「否定しない」は"技術"であると同時に"習慣"でもある
この考え方が集団原理に基づいているなら、何となく陳腐なもののように感じられてしまい、ショックを受けている。
こうすれば大丈夫!という内容ではないが、小中学生を沢山見ている著者から見た現実が沢山語られている。
子どもとルールを決める。必要なのは厳しさではなく細かさ。
ルールは破られる。破られた時のことを、一発アウトではなく、運転免許違反のように決めてる。
ルールを子供と決めて、見直していく。
ルールがあっても大変な道のりになるが、少しは落ち着いて話を進める手掛かりになる。
篠田真貴子さんのXを見て手に取る。
https://twitter.com/hoshina_shinoda/status/1738594245626466416
「欠乏」は人の能力を下げる。能力がないのではなく、発揮できない状態になる。
能力がないから低所得になるのではなく、低所得では能力が発揮できない。
所得だけなく「時間がない」という人も同じ状態になる。
欠乏が、そうした状態させる理由が丁寧に説明されている。
欠乏はお金のこともあれば、時間のこともある。
どちらも能力を低下させる。
欠乏のメカニズムはわかったが、対処方法はあまり書かれていない。
緊急でないことに取り組むことが遅れがちなので、重要なこと、欠乏を起こさない施策にきちんと取り組むこと。
トンネリング:目下の注目事項しか目に入らない状態。注目事項に集中して成果を上げられるが、他の大切なことを冷静に順位付けしたわけでなく見ない状態になる。
処理能力の低下:欠乏が能力の一部を常に消費して、いまやるべきことの能力が下がる
欠乏の罠:目の前のことをこなすために借金をすることで借金が膨らむ。毎日が回るだけでなく、突発事態に対応できるまでの余裕があって初めて安定した状態になる。何かのボーナスで借金が消えても、突破事態が起これば借金生活になる。余裕ができた時にこそ、事態を良くするための行動が必要。余裕がなければ、重要だが緊急でないことに取り組めない。余裕がある時、遊ぶ・浪費で、重要な行動を取るのが難しいが、それに取り組むことでしか、余裕は作れない。欠乏に集中しないように、欠乏・欲望以外のところに目を向けて気持ちを切り替えること。
組織における欠乏の対処:残業で労働時間を増やしても処理能力は下がり、残業しない方が処理能力が高くなる。次のプロジェクトから借り入れをすると利子がついて状況がより悪くなる。事態を好転させるための手立てが見えない。トンネリングの範囲に入っていない人が、重要だが緊急でないために手が打たれない部分にスポットあてる、ということか。
日常生活の欠乏対策:リマインダーによるトンネリングの最上位に入り込む。給与天引きで自動化。賢く先手を打つ(個人トレーナーを雇う、正しい食品で冷蔵庫を満たす)。長い期限を段階的にいくつかに区切る。
新人さんが面白いと言っていたので手に取った。
確かに面白い。読み始めると、ページをめくる手が止まらず、445ページを2日で駆け抜けてしまった。
ただ、登場人物の謎の行動の原因が虐待の結果のため、納得はしても共感しきれず。
エンタメとしては良いです。
不登校など、現代の生きづらさについて、第1章の「迷惑をかけるな憲法」の説明は納得感が高かった。
昭和98年的世界、標準化・規格化、生産性が重視され、そこから外れると「自己責任」と突き放される。
その呪縛から解き放たれるには、依存先を増やし、自分の唯一無二性に出会い直し、他者と関係することが必要。
著者が子育てを通じて、自分の影となっていた思い込みに気付き、著者の専門とあいまって、ケアをすることはケアされること、という厚みのある言葉に出会えた。
Voicy「荒木博行のBook Cafe」で紹介があった。
『今を生きるための現代詩』渡邊十絲子1 | 荒木博行「荒木博行のbook cafe」/ Voicy - 音声プラットフォーム
『今を生きるための現代詩』渡邊十絲子2 | 荒木博行「荒木博行のbook cafe」/ Voicy - 音声プラットフォーム
「詩は声に出して読まなければならない」は現代詩に当てはまらない、と勇気づけられた。
現代詩は「手触り」とも言っていた。その手触りを得るには、ある程度の詩を読む経験が必要だとも書かれていた。
作者は中学生の頃から、詩に魅力を感じて、書き写していた。
こうした「好き」をベースにして、解説をしてくれる本は嬉しい。
クラッシック音楽に対しても、こうした「好き」をベースにした本を読みたい。
ChatGPTを使っている人の使い方と、将来こんなこともできるだろう、という話。
使い方も、アイデア出しや壁打ち、会議のまとめなどが紹介されている。
新規にわかったのは、音声入力が使いやすそうだ、という点くらい。
次男の成績が学年半分に満たない。生活態度も遅刻ギリギリに出かけるなど、褒められたものではない。
NHKプロフェッショナルの流儀で、妻が見つけてくれた井本先生の授業は興味深かった。中高一貫の進学校で教えながら、塾でも「考えさせる」授業をしていた。
進学校や塾でできる子を伸ばす変わった先生、位にしか思っていなかったが、この本でもっと深い人間を育てようとしていたことに気付けた。
井本先生には脳性麻痺を持つ兄がいる。
「だって兄貴にはどうしたって無理なんだから。与えられた身体的条件や能力や、自分ではどうしようもできない環境によって、得られるものと得られないものがあるのは事実だと思いますが、だとしたら、そこでたまたま得られたものに本当の価値があるわけがない。真理が公平でないはずはないから」
井本先生は、児童養護施設にも通い学習支援をしている。そこでは進学どころか落ち着いて座ることが困難な子供たちもいる。子供と学びについて大きな影響があると言う。
次男の問題行動に、私はどう向き合えば、改善するのかを考えているが、ひとつのヒントがあった。
自分がイラッとしてしまうということは、そこに自分の中にもある弱さを見出しているはずなんです。だからイラッとしてしまうんです。その子の中にある未熟な部分、弱い部分を認めてあげることは、結局は自分自身の中にも同じくある未熟な部分、弱い部分を認めてあげることになるんです。だから僕は、「子どもたちのことを承認する」なんて言ってますが、実は、子どもたちを通して自分自身を解放させてもらっているだと思うんです。
会社の本棚にあった。
導入のための全体感が得られた。
事例も、従業員がChatGPTを使える環境を整えた、という話が多かった。
目的ありきの読み方ができた。