his napkin.
 His father reached over to the shelf for the pie. He cut Nick a big piece.

It was huckleberry pie.

 父はすわって、ニックが食べるのを見ていた。父はミルクをついであげた。
 ニックはそれを飲み、ナプキンで口をふいた。
 父は手をのばして棚からパイを取った。それをニックに、大きく切り分けてあげた。
 
 それは、ハックルベリーを入れたパイだった。

 ・・・・

 「ハックルベリー」は、マーク・トウェインの小説に出てくる子供の名前かと思っていたら、そうではなく、木になる実だった。

 その実を、アメリカで見た。

 

  


 それを採っていた中年の男に、採ったハックルベリーを見せてもらった。

 車の後部の荷台に、直径25センチぐらいの鍋が置いてあり、その鍋の中に赤い色をした木の実が入れてあった。木の実の量は数センチの高さがあり、木の実から汁が出て、鍋の底ににたまっていた。

 この実を採っていたのは、中年の男だった。
 その時は、いい歳をした男が、と思ったが、ここでは、男も女もみんなこの「実」を採りにくるようだ。
 山の中を進んでゆくと、この実を採りに来た人たちに何人もあった。みん楽しそうに採っていた。

 ・・・・ 

2016年8月、アメリカ・オレゴン州

https://blog.goo.ne.jp/gkazk/e/c1dbf07cc4cec0be3c8066f2b4c4f2da


2019年11月7日 土井晩翠は、27歳の時に「荒城の月」の詩をつくり、滝廉廉太郎は、22歳の時にそれに曲を付けた

2019-11-07 | 昼間のエッセー
191107_土井晩翠は、27歳の時に「荒城の月」の詩をつくり、滝廉廉太郎は、22歳の時にそれに曲を付けた

 2019年11月6日 産経新聞 p.7

 土井晩翠は、27歳の時(1898年)に「荒城の月」の詩を書き、滝廉廉太郎は、22歳の時(1901年)にそれに曲を付けた。

 当時の唱歌の作り方は、先に「詩」を作り、その後に「曲」つけた。

 なぜ、今から100年前には、みんなの頭は、こんなにさえていたのか。

 この時代と、今の時代の違いは、象徴的にいえば、そこに「スマホ」があるかないかである。

 スマホは、パンドラの箱であった。

 パンドラの箱とは、ギリシア神話に出てくる「欲望」と「無秩序」入った箱だ。

 この箱を開けてしまい、「スマホ」を世の中に出してしまったため、もう20代の人が土井晩翠や滝廉太郎のような「作品」を作ることはできなくなった。

 我々は、欲望にとらわれ、すべてのものに無秩序に手を出すようになったため、もやは、土井晩翠と滝廉太郎のいた時代のように、一つの情感だけを求める、ということはできない時代となった。

2019年11月3日 警備を委託された警備会社「セコム」の社員が、その家に入りどろぼうをした

2019-11-03 | 昼間のエッセー
191103_警備を委託された警備会社「セコム」の社員が、その家に入りどろぼうをした

2019年11月2日 産経新聞 p.26

 警備を委託された警備会社「セコム」の社員が、その家に入りどろぼうをした。

 警備員は、その家の合いカギを預かっていたので家にはいることができた。

 その警備員は、ぬすんだ宝石を、ショップで売った。

2019年11月3日 大阪の泉佐野市は「ふるさと納税」の「返礼品」に、アマゾンギフト券などを配り、497億円の寄付金を集めた。ここで、一番もうけたのはアマゾンだ

2019-11-03 | 昼間のエッセー
191103_大阪の泉佐野市は「ふるさと納税」の「返礼品」に、アマゾンギフト券などを配り、497億円の寄付金を集めた。ここで、一番もうけたのはアマゾンだ

 2019年11月2日 産経新聞 p.24

 大阪の泉佐野市は「ふるさと納税」の「返礼品」として、アマゾンギフト券などを配り、497億円の寄付金を集めた

 この仕組みには、二人の確信犯と、一人の利益を得たものがいる。


 一、ほんとうはいけないと思っているが、やった方が勝ちと思っている「泉佐野市」、

 二、ただ、金がもうかるから、泉佐野市からアマゾンギフト券を買う「お金の欲しい普通の人」

 三、ギフト券が売れて、もうかったアマゾン


 仮に、アマゾンが、泉佐野市に、ギフト券を額面の7割で売ったとすれば、アマゾンは378億円の手取りがあった。


・・・・


 一、ふるさと納税が始まった理由

 ふるさと納税が始まった理由は、

 へき地の山村は、人口が減って金がない、

 こいう村を助けるには、都市に住む人に、その村の特産品を買ってもらい、その村の収入を増やすことだ。

 そのためには、

 都市に住む人々に、その村でとれる特産品を買ってもらい、同時に、その特産品を買うために使った金は、税金を払ったものとみなして、払った代金と同じ額だけ、自分の住んでいる市町村の住民税を減らす、ということにした。

 こいう制度にすると、

 特産品を買った人は、特産品を得(これはお金を出し、且つ、特産品を得たのだから損得はなし)、他方、自分の住んでいる市の住民税は減るので、二つあわせれば、得する、ということになる。

 ということで、

 特産品を買う人が、得するしくみとなっている。

 これは、へき地振興の目的から言えば、へき地の農家にも金が渡るので、一理はある。

 しかし、

 その「特産品」が「アマゾンのギフト券」となったら話は違う。

 ギフト券を買った人は、お金を商品券に買えただけであり、損も得もないが、支出した金額だけ、自分の住んでいる市に支払う住民税は減るので、メリットはある。

 泉佐野市は、商品券の仕入れ代金と販売代金の差額(つまり利益)が手に入る。

 商品券を買った人が住んでいる市は、住民税が減るので損をする。
 
 零細農家は、見捨てられた。

 アメリカ企業のアマゾンは、ギフト券が大量に売れてうれしがっている。

 政府は、日本の零細農家を救う目的で始めた「ふるさと納税」制度が、アメリカ企業を助けるために使われているので、驚いている。 


 この問題に対し、

 泉佐野市は、「合法」だといい、

 国は「違法」だという。

 アマゾンは、だめでもともとなので黙って観戦している。

 そして、二人は、裁判で争うという。

 国・泉佐野市は、ほかにしなければならない問題がたくさんあるのに、
 こんなつまらない問題・・・
 つまり、零細野菜農家には金を払わず、
 お金持ちのアメリカの企業に金を支払うということは善か悪か・・・

 という、結論は決まっている問題を争うため、

 国、自治体、裁判所の中から、年間の給料を一千万円以上払っている人を何人も集め、どちらが正しいか決めようという。

 ギフト券を買ってもらえるアマゾンは、この争いにあきれながらも、同時に、泉佐野市が勝ち、これからもギフト券を買ってもらえることを期待している。

 そして、零細野菜農家は見捨てられる。

 そして、その時には、この制度の名前を「外国企業援助納税制度」と名前を変えるべきだ。