知りたがり

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さいたまで作った最後のお米

2016-11-23 02:20:58 | 考える

2008年の秋に、Oさんから連絡がありました。
福島県の相双農林事務所の普及指導員の方でした。
「相双地方農村女性起業塾を開催したい。その講師をお願いしたい。」ということでした。
「起業」といっても、新たに事業を始める人という訳ではなく、「農山漁村の起業活動」という6次産業化以前の施策からきたもので、参加者の多くが地域のリーダーの女性たちでした。

そのなかに、Kさんがいました。
トルコキキョウと米の生産農家で、ご夫婦で地域のリーダーとして活躍されていました。
双葉町の「よってみっせ」という農産物直売所と、「ふたば夢工房」という加工施設の運営や事務を担っていました。
「よってみっせ」は、国道6号沿いのJAの敷地に建てられたプレハブでしたが、集客力の高い店舗だったということです。(私が立寄った時は残念ながら休日でした。)
「ふたば夢工房」は、小規模ながら、生産性や付加価値の高い加工ができる設備が整っている加工施設でした。加工や直売で地域農業を活性化するために普及指導員として活動を続けてきたOさん、地域のリーダーであるKさんをはじめとし、加工技術を持つ女性たちが検討を重ねて実現された施設でした。



3年度に渡る研修の最後に、ふたば夢工房が持ってきた商品が写真の双葉おやきカスタードクリーム味です。
双葉町名産のだるまの形をかたどった、焼型でつくられたもので、もともとの小豆あんに加えて、子ども用の商品を開発されたということでした。
参加者のネットワークもでき、さらに次の取組を意欲的に進めようと、最終回が終わりました。
2011年2月17日のことでした。

2011年3月11日、テレビの前で津波が町を呑み込む様子をただ見ていることしかできませんでした。
相双地方農村女性起業塾には、32人の方がいましたが、何人かの方が波にのまれてしまったとのことです。
また、幅広い地域が津波による被害を受け、原発による避難と、避難生活を余儀なくされる方がたくさんいらっしゃいました。

双葉町が埼玉県に避難してくるという話を聞いて、目を凝らしてニュースを見ていると、Kさんが画面に現れました。翌朝、さいたまスーパーアリーナで握手した時の手の感触を今も忘れることができません。

数か月後、Kさんご夫妻とお会いしたとき、加須で土地を借りて米を栽培すること、土地が借りられる話がでたときすぐにでも手をあげたかったけど誰も手をあげないということが解ってからなので難しいこともあるけど苗を譲ってもらえるようになったこと、毎朝散歩のときに農地を見て回って近隣の方と仲良くなってきたこと、農業の手伝い仕事を見つけて働いている人がいること・・・積極的な姿勢にただ敬服するばかりでした。

その年の秋に電話をかけたら、埼玉で作った米を食べてもらいたいけど、もう一口も残っていない。直売のお客様がヨーカドーの社員さんで、そこで販売したら完売してしまったとのことでした。

2012年8月から本年3月まで埼玉県農林部に勤務しましたが、当時加須農林振興センターで地域に密着した仕事をされている普及指導員の方が、Kさんのお連れ合いの方と親交があり、「すごい人だ」「頭が下がる」と。

そして、先日電話がありました。「埼玉で作った最後のお米を食べてください。」
双葉町にはもどれないけど、中通に。
偶然にもOさんと同じ市とのこと。

頂いたミルキークイーンとコシヒカリを美味しく頂きました。
ありがとうございます。