ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

出来る!よ

2008-06-29 09:47:45 | Weblog
生徒は3人。黒1点(なんて言う?)の男性生徒はお休み。
相変わらずお若い格好の先生。そして、よくお似合いの素敵なフィギュァ。
ポリーちゃんに言われた"ナイスボディは失礼”、とっても下品ですって。

生徒は3人ですから、す~ぐ当たる当たる先生との応答。
宿題?先生曰く
「又やり直しって言っても間違えるよ」・・・トホホホホホホ全員。
私も先生の真似事をしてみてよ~くわかったそのご苦労。
教える難しさ、習う気楽さをね。
でも、自分の覚えの悪さにいい加減厭になってるのも事実。で、諦める?
「不!」・・いいえ!
出来るだけ文字を見ないで!に挑戦するのだけど、これがね~~~。
今回いただいたプリントの中身は、東西南北道路に関する、否方角に関して
中国人がこだわる話。その中国語を読むことの難しさ。「東西は物」でも
遣う単語。場面で違う発音よ。
下記の問題をチラッと見れば、オ~いよいよ登場 和文中訳。
これがすんなり出来れば大きく中国語へ近づいた、理解しているってこと?「対」・・そう。
いつものように疑問文に直すそれと、その問題(中訳)が宿題。
たまには1回で通過したい宿題なんだけど・・・加油!・・頑張ろう!

「サッ、会話!」
何しろ3人(と言ってもいつもも4人だけど)ですからす~ぐ回ってきます。
「・・・・???」
思考ストップ。言葉が出てこない。どうしよう!?アラッ本当に、????
「次!」
「アッ、わかりました!」
自分ではないって状況になった途端、わかって応えられる。
「緊張するのよ」
って、先生はおっしゃって下さるのだけど、簡単な、いつも投げかけられる
ごくごく当たり前の質問に、フッと頭の中が空白状態になってしまう情けなさ。
ク・ヤ・シ・イ~~~、情けな~~い、緊張する軟(やわ)な私の脳みそがね。

まあ、言い聞かせましょう。
ーーー出来る出来る出来るあなたは出来る、継続は力なりだから逃げないで!
ってね。おまじないみたいに、言うのよ。
この「出来る出来る」って重要な言葉かも知れないわ。
ああ、なんで出来ないのかしら?ああ、ダメ。もうダメ!どうせ無理なのよ、
って、結果が思わしくないと、そう思いがちなのよね?ドンドンドンドン
それから遠のこうとする思考方向。無意識に離そうとする自分。じゃない?
結果が良い訳がないのは当たり前ね。「出来る出来る」は、近づく言葉よ。
それは肯定の言葉ですから、ホンジャマッ!って、言うかどうかは別として、
前向きに考えてみましょう!(政治家の発言みたいで厭だけど)にね。

 子どもの頃、教師や親や周りの大人たちに言われてこなかった否定言葉や
比較言葉を雨霰って?
「どうして出来ないの?」「お前はダメなんだから!」「何々ちゃんは」
「お兄さん・お姉さんを見習いなさい」って。
あれは、言葉のギロチンよ。その子の未来をぶった切っているのよ。
フランス革命の時に使われた、あの恐ろしい未来を断ち切ったあれを多くの
大人たちがしてきていることを知らなきゃね。
否定の言葉を浴びてきた子が、未来に悲観したからって、その子を非難できる?
生まれたての子馬や子羊、哺乳動物がヨロヨロしながら立ち上がるシーンを
見たことがあるでしょう?映像で。人間は、独り立ちするまでに長い年月が
かかるのよね?自分の力で開けなければならない思春期という大きくて抵抗が
強く重い扉を開ける時に、何がその子の力になるか?
それは、そこまでの成長過程で浴びた賛辞、励ましの言葉に他ならないのです。
「ええ、あなたは出来るのよ」
「信じなさい自分の力を」
「素晴らしい」
「出来なかった?大丈夫大丈夫、きっと出来るようになるわ」
「いつまで待つのって?あなたが生きている間ずうっとよ」
きっと、そんな言葉で育ってきた子は、自分を捨てないはずです。自分の
可能性を信じることが出来、人の可能性も信じられる人間になるって、
迷うことなく私は確信しているのです。

 高校の英語で習いましたね?
   LIFE IS SHORT BUT ART IS LONG 人生は短く芸術は長い
って。ふ~ん、そんなものかいな?だったわね、その頃は。
でも、ここ迄生きてくれば、そうでもあるけれど そうでもないわって、
すべからく 言い切れないって思うようになったわね。
だって、1日24時間は、万人に平等に、そうこれだけは誰にでも平等に
与えられているものよ。気の遠くなるような事に挑戦している、結果を出す
「二兎を追う者一兎も得ず」?とんでもない、幾つものことを同時にする
人もいるわ。相乗効果があることを知っている人。全く違うことに敢えて
挑んでいる人、数え切れないほど楽しい人生を歩んでいる人がいる。
たった数%しか遣われない生涯使役脳みそ。
人の事なんか構っちゃいられない筈なのよ。子ども?
「君は凄い!偉い!世界一!」あとは、可能性に関して放って置く。
それより自分の脳みそでしょ!?
何にも挑戦しないで、人のあら探し?芸能人?政治?政治が高度なものだ
なんてこれっぽっちも思ってない私は、それに関しての興味もないわ。
あとは、自分は別格、できっこないって、とっくのとうに諦めて。
そう、そこよね。育って(こなかった)来る過程で、否定と比較の言葉を多く
浴びてきちゃったから、今更又惨めな(って思っちゃう)気分なんか味わい
たくないって、いっつもいっつも逃げ、拒否の姿勢ね。

私?もう比較比較比較の中で。苦しかったわねえ。励ましなんて要らない!
順位をつけたがる、常に上位に位置することを望んでいた母でした。
母の人生を思えば、やんぬるかな!でした。子ども心にもわかっていました
から、とりたてて反抗もしませんでした。たった一度だけ、後ずさりしながら
「比較するなんてナンセンス」って、言ってのけたことがありましたが。
その時の母の絶望のような姿をかい間見た時のショックは、未だに脳裏に
焼きついています。でも、心底そう思っていた私です、今尚、ええ、それが
とっても大事なことなのです。比較なんて思うことすら恥ずかしい、薄い
脳みそ働きって、確信です!

そして、その苦しい苦しい身もだえするような絶望の淵に陥らないように
するために、
「出来る出来る私は出来る。人生はそのためにある」って自分に思い込ま
せることが絶対に必要なのです。
子どもなら、周りの大人が言い聞かせる。
自分自身には自分が毎日、言い聞かすのです念仏のように。そうして、やっ
と人は「希望」という二文字に出会えるのです。ぼんやりとしてても、その
二文字が、自分の脳裏に浮かび上がってくるのです。でも、そこまでになる
には、「大丈夫!出来る!」って、言い続けることが不可欠なのは言うまで
もありません。脳みそはすぐ忘れるのです。ですから、言い続けることが
必要なのです。いとしい自分のために。誰とも比較することのない、そんな
ナンセンスなためじゃなくです。人?関係ない!のよ。声を大にして言いた
いわ。人を意識するから落ち込んだり、舞い上がったりって、無駄なことを
するのよ。全て自分のため!何番目?前に書いたように世界で?なら面白い
けれどね。

話は大きくカーブしちゃったけれど、ひたすら「対・・・そうです」のお言葉
を頂きたい私なのです。そして、スペイン語も中国語も、出来れば(出来る!)
英語も、これから増やそうと思っている外国語全て、ネイティブと話したいっ
て、それだけよ。
だって世界はグッグッグ~~~~ンって広がるのは目に見えてるじゃない!
だから、今日もめげずに、「私は出来る!」って言い聞かして問題集をやります。
出来なかったら?出来るわよ!そんな失礼なことを自分、自分によ!言いません。