知りたがり

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古典新訳に思う その3

2007-08-26 23:17:59 | 考える

古典新訳の文学書が順次発行され、思春期の愛読書も多く見られました。

偶然、今回のブログを書こうと思い見た自宅の書棚のカラマーゾフの兄弟の横に、エミール・ゾラのナナがありました。

エミール・ゾラばかり読んでいた時期があり、懐かしく感じました。

探しても読みたいゾラの本がなかなか見つからず。大学に入ってから、第二外国語で仏語を選択しましたが、原文で小説を読むまでの語学力には到達できず。また、読書傾向も別の分野に広がり・・・で。

古典新訳も良いことだと思いますが、古典発掘があってもよいような気がします。

古典新訳に思う その2

2007-08-26 22:43:53 | 考える

「最も安く手に入れられる教養という財産」と編集者がインタビューに答えていたように記憶していますが、私自身は、教養を得られたかどうかはともかく・・・

読書習慣があった?いえ活字中毒という状態にいた何年間かで得た「読解力」というものが、この仕事にとても役立っています。

今回の古典新訳が、これまで読書に距離があった人にその楽しさを伝えることができるのなら非常に意義のあることだと思います。

あまりにも手軽な本が増えすぎる中で、読解力を養成することなど難しいような本が増えすぎる中で・・・

名作という重厚な文学に触れ、読む力、知る力がより向上することは、若年者にとっては、とても重要なことだと思います。

古典新訳に思う その1

2007-08-26 22:20:55 | 考える

カラマーゾフの兄弟が売れていると、検索エンジンの新着情報や、テレビのニュースで報道されました。

新訳で、今の読者に親しみやすい文体に変えたことがその要因であるということです。

子どものころから書棚には、文学全集がありカラマーゾフの兄弟もその一角を占めていました。

そのころから、翻訳は、時代と少しずれているところがあり、特にロシア文学は、名前を覚えるのも大変。名前が変化してくるとますますわからない難解な文学でした。

とはいうものの、翻訳のよしあしは、現在読みやすいかどうかということではなく、翻訳者の力量がそれを読ませるものだという経験を多く持っていますが。

この文学全集の大半は、活字中毒だった思春期に目を通しましたが、ロシア文学は琴線に触れることなくそのまま書棚に戻されていました。