まあ、ひどい親と姉を持った人なのね。最悪な家族?フフ、うちだけ?
違うような気がするけど、ま、いいでしょう。追々にわかる事だから。
マザコン、シスコンの告白に、
「ヒヒヒ・・、ど~れどれ」って、人ンチの揉め事(って思ったわよね)って、ほ~ん
と大好き人達は、興味津々のヨダレを流したでしょう。
「続き、続き。なんで?」
って、すべからず、人ンチの不幸そうな話は、3度のご飯より好きっていう人種達がそ
う思ったでしょうね。だからタイトルになったのよ。
幸せだった人は、人の不幸話は受け付けないわ。
「ワイドショー」番組がなくならないのは、そのせいよ。
「もしかして、私より不幸な人がいるかも」って思う事で、自分の境遇と折り合いをつ
けようってする、無意識の行動。
さて、私ンチの事に戻して、
彼女達の名誉のために、「松・竹・梅」ランクで言って、お寿司みたいだけど。
能力的に言えば「松」。なべて「竹の上」くらいの人たちよ。私から見れば、母以外は
少々口が軽い、想像する力は「梅」っていう人達。 まあ、その辺を言うなら、普通の
どこにでもいる女達よ。
幼少期と思春期に、自分より強い人間にどう扱われたか。弱い立場の人間に、どう接して
きたか。そこが加害者になるか被害者になるかね。加害者も元は被害者よ。
子どもに、弟に、妹に、言葉の暴力を与えてこなかったって、言い切れる人が何人いる
かしらねえ。
「もう、アンタって子は!」「何やってんのよ!」「サッサとしなさい、グズなんだか
ら!」「お兄ちゃん(お姉ちゃん)を見習いなさい!」「こんな点数でどうするのよ!」
「お前は、小さいんだから、黙ってろ!」「うるさい!」「生意気言うんじゃない!」
「親の言う事を聞いとけばいいんだ!」など等など等・・・・・。
1片の愛情も感じられない言葉の数々。
そして、長子は「お兄さん(お姉さん)なんだから!」と、勝手に弟だか妹だかを生ん
で上にしといて、言われなき理不尽さで、プレッシャーをかけまくられる日々。
そして、結婚して、はなから当たり前の「性格の不一致」を筆頭理由に離婚。
足元の青い鳥なのに、その鳥を育てる努力を怠って、「今度こそ!」って、再婚。
ハッキリ言って、ズタボロよ、子ども達の心は。
癒されないのよ、一生ね。何の権利があって、人の心を傷つけるのかしら?
そして、ここでも
「人は、辛いと勝手な事をしてもいい」って、見本を見せる親達。
じゃあ、なんなんだったのよ!私達を世の中に送り出した、愛し合っての結果じゃないの?
ええ?! 単なる衝動の結果が私達だったって訳? なら、生まれる前から私達を傷つけ
まくってきたって事? 今更百万遍だら言い訳しても、屁の役にも立たない繰言よ!
こんな環境で育った人間は、萎縮するか、八方破れになるか、根性悪に。
何にしても悲しい人生よ。いつも斜に構えて人を見る。
もう、そこいら辺にウジャウジャでしょう。世相を見ても、悲しい子ども達でいっぱい。
そして、一番の悲劇は、人に心から優しく出来ない人間に育っちゃうって事。
競争心剥き出しの長女という存在。年下、格下の者には負けられないって思ってる、
毒を含む言葉で弱いものいじめをシャラ~って、やってのける可愛げのない女。
長男は又違う。嫌な事からどうやって逃げるか、の事なかれ主義、事大主義。
中に挟まれた人間は、いっつも人の顔色を見て、誰が自分に関心を持ってくれるかが、
最重要課題。人に何かをしてあげるのも、点数稼ぎの悲しき存在。
末っ子? 言い尽くされた生き物よ。
甘ったれ、依頼心の塊、わがまま、泣けば済むと思ってるの?存在。
だけど、その誰もが厚い無意識の層の中でうごめいてるのよ。
ちょっと計算高い人間ならば、手の内なんか、簡単には見せない。
損をしないように、人生を歩もうと頑張る。ソコソコの評価の元でね。
自尊心を満足させるくらいの処世術を駆使して。
けれど、さあここからよ、大事な話は。
どうにか踏ん張って、いい人間であろうとした私が、生きてこられたのは、
やはり、母の存在だったのよ。
言われなき、暴言を、浴びてきたわ。
「個」としての存在を認めてもらえなかった、歯痒さ,
悲しさ、悔しさにどれほど泣いたか。
成績が振るわないといって、長姉との比較。
何もかもを、姉達と比較され続けてきた。
そう、何度死のうかって、思春期に考えたか。
そこをどうやって乗り越えてきたか?
「人生いかに生きるべきか?」
「人生は意気に通じるか否か?で決まる」
「天知る地知る我知る」・・・吉屋信子の作品から?
「料理は誠意の味なくしては、料理とは言わない」
「教育はあっても教養がない人間は、尊敬に値しない」など等など等。
そして、時折見せる親としての顔じゃない、1人の人間の顔に見る無邪気さ、
次々押し寄せる不幸に対して、決して愚痴らなかった潔さと、我が家から消
える物品の、盗人をかばった
「やむにやまれないで、した事よ。なるべく会わないようにするわ。なぜ?
相手のいい訳を聞くのは辛いから」
なんて言う、母を私は反発と同時に、尊敬もしてきたのよ。
そして、彼女を取り巻いた残酷な世界。
「医は仁術なり」を実践してたっていう、医者の父親(私達の祖父)の死。それ
からの流転。戦争。未亡人。一つとして、母の意志が絡まなかった不幸な年月。
そんな母の人生。やるせない境遇から発せられる我が子への感情の爆発。
年端も行かない私でも、そんな母を、不憫に思っていたせいか、母に認めてもら
いたいと焦りまくって過ごした青春時代だったけれど、半身不随の母を、まさに
さらうように横浜の住人にしてしまったのは、母への恩返し。傷つけられたのは
事実だけれど、それを帳消しにするほどの宝をくれたのよ。宝って形があるもの
ばかりじゃないのよ。それは「至宝」となる無形の財産。そして、決して人の悪
口を言わなかった母を、私は誇りに思ってるわ、今でも。
加え、人生の岐路に支えてくれた人々の存在を抜きに、今日の私は語れない。
母の愛+他人の愛を受け取った私は、だから、根性悪のいじめなんかしない。
言い切れるわよ。だって、弱いものいじめなんて言葉は、私の辞書にはないもの。
人は、お金じゃ生きられないのよ。・・・生きる意味を知れば。
「ああ、私はここに居ていいんだ」
って、心から思える時間を持って来たかどうかなのよ。
そして、悲しくも辛い身近な人間から投げられた言葉、あるいは決定的打撃の無視を
受けてきたら、人は深く深く心が傷つき、死ぬまで苦しむと言う事を知らなければ
いけないわ。そして、学習してこなかった事は人にして上げられないのよ。
人格形成期と思春期に愛されなかった(シッカリ本人が感じ取れなかった)人は、
人を愛せない。
これからの日本は、お金に身売りしちゃった親達に育てられた、否 養われた子ども
達だらけになるわ。本当に何が大事か知らない人間で、溢れかえる。だって、育てて
もらってない子ども達なんですもの、可哀想に。彼等は、否 もしかしたらあなたも、
息を引き取るまで、愛を欲しがるのかもしれないわね。そんな今の日本人ね。
マザコンもシスコンも、ぜ~んぜん自覚してなかったのよ。だから、恨んだりもなか
った。ただよく見聞きする姉妹同士の会食や旅行なんかは、私はパス。たま~に付き
合うくらいのものよ。価値観が違いすぎるからね。だからって、なんてこともなくき
たんだけど、2度の大手術で、落ち込んだ私が自発的にカウンセリングを受けていた
途中に、「ああ、私ってすごいマザコン、シスコンだったんだ。全て、ここが出発点
で、分岐点だったんだわ」
って、気がついたって、訳だったのよ。長い年月だった。
でも、前にも書いたけれど、78才の息子が、99才の母親を許せなかった、甘えた
かったって、2ヵ月後に、まるで後を追うかのように、亡くなった近所の男性。
笑えない話よ。自分の力ではどうしようもない不幸な境遇に生きなければならなかった
人の辛さは、窺い知れない闇となって、住みつづけるのよ。
女にありがちな、意地の悪さ。根性のひん曲がり。もう1回、親や兄弟姉妹との関係を
洗い直したらいいわ。心のどこかに「もっと私の事を愛して~!」って叫んでる自分が
いるのかも知れないから。
そこを満足させないと、まわりの人に害をばらまく存在になるわ。
カウンセラーは、ひたすら聞いてくれるのよ。心の中を洗いざらいぶちまけてみたら、
「エッ、こんなことがひっかっかってたの?これが全ての元だったの?」
って、自分でもビックリするような事が出て来て、そして、整理されるのよ。
解放されるわよ。へ~んな宗教につかまるよりいいんじゃない?保険も使えるわ。
違うような気がするけど、ま、いいでしょう。追々にわかる事だから。
マザコン、シスコンの告白に、
「ヒヒヒ・・、ど~れどれ」って、人ンチの揉め事(って思ったわよね)って、ほ~ん
と大好き人達は、興味津々のヨダレを流したでしょう。
「続き、続き。なんで?」
って、すべからず、人ンチの不幸そうな話は、3度のご飯より好きっていう人種達がそ
う思ったでしょうね。だからタイトルになったのよ。
幸せだった人は、人の不幸話は受け付けないわ。
「ワイドショー」番組がなくならないのは、そのせいよ。
「もしかして、私より不幸な人がいるかも」って思う事で、自分の境遇と折り合いをつ
けようってする、無意識の行動。
さて、私ンチの事に戻して、
彼女達の名誉のために、「松・竹・梅」ランクで言って、お寿司みたいだけど。
能力的に言えば「松」。なべて「竹の上」くらいの人たちよ。私から見れば、母以外は
少々口が軽い、想像する力は「梅」っていう人達。 まあ、その辺を言うなら、普通の
どこにでもいる女達よ。
幼少期と思春期に、自分より強い人間にどう扱われたか。弱い立場の人間に、どう接して
きたか。そこが加害者になるか被害者になるかね。加害者も元は被害者よ。
子どもに、弟に、妹に、言葉の暴力を与えてこなかったって、言い切れる人が何人いる
かしらねえ。
「もう、アンタって子は!」「何やってんのよ!」「サッサとしなさい、グズなんだか
ら!」「お兄ちゃん(お姉ちゃん)を見習いなさい!」「こんな点数でどうするのよ!」
「お前は、小さいんだから、黙ってろ!」「うるさい!」「生意気言うんじゃない!」
「親の言う事を聞いとけばいいんだ!」など等など等・・・・・。
1片の愛情も感じられない言葉の数々。
そして、長子は「お兄さん(お姉さん)なんだから!」と、勝手に弟だか妹だかを生ん
で上にしといて、言われなき理不尽さで、プレッシャーをかけまくられる日々。
そして、結婚して、はなから当たり前の「性格の不一致」を筆頭理由に離婚。
足元の青い鳥なのに、その鳥を育てる努力を怠って、「今度こそ!」って、再婚。
ハッキリ言って、ズタボロよ、子ども達の心は。
癒されないのよ、一生ね。何の権利があって、人の心を傷つけるのかしら?
そして、ここでも
「人は、辛いと勝手な事をしてもいい」って、見本を見せる親達。
じゃあ、なんなんだったのよ!私達を世の中に送り出した、愛し合っての結果じゃないの?
ええ?! 単なる衝動の結果が私達だったって訳? なら、生まれる前から私達を傷つけ
まくってきたって事? 今更百万遍だら言い訳しても、屁の役にも立たない繰言よ!
こんな環境で育った人間は、萎縮するか、八方破れになるか、根性悪に。
何にしても悲しい人生よ。いつも斜に構えて人を見る。
もう、そこいら辺にウジャウジャでしょう。世相を見ても、悲しい子ども達でいっぱい。
そして、一番の悲劇は、人に心から優しく出来ない人間に育っちゃうって事。
競争心剥き出しの長女という存在。年下、格下の者には負けられないって思ってる、
毒を含む言葉で弱いものいじめをシャラ~って、やってのける可愛げのない女。
長男は又違う。嫌な事からどうやって逃げるか、の事なかれ主義、事大主義。
中に挟まれた人間は、いっつも人の顔色を見て、誰が自分に関心を持ってくれるかが、
最重要課題。人に何かをしてあげるのも、点数稼ぎの悲しき存在。
末っ子? 言い尽くされた生き物よ。
甘ったれ、依頼心の塊、わがまま、泣けば済むと思ってるの?存在。
だけど、その誰もが厚い無意識の層の中でうごめいてるのよ。
ちょっと計算高い人間ならば、手の内なんか、簡単には見せない。
損をしないように、人生を歩もうと頑張る。ソコソコの評価の元でね。
自尊心を満足させるくらいの処世術を駆使して。
けれど、さあここからよ、大事な話は。
どうにか踏ん張って、いい人間であろうとした私が、生きてこられたのは、
やはり、母の存在だったのよ。
言われなき、暴言を、浴びてきたわ。
「個」としての存在を認めてもらえなかった、歯痒さ,
悲しさ、悔しさにどれほど泣いたか。
成績が振るわないといって、長姉との比較。
何もかもを、姉達と比較され続けてきた。
そう、何度死のうかって、思春期に考えたか。
そこをどうやって乗り越えてきたか?
「人生いかに生きるべきか?」
「人生は意気に通じるか否か?で決まる」
「天知る地知る我知る」・・・吉屋信子の作品から?
「料理は誠意の味なくしては、料理とは言わない」
「教育はあっても教養がない人間は、尊敬に値しない」など等など等。
そして、時折見せる親としての顔じゃない、1人の人間の顔に見る無邪気さ、
次々押し寄せる不幸に対して、決して愚痴らなかった潔さと、我が家から消
える物品の、盗人をかばった
「やむにやまれないで、した事よ。なるべく会わないようにするわ。なぜ?
相手のいい訳を聞くのは辛いから」
なんて言う、母を私は反発と同時に、尊敬もしてきたのよ。
そして、彼女を取り巻いた残酷な世界。
「医は仁術なり」を実践してたっていう、医者の父親(私達の祖父)の死。それ
からの流転。戦争。未亡人。一つとして、母の意志が絡まなかった不幸な年月。
そんな母の人生。やるせない境遇から発せられる我が子への感情の爆発。
年端も行かない私でも、そんな母を、不憫に思っていたせいか、母に認めてもら
いたいと焦りまくって過ごした青春時代だったけれど、半身不随の母を、まさに
さらうように横浜の住人にしてしまったのは、母への恩返し。傷つけられたのは
事実だけれど、それを帳消しにするほどの宝をくれたのよ。宝って形があるもの
ばかりじゃないのよ。それは「至宝」となる無形の財産。そして、決して人の悪
口を言わなかった母を、私は誇りに思ってるわ、今でも。
加え、人生の岐路に支えてくれた人々の存在を抜きに、今日の私は語れない。
母の愛+他人の愛を受け取った私は、だから、根性悪のいじめなんかしない。
言い切れるわよ。だって、弱いものいじめなんて言葉は、私の辞書にはないもの。
人は、お金じゃ生きられないのよ。・・・生きる意味を知れば。
「ああ、私はここに居ていいんだ」
って、心から思える時間を持って来たかどうかなのよ。
そして、悲しくも辛い身近な人間から投げられた言葉、あるいは決定的打撃の無視を
受けてきたら、人は深く深く心が傷つき、死ぬまで苦しむと言う事を知らなければ
いけないわ。そして、学習してこなかった事は人にして上げられないのよ。
人格形成期と思春期に愛されなかった(シッカリ本人が感じ取れなかった)人は、
人を愛せない。
これからの日本は、お金に身売りしちゃった親達に育てられた、否 養われた子ども
達だらけになるわ。本当に何が大事か知らない人間で、溢れかえる。だって、育てて
もらってない子ども達なんですもの、可哀想に。彼等は、否 もしかしたらあなたも、
息を引き取るまで、愛を欲しがるのかもしれないわね。そんな今の日本人ね。
マザコンもシスコンも、ぜ~んぜん自覚してなかったのよ。だから、恨んだりもなか
った。ただよく見聞きする姉妹同士の会食や旅行なんかは、私はパス。たま~に付き
合うくらいのものよ。価値観が違いすぎるからね。だからって、なんてこともなくき
たんだけど、2度の大手術で、落ち込んだ私が自発的にカウンセリングを受けていた
途中に、「ああ、私ってすごいマザコン、シスコンだったんだ。全て、ここが出発点
で、分岐点だったんだわ」
って、気がついたって、訳だったのよ。長い年月だった。
でも、前にも書いたけれど、78才の息子が、99才の母親を許せなかった、甘えた
かったって、2ヵ月後に、まるで後を追うかのように、亡くなった近所の男性。
笑えない話よ。自分の力ではどうしようもない不幸な境遇に生きなければならなかった
人の辛さは、窺い知れない闇となって、住みつづけるのよ。
女にありがちな、意地の悪さ。根性のひん曲がり。もう1回、親や兄弟姉妹との関係を
洗い直したらいいわ。心のどこかに「もっと私の事を愛して~!」って叫んでる自分が
いるのかも知れないから。
そこを満足させないと、まわりの人に害をばらまく存在になるわ。
カウンセラーは、ひたすら聞いてくれるのよ。心の中を洗いざらいぶちまけてみたら、
「エッ、こんなことがひっかっかってたの?これが全ての元だったの?」
って、自分でもビックリするような事が出て来て、そして、整理されるのよ。
解放されるわよ。へ~んな宗教につかまるよりいいんじゃない?保険も使えるわ。