堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

美しき日本の原風景・・・山種美術館

2011年07月17日 | 彫刻・アート

 NHKの東山魁夷特集の中で紹介された「年暮る」がどこの美術館にあるか探した。
 山種美術館の所蔵であり、今、正に「美しき日本の原風景」と題する特別展で公開されていることが分かった。
 この一点だけ見れればと、思いながら、詳細を見ると、特別展の他の作品にも魅力的なものが多かった。
 早速、昨日行ってきた。

 平成23年、もうすぐ古希を迎える。昭和も遠くなった。変わりゆく日本の姿、そんな中で、日本の原風景を探し求めている。
 この展覧会は、的確に答えてくれた。

 特別展の構成は、「美しき原風景」「風景画の流れ」「富士を描く」の三章からなっている。
 第1章の「美しき原風景」は、川合玉堂、奥田元宋、東山魁夷、横山操が中心である。

 川合玉堂は御岳に美術館があり、奥多摩に行った折、何度か立ち寄っており、なじみの作家でもあリ、好きな作家でもある。
 今回は20点もの作品が展示されている。全て山種美術館の収蔵品。

 今回のお目当ては、言うまでもなく「年暮る」。
 ところが、そこには意外な情景があった。魁夷の描く京都の四季があったのだ。「春静」「緑潤う」「秋彩」「年暮る」の4作である。20年の歳月をかけて完結した。それを目の前にして感動した。夏の「緑潤う」もその色彩の素晴らしきこと。

 横山操の「越路十景」も全作品を見ることができた。
 10の作品を全て見ることで、横山操の故郷への思いを感じた。
 横山操は昭和48年に53歳で亡くなった、新潟出身の画家であり、今回初めて知った。当然、作品も初めて見た。他の作品も見てみたい。

 奥田元宋の「玄溟」の赤が素晴らしい。「奥入瀬・春」も対照的で面白い。今回の特別展で唯一の個人蔵で山種美術館以外の作品。
 奥田元宋も初めて出会った作家。広島県三次の出身の作家だそうだ。

 第2章「風景画の流れ」の中では、出展目録に出ていた、広重・近江八景の内の「三井晩鐘」がなかったのは残念。

 富士の絵では、横山大観の「霊峰不二」。教科書等では見ていたが、実物を見るのは初めて。
 伊東深水が不二を描いていたのには驚いた。青が印象的。

 地方に行ったときには、時間をこじあけ、コースを苦労し、可能な限り美術館を観た。
 しかし、一番集積している地は東京。
 あまりに見ていない。特別展を漁り、見ていきたい。
 今回知ったのだが、恵比寿ガーデンプレイスに日本では数少ない、写真と映像を中心とする「東京都写真美術館」があることを知った。
 自己流で写真を撮っているので、機会を作って、是非行きたい。

     

 山種美術館は、正面の大きなビルの地下にある。
 適当な広さで、丁度良い。今回は、厳選された作品、疲れずに全作品を堪能できた。
 山種美術館は山種証券の創業者、山崎種二氏が収集した美術品を主に展示する美術館。

     

 帰りは、炎天下の中、渋谷まで歩いた。
 一期一会という、そんな大げさなわけではないが、又、再び訪れるのは、何時になるかわからない。そんな事で、目的地の周りの雰囲気や人々の生活、歴史を知りたくて、散策する。
 渋谷は、地名に「谷」の字があるとおり、昔は川が多く流れていた。今は地下に潜伏してしまっている。
 現在残る、数少ない川が渋谷川である。
 写真を撮った場所は、神奈川県から多摩川を渡り、猿楽塚から、ここで渋谷川を渡り、青山学院から千駄ヶ谷を抜け東北に達する鎌倉道と言う軍道が通る橋の上である。


年暮る・・・山種美術館

2011年07月09日 | 彫刻・アート

 東山魁夷のビデオを見ていると、代表作の一つである「年暮る」についての紹介があった。
 大晦日の京都の家並を描いた傑作である。
 広尾の山種美術館の所蔵であリ、ビデオの様子では収蔵庫から出された様子であった。
 東山魁夷は好きな画家の一人であるので、山種美術館には東山魁夷の他の作品もあるのではないかと思い、HPを見た。
 驚いたことに、山種美術館で、6月の11日から7月の24日まで、「美しき日本の原風景」と題して、特別展が開かれ、東山魁夷の「年暮る」が展示されていることが分かった。
 併せて、ビデオでも紹介されていた、京都を描いた京洛四季の連作の一部も展示されているとのこと。

 東山魁夷のほかに、川合玉堂、奥田元宋、横山大観、横山操の作品もあるとのこと。
 時間を作って見てこようと思う。

 現職の頃、彫刻のあるまちづくりを基本に街全体が美術館の実現のために、視察に出かける折は行程に無理が生じても、できうる限りの美術館は見てきた。
 以前から、美術館を立川に建設しようという意見はあった。
 しかし、美術館として一級のものを作るには、美術品の収集、管理などに多額の費用が掛かり、立川市の財政状況では極めて困難であると考えた。
 美術館のもう一つの欠点は、わざわざその場所に足を運ばなければならないという点である。
 街の中に一級の美術品があれば、無意識のうちに目に入り、特別興味のない人でも一級の芸術作品に触れることができる。その第一歩が、彫刻であり、パブリックアートであった。

 今回は、山本正道のファーレにある作品を紹介する。

     

 

     


防災対策としての学校整備

2011年07月08日 | 彫刻・アート

 先日、新聞報道で防災に対応できる学校の整備方針を検討していた文部科学省も委員会は6月30日に成案をえ、7月上旬に提言書を確定し、全国の教育委員会に配布する事を知った。
 文科省のHPを見たが「提言」はまだ載っていない。

 学校は、様々な条件から地域の防災拠点として最適な施設である。
 校庭、校舎、体育館備える学校は、避難場所としても他の施設にない条件を満たしている。

 災害時における学校の役割を時系列でみれば。
 災害発生時では、緊急避難場所であり、救命避難場所となる。発生後数日は水や食料の確保による生命確保の場所であり、その後は仮設住宅建設までの臨時の生活の場となり、最後には学校再開に向けての準備の場となる。

 災害に対して各学校の果たすべき役割は大きく、且つ、重要である。
 機能の充実を図るためには、学校施設の整備は必要不可欠である。
 なるたけ早く検討結果を知りたい。

 学校施設の整備は当然必要ではあるが、災害発生時に被害を最小限に留めるためには、ハードとともにソフト面での充実が大切である。
 地域防災計画はあるが、それに伴ったマニュアルはどの程度整備されているのかはなはだ疑問である。
 地域に関連するものについては全く知らない。早急に整備して訓練を実施すべきである。

 今まで色々な訓練に参加したが、初期消火等の個人的な訓練はあったが、市民参加でマニュアルに基づいた訓練の記憶はない。

 立川市でも今年に入り、初めて図上訓練を行ったそうであるが、マニュアルの改訂も当然あるであろう。

 市全体の災害対策本部に対し、地域の災害対策本部としての機能を持たせるべきであると思う。
 その意味でも、地域の防災マニュアルは必要である。
 

 立川の彫刻第2弾は、若葉会館の山本正道、樹と少女’97。ファーレにも作品がある。

     

 

         


江口週・・・彫刻

2011年07月04日 | 彫刻・アート

 柴崎市民体育館の前に江口週の作品がある。

 私の現職時代のライフワークであった「文化行政」に一つが、「まちじゅうが美術館」、特に、彫刻に力を入れた。
 彫刻は絵画と違い、野外に展示され、単に見るだけではなく、触れることもでき、街の景色の一部となり、町の品格も高めることができる。
 そこで、彫刻を中心に進めていこうと考えた。

 何時ごろから始めたかは定かではない。
 ただ分かることは、「彫刻のあるまちづくり」を提唱し、実現した、最初の作品が、今は、トポスの前にある、御正進の作品「ラ ファミリア=家族」であることは間違いない。
 この作品は立川市のHPによれば、平成元年の3月となっている。
 従って、「彫刻のあるまちづくり」を提案したのはそれから2~3年前であろう。

 当時、ウイルで開催されていた、三多摩50人展のメンバーでもあり、油絵を描いていた、広報課長とともに知恵を出し合いながら推進した。

 優れた、彫刻のある街にするためには、オリジナル作品であること、場所にあった作品であること等であった。
 そこで、既に、彫刻のあるまちづくりを実現している先進市が幾つかあった、立川市にとって一番適切な市を選び、視察することとした。
 その市は碧南市であった。

     

 柴崎市民体育館にある、江口週の作品「再び翔べるかー柱上の鳥」である。
 もともとは木彫であり、これはブロンズ化したもの。
 
江口週は京都出身で、東京芸大卒業。現代日本彫刻展大賞、平櫛田中賞、中原悌二郎賞優秀賞などを受賞している。江口週は漂流と原型の連作等でで有名な木彫作家である。

 余談だが、平櫛田中の記念館はその終焉の地である小平市の玉川上水の傍にある。
 木彫の著名な作家である平櫛田中の作品も面白い。一見の価値がある。

 今後、彫刻についても載せていきたいと思い、カテゴリーに彫刻を加えた。