昨日、続いてポリーチャンからメール。
「ああ、そうでしたね。その質問に応えていませんでした。はい、女の人のような
名前ですが、男の人です」
♪(5番街のマリーのメロディで)スコットランドへ行ったなら~~(字余り
マリーのうちへ行き~~、どんな~暮らし~してい~るのか見てき~て欲しい~)♪
元・眼科医のその方は、引退後の今は”Health and Happiness"を著作中。
バイクで移動、毎日水泳、食事に気を遣う、という73才ですって。
60才あたりから、大きく様変わりする。
健康管理に気を遣う人と、ほったらかし、自然のままにって人とに。
美容院へ向かう途中。1駅歩いて、もちろん自宅からですから、結構な距離です。
30~40代は、どこへ行くのも車・車・車でした。
馬専科(三男)に、よく言われたものです、
「気がつけば車椅子!になっちゃうよ」
って。
何しろ、自他共に認める怠け者の私ですから、即座に
「そんなことはない!」
って言えなかったものです。
この9月で8年になるクモ膜下出血による手術から。
術後、しばらく雲の上を歩いているような心もとない歩行でした。
それでも、2年後のドクターの言葉は「もう、何をしてもよろしい!」でした。
スクーバダイビングも、もちろん車の運転もです。
そして、私はできるだけ自分の足で目的地まで歩くことにしました。1駅は必ず
歩きます。手入れの行き届いたお庭に感心します。歩かなければわからない、
見過ごしてしまう様々な風景に出会う嬉しさがあります。
けれども、元々怠け者の私ですから、できるだけ家内をしています。ハッキリ・
クッキリした目的があって、やっとお神輿を上げる体たらくですから、久し振りの
徒歩移動は、ちょっとくたびれました。
そのまま美容院へは行かず、ちょっと寄り道は「春風書房」古本屋。
オ-ナーは、ブラジル生活経験者の同い年女性。
とりとめもない話をして、
「知的好奇心は、脳みその刺激になるしボケ防止かもしれないけれど、その前に
身体が言う事を聞かなくなったら、お手上げよね?」
お母様の面倒を見ながらの経営者は、しみじみとそうおっしゃるのです。
そう、その通り!
誰かのお世話になって、人生の幕引きは行われます。それまで、自分に甘えないで、
とりもなおさず、他者へ依存しないで、日々を過ごさなくてはならないって、心底
思います。
医療費が? ・・・・・・ 誰が医者にかかっていい!って?・・・
最近の私、・・・これは?・・痛い!イタッ!ウッ!ウォーこの痛さ~~~
しゃがむ時の痛さ。立ち上がる時の激痛。何かにつかまらなければ立ち上がれない
のです。だから?それで?・・・・・もちろん誰にも言いません。
自分の不都合、不具合を、当たり前の事のように他者へ言うって、どういう神経?
いつも そう思ってきました。なんて、独り善がりの、他者への配慮を欠いた、
私をいたわるべき、助けるべし、可哀想がるべし、それが当たり前。なぜなら、
今の私は弱者なのだから。--------恐るべき傲慢。
弱者救済って言葉も大嫌いです。そこには自助努力、自身を頼まない怠慢さが
見え隠れするからです。
「アッチがコッチが痛い・具合が悪い・不快・辛い」など等。
それを、しかも、世の中で一番大切な家族へ言い散らして、次は友人・知人、
近所の人たちに、垂れ流す。
で?・・・その状況が好きだからでしょう? 人の事なんか、それを聞いた人が
どんなに不愉快か、自分の非力を認めなくてはならない辛さを味わわせている
なんて、毛ほども思わない、想像力の欠落人。
私自身は、そんな最低人間にはなりたくありませんし、自身を頼まなくて誰を
頼むの?って常々思っていますから、その激痛に対して、
「今度はこれ? 懲りずに色々と手を変え品を変えで迫ってくるわねぇ。だけど、
それに泣き言を言うなんて、思っちゃあいないでしょうね。病院へ行く?
まあ、正直に言えば、チラッと思わなかった訳じゃあないわ。エッヘン!で、ね、
ふざけるんじゃない!何をトチ狂ってるのよ、さっさと元通りになりなさい!」
そうねえ、軽く1週間は闘ったわね、痛さと。
今? エッ、何かあった?・・・・・・・よ。
家人にも、そぶりも見せなかったわよ。そんな権利はない!からです。
何事も、ホットなうちは素知らぬ振りが肝要。
ある、物語くらいまで冷めてから、----実は・・・・・がいいのです。
誰も自分以外の人の主人公にはなれないのですから、心身ともに責任を持つのは
本人だけです。
「頼みはあなた(自分自身)だけって事、しっかり覚えるのよ!わかった?
誰も助けてはくれないって肝に銘じてね!」
ええ、ちゃんと自分を支えます。そこまで頼られたら、ほかでもない自分自身の事
ですから、見事な働きをしてくれます。
「ああ、やっぱり私って凄い!ありがとうね、嬉しいわ」
あらん限りの賛辞を我が身に与えます。
お笑いになられます?だとしたら、ご自分の事をお好きではないって事です。
シクシク泣いていますご自身が。もしかして、誰それと、何々と、なんて比較
なんかしてません?最低なことですよ。個々人は、比較する存在ではないのです。
私は私、あなたはあなた、これ以上でも以下でもないのです。
73才のイギリス男性は、頼みは自分自身ってことをようくご存知の方なのでしょう。
孫のような年令差のあるポリーちゃんへ、大きなお住まいの1室を提供して、
瞬時の判断を要求されるバイクに乗って、持久力を必要とする水泳で、筋肉を刺激、
脳みそをフル回転させて、著作作業。こういう人に出会う(聞く)と、ああ、自分
自身を大事にしている人なんだって、なに人であろうと、そういう人の存在が
嬉しいわね。ご自身が著作されるのですから、ポリーちゃんにとって、またとない
理解者が現れたってことで、それが何より嬉しいのです。
まあ、イギリス人の独立独歩精神は、あの石の堅牢建築物にも滲み出ているわね。
依存?そんな言葉は存在しませんって感じのね。
「ああ、そうでしたね。その質問に応えていませんでした。はい、女の人のような
名前ですが、男の人です」
♪(5番街のマリーのメロディで)スコットランドへ行ったなら~~(字余り
マリーのうちへ行き~~、どんな~暮らし~してい~るのか見てき~て欲しい~)♪
元・眼科医のその方は、引退後の今は”Health and Happiness"を著作中。
バイクで移動、毎日水泳、食事に気を遣う、という73才ですって。
60才あたりから、大きく様変わりする。
健康管理に気を遣う人と、ほったらかし、自然のままにって人とに。
美容院へ向かう途中。1駅歩いて、もちろん自宅からですから、結構な距離です。
30~40代は、どこへ行くのも車・車・車でした。
馬専科(三男)に、よく言われたものです、
「気がつけば車椅子!になっちゃうよ」
って。
何しろ、自他共に認める怠け者の私ですから、即座に
「そんなことはない!」
って言えなかったものです。
この9月で8年になるクモ膜下出血による手術から。
術後、しばらく雲の上を歩いているような心もとない歩行でした。
それでも、2年後のドクターの言葉は「もう、何をしてもよろしい!」でした。
スクーバダイビングも、もちろん車の運転もです。
そして、私はできるだけ自分の足で目的地まで歩くことにしました。1駅は必ず
歩きます。手入れの行き届いたお庭に感心します。歩かなければわからない、
見過ごしてしまう様々な風景に出会う嬉しさがあります。
けれども、元々怠け者の私ですから、できるだけ家内をしています。ハッキリ・
クッキリした目的があって、やっとお神輿を上げる体たらくですから、久し振りの
徒歩移動は、ちょっとくたびれました。
そのまま美容院へは行かず、ちょっと寄り道は「春風書房」古本屋。
オ-ナーは、ブラジル生活経験者の同い年女性。
とりとめもない話をして、
「知的好奇心は、脳みその刺激になるしボケ防止かもしれないけれど、その前に
身体が言う事を聞かなくなったら、お手上げよね?」
お母様の面倒を見ながらの経営者は、しみじみとそうおっしゃるのです。
そう、その通り!
誰かのお世話になって、人生の幕引きは行われます。それまで、自分に甘えないで、
とりもなおさず、他者へ依存しないで、日々を過ごさなくてはならないって、心底
思います。
医療費が? ・・・・・・ 誰が医者にかかっていい!って?・・・
最近の私、・・・これは?・・痛い!イタッ!ウッ!ウォーこの痛さ~~~
しゃがむ時の痛さ。立ち上がる時の激痛。何かにつかまらなければ立ち上がれない
のです。だから?それで?・・・・・もちろん誰にも言いません。
自分の不都合、不具合を、当たり前の事のように他者へ言うって、どういう神経?
いつも そう思ってきました。なんて、独り善がりの、他者への配慮を欠いた、
私をいたわるべき、助けるべし、可哀想がるべし、それが当たり前。なぜなら、
今の私は弱者なのだから。--------恐るべき傲慢。
弱者救済って言葉も大嫌いです。そこには自助努力、自身を頼まない怠慢さが
見え隠れするからです。
「アッチがコッチが痛い・具合が悪い・不快・辛い」など等。
それを、しかも、世の中で一番大切な家族へ言い散らして、次は友人・知人、
近所の人たちに、垂れ流す。
で?・・・その状況が好きだからでしょう? 人の事なんか、それを聞いた人が
どんなに不愉快か、自分の非力を認めなくてはならない辛さを味わわせている
なんて、毛ほども思わない、想像力の欠落人。
私自身は、そんな最低人間にはなりたくありませんし、自身を頼まなくて誰を
頼むの?って常々思っていますから、その激痛に対して、
「今度はこれ? 懲りずに色々と手を変え品を変えで迫ってくるわねぇ。だけど、
それに泣き言を言うなんて、思っちゃあいないでしょうね。病院へ行く?
まあ、正直に言えば、チラッと思わなかった訳じゃあないわ。エッヘン!で、ね、
ふざけるんじゃない!何をトチ狂ってるのよ、さっさと元通りになりなさい!」
そうねえ、軽く1週間は闘ったわね、痛さと。
今? エッ、何かあった?・・・・・・・よ。
家人にも、そぶりも見せなかったわよ。そんな権利はない!からです。
何事も、ホットなうちは素知らぬ振りが肝要。
ある、物語くらいまで冷めてから、----実は・・・・・がいいのです。
誰も自分以外の人の主人公にはなれないのですから、心身ともに責任を持つのは
本人だけです。
「頼みはあなた(自分自身)だけって事、しっかり覚えるのよ!わかった?
誰も助けてはくれないって肝に銘じてね!」
ええ、ちゃんと自分を支えます。そこまで頼られたら、ほかでもない自分自身の事
ですから、見事な働きをしてくれます。
「ああ、やっぱり私って凄い!ありがとうね、嬉しいわ」
あらん限りの賛辞を我が身に与えます。
お笑いになられます?だとしたら、ご自分の事をお好きではないって事です。
シクシク泣いていますご自身が。もしかして、誰それと、何々と、なんて比較
なんかしてません?最低なことですよ。個々人は、比較する存在ではないのです。
私は私、あなたはあなた、これ以上でも以下でもないのです。
73才のイギリス男性は、頼みは自分自身ってことをようくご存知の方なのでしょう。
孫のような年令差のあるポリーちゃんへ、大きなお住まいの1室を提供して、
瞬時の判断を要求されるバイクに乗って、持久力を必要とする水泳で、筋肉を刺激、
脳みそをフル回転させて、著作作業。こういう人に出会う(聞く)と、ああ、自分
自身を大事にしている人なんだって、なに人であろうと、そういう人の存在が
嬉しいわね。ご自身が著作されるのですから、ポリーちゃんにとって、またとない
理解者が現れたってことで、それが何より嬉しいのです。
まあ、イギリス人の独立独歩精神は、あの石の堅牢建築物にも滲み出ているわね。
依存?そんな言葉は存在しませんって感じのね。