このブログでは直接政治的な問題には立ちいらないよう心掛けているが、行政刷新会議の行っている「事業仕訳」はあまりにひどすぎるので一言云わざるをえない。
事業仕訳をして無駄な予算の投入や廃止すべき事業、民間や地方に移管したほうが効率的で効果的な事業があることは事実です。
従って、事業仕訳については基本的に賛成です。しかし、今行われている「事業仕訳」は本来の趣旨からみて果たして良いのか疑問です。初めから結論ありきで、従来国が行ってきたものが悪で、それを遂行してきた官僚を処刑する、一種の醜悪なショーの様な感じすらあり、嫌悪感すら感じます。「必殺仕訳人」という言葉に象徴的に表れている。
透明性を評価する声も聞かれますが、本来、言うところの「透明性」とは違うような気がします。「透明性」とは、結論が出されるまでの経過、その根拠、理由等を国民の前に明らかにし、何時でも情報として提示されることが制度的に担保されていることを言うのではないでしょうか。単に、公開されたから、透明性があるというのでは、あまりにも単純な発想ではないでしょうか。
事業仕訳についてはすでに地方自治体で実証済みであり、それなりの効果を上げています。
国においては地方自治体と異なり、事務事業の数も膨大であり、組織も複雑であり単純に比較できませんが、地方自治体が行ってきた方法論を検証し、政府が行う事業仕訳についての基本的な考え方、手順を明確にし、それを国民の前に明らかにした上で行うべきであります。
事業仕訳の対象になっている事業に対する評価について、その科学的な根拠は何なのか、明確に示すべきです。
その一つに、政策評価、施策評価、事務事業評価を内容とする行政評価という手法があります。
この手法を取り入れた地方自治体はそれなりの成果を上げています。国も遅ればせながら、総務省に行政評価局という組織を立ち上げました。
私は、この組織は全く機能していなかったと思っています。従って、抜本的に改革すべきであると考えておりましたが、政府はこの組織との整合性をはかることなく、突然に事業仕訳作業を開始しました。
行政評価の考え方中で特筆すべき点は、行政が行ってきた政策や施策、事務事業の評価の観点に、従来は、「アウトプット」のみ評価してきたが、それに「アウトカム」という要素を取り入れた点にあります。
たとえば、文化ホールの建設自体をアウトプットと言い。それに対する評価は、適切な予算措置・予算執行であったかの判断です。それに対し、文化ホールを建設することで、豊かな文化を楽しみ育む暮らしが地域の人たちにどれだけ広がったかを判断するのがアウトカムです。
アウトプットよりも。アウトカムが大切だというのが、行政評価の基本姿勢です。
つまり、行政評価システムをどのように考え、今回の事業仕訳との考え方の基本は何なのか、両者の差異がどこにあるのか明確にせずに思いつきで行っているとしか考えられません。
政府は、事業仕訳の対象を、約220項目、447の事業と組織としましたが、この選定の基準も明確ではありません、全く恣意的に選定したとしか考えれません。
今回の「事業仕訳」は、「マニフェスト至上主義」で、その財源確保のため、「行政刷新会議」の存在を国民に誇示するため、猪突猛進で、なり振り構わず進んでいるとしか考えられません。
重ねて言いますが、行政評価システムを取り入れた事業仕訳について大賛成です。
蛇足ですが、施策評価が政策実現の分岐点になります。「子ども手当」は単なる事務事業であることもお忘れなく、角を矯めて牛を殺さないよう。