親が子どもに願う事って何だろうか、こんな疑問がフト脳裏をかすめる。何とお答えだろうか。一般論だが、それは「健康」と「健やかな成長」の二択では無かろうかと思っている。しかも望まれるのは人間様に限らず、あらゆる生命体に関わるものでは無かろうか。こんな事を考え出したのは、とある現場を目撃した事による。他でもない、カラスの教育現場を目の当たりにしてしまったのだ。現場は農園の西端、長老の「キュウリ畑」である。親子のカラスが、朝から何やら騒がしかった。カアー、カー、ガオー、ガウオー・・・・といった賑やかな鳴き声が。生憎、カラス語は理解不能だが、言いたい内容は大凡想像がつく。①安全を確認せよ、②目的物を特定せよ、③ネットや糸に留意せよ、④対象物を食いちぎれ、⑤素早く現場から離脱せよ、⑥現場に証拠を残すな・・・・・・恐らくこういった内容を教え込んでいるのだろう。カラスが何日で親離れするのかは不明だが、必死の模様だ。
少し背丈の異なるカラスが二羽だから、親子に相違ないだろう。春先に生まれた子ガラスに、「生きる術」を教え込んでいるものと思われる。上述のように、生後何日かたつと子ガラスは親離れする。以後は自力で食料を確保して生き抜かねばならないのだ。それにしても教育現場に選ばれた長老の畑が気の毒、後ほど現場を訪ねてみたら、彼方此方にキュウリの食い散らかしが。親の教えも十分では無いようだ。子ガラスにしたら、美味しいキュウリに食らいつくのに必死・・・・・といった状況だろうか。何で長老のキュウリ畑に・・・・・・と推察してみた。現場は農園の西端、人の出入りは少ない箇所だ。森がすぐ側にあり、カラスは身を隠しやすい。朝早くの時間帯で、現場をうろつく者も見当たらない。キュウリの成長が早く大きめな実が付いている。防鳥ネットを張られていない。・・・・・・といった事由に因るものだろうか。
獣害、鳥害、虫害・・・・への憤慨も当然だが、親が子どもに寄せる情愛を眺めていると、何やら怒りも少しは収まってくる。彼らも生きているのだなあ・・・・との思いにかられ、つい余計な事を連想してしまうのだ。「作物は獣や鳥や虫が半分、人間の取り分が半分」と。ネットを張ったり、薬剤を使用したり、妨害用具を設置したり・・・・の防除工作をすべきだが、ついつい甘く成ってしまうのだ。願える事ならば、特定の某かの作物に集中して食害してくれたら、そう願っているのだが無理な話かな。