こうもうだるような暑さが続いてくると、逆に静謐で清楚な世界が恋しくなって来る。この季節「白蓮」の姿を追い求めるのも、季節の影響かもしれない。当地にはハス池が少なく、訪問するのも限られてくるのが残念だが、とある山寺のハス池が恒例の訪問地だ。ハスは早朝に咲くと聞く。早めの訪問がベターなんだろう。カメラ1台をお供に、早めに訪れた。流石に参拝者も無く、静かな境内は蝉の声で喧噪の世界へと変わりつつあった。池を覗くと一面のハスの世界、一斉に咲くのでは無く順番に咲いていくようで、若い蕾、膨らんできた開花間近の蕾、咲き始め、散り始め・・・・・といろんなパターンで、それこそ清楚な姿を表現していた。ホッとする一時である。
仏教界では、「蓮華は汚泥の中に咲く」との表現が用いられるようだが、恐らくは比喩的なたとえ話であるのだろう。勝手な憶測をお許し願えれば、蓮華とは仏陀つまり悟りを開いた人との意味合いで、汚泥とは喧噪・錯綜の現世社会を指すのでは・・・・とこれまた推測。つまり、覚者の世界に入るには、天国や浄土の世界を待つ必要は無く現世社会で可能だとの意味合いではなかろうか。ご存じの方々に伺ってみたいものである。理屈はともあれ、ハスの美しさに惹かれるというのが、単純な本音であるだろうか。何枚かの画像をご紹介しておきましょう。
この山寺を訪ねるようになって久しくなるが、何時も変わらず白蓮の花を咲かせてくれる。所属の宗派が曹洞宗ということもあってか、修行の厳しさと白蓮の清楚さとが不思議とマッチした世界を形作っているようだ。夏の暑さの中で開花期を迎えるというのも、ある意味配慮された演出なのかも知れない。自然界の奥深さに、フト、静かな感動を覚えてくる。