ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

宣教師と古城と2人の女(続)

2004-12-01 12:14:38 | Weblog
なんでなのかなあ?って、この2回の出来事(鎌倉、小田原城見物)に
ついて、考えていたのよ。
恐らく「約束を守る」という項目は、重要な課題だと思うのよ、宗教家
として特にね。
GOD関係者は、単なる信徒であろうと、「守る」という言葉の重さは、
そうでない人々よりも重いはずじゃないの?って。だから、
「雨は中止」・・・鎌倉見物、
「返事は前夜までに」・・・小田原城見物
って、言っておいたのに、双方共、予定日当日朝の返事。しかも、行き
ます!よ。まあ、いいでしょうで、出かけたけれど、なぜ「せめて前日夜」
まで返事が出来なかったか?ってね。

悪意に取れば、限りなく攻撃、誹謗はできるけれど、それは、心貧しき者の
することだから、あえてそれはしない事にして、それでも
「たった一言で済むのにねぇ」
は、ついてまわってたのよ。

だけど、フト気付いたの。それが正解かどうかわからないけれど、
「そうだったのね。2年間は、17520-1248=16272時間内に
彼等の自由に遣える時間はない!たとえ、1分1秒でも。ましてや一般人と
のプライベートな共有時間を持つことは許されない」
ってね。週1回、年間52日の休日。けれども、それさえ完全な自由時間
ではないという事。宣教師になるという事は、そういう事なのでしょう。
だから、いつでも、伝道者(宣教師)だという立場を維持する事。帰国した
イエーツが言ってたもの。
「休日は、次の週のために備える日なんです」
って。その上に、ハッキリ
「信者にはなりません」
って、宣言しちゃってる人間(私)とは、極力間をおこうとする、って自然
な事だって気付いた訳よ。

ミチコサンは、
「がんじがらめですね」
って、おっしゃるけれど、それは、一方的な見方。
特に「契約」という言葉に、感覚が希薄な日本人にありがちな捉え方。
その上特に「GODとの契約」って、想像外の強いものらしいから、彼等が、
相当な決意で、宣教師になったらしいことは、何となくはわかるような気が
するのよ私は、理解は別として。
そして、それが苦痛なんかじゃなく、この上ない栄光であり、幸せな境地に
導かれた結果に、交わされた契約という事、なんじゃないのかしら?ってね。

みんなと同じ、が大好きな日本人。宗教が密着した人種(あえて言う)の厳
しさを理解なんて、出来ないって思うし、理解しようなんて思ってもないって、
見えるもの。ただ、その感覚、考えは、強い宗教観を持たない者同士間のみに通じ
るものでしかない位知っておくべきかも知れないわね。

結果、まあ、人は瞬時に「ラクか楽しい」ことを選択するって、ことらしいから、
気が向いたら、又お誘いしましょう。次は? わからないわね今のところ。
でも、次は「先端技術の粋」を集めたもの、所を案内かしら、なんて思ったり。
そして、私が彼等の行動パターンを読んだのが、正解か否か聞いてみましょう。
けれど、今後は、当日の返事は受け付けないって、言い切るわよ。

宗教がなくても生きていかれる。それは
「あなたならどうする?」
の、気遣い、想像力を駆使して、思いやる気持ちをもてれば、浮世は、楽しいものよ。
今の人たちに決定的に欠落している心作用よ。
「私が私が私がわたしが~~~!!!」
は、地獄なのです。
誰かが言ってたわ。
「地獄って、長~いお箸で食べようとしている人の事。なぜ?その食べ物は、決して
自分の口に入らない。みんなよその人の口に行っちゃうでしょう?」
なら、どうするの? この答がすぐわかった人は、もしかして、神仏に「私を助けて
~~」って言わなくても、人生を楽しく暮らしていける人かもしれないって、思うわ。