堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

昭和記念公園の紅葉

2009年11月30日 | 日記

      

 昭和記念公園の紅葉を写真にと思いつつ、忙しさに紛れて、行けそうもない。
 紅葉の季節ももう終わりで、すぐ師走である。
 入口付近だけでもと思い、写真に収めた。
 冬の昭和記念公園はあまり行ったことがないので、今年は行ってみたい。
 枯れ木の雑木林も一興である。

        

 入口近くに行ってみると、ライトアップの準備が始まっていた。
 シャンパングラスのピラミッドの準備で、グラスを積み上げながら、水を注ぎ込ん
 でいた。

     


 以前、写真を撮ったが、あまりうまくいかなかった。
 寒さのために、手がかじかんで、シャッターを切るのも大変だったが、今年は暖か
 そうなので、花火が上がる日を選んでいきたい。

 昭和記念公園の紅葉ももう終わり、心残りですが、来年は・・・・

 


碓氷峠

2009年11月25日 | 日記

 デジブックで写真を公開することとしました。
 先日、東山魁夷と中島千波を見に行ってきた。
 紅葉の季節でもあるので、高崎まで八高線で行き、横川までは信越線を使い、横川からはバスで碓氷峠を越えることとした。本来なら眼鏡橋あたりで途中下車し、紅葉と信越線の名残を楽しみたかったが。その日のうちに東山魁夷の美術館に行きたかったので、断念した。
 紅葉の時期には若干速かったような感じであった。
 30日後には消えてしまいますが、スライドショーをお楽しみに。

 小布施の町並みや蔵の街須坂の様子は追ってアップしますのでお楽しみに。


立川駅周辺安全・安心まちづくり協議会・パトロール

2009年11月20日 | 地域・ボランティア

 昨日、立川駅周辺安全・安心まちづくり協議会のパトロールに参加した。
 現在、協議会では安全・安心のまちづくりを進めるうえで五つの問題に対し、対策を検討している。
 大きく分けて、体感治安対策と景観対策である。
 今回のパトロールは景観対策のうち道路や歩道の上に置かれた看板やのぼり旗に対するものである。
 市民ボランティア、立川市職員、警察官とティームを組み、グループに分かれ、路上に出されたのぼり旗、看板、商品等をかたずけるよう指導して回った。
 今回が三回目のためか、悪いことと承知で出しているのか比較的素直に応じた店、渋々ながらもかたずけた店など様々だったが、全部かたずけることができた。中には風俗店もあり、市の職員や警察官が共にパトロールすることによりできる仕事でもある。
 行政と市民の協働がこれから益々大事になる。

 多分、今日回ればまた道路上に違法に広告物が置かれているであろう。「イタチゴッコ」だという人もいるが、弛まず行うことが大事である。
 立川駅の周辺はかつて風俗系の捨て看板、張り紙、ポスターで氾濫していたが、現在はほとんど影をひそめた。これも地道に繰り返されるパトロールの影響であろう。
 まさに「継続とは力なり」である。

 「自分たちの街は自分たちで守る」と言う思想を街の中に浸透させることも大事なことだと思う。少数の特定の人だけが参加するのでは息切れをしてしまう。
 それぞれの組織も閉鎖的ではなく誰でも参加できるようにしていく努力も必要であると思う。


吉野ヶ里

2009年11月19日 | 日記

 今朝、NHKで吉野ヶ里をやっていた。
 現在は「吉野ヶ里歴史公園」として、弥生時代の建造物が復元され、観光地として賑わっているようである。
 吉野ヶ里遺跡は、今から24年ほど前の昭和61年に発見された。
 二重の濠に囲まれた環濠遺跡として当時注目を集めた。
 私も発掘が進む中、訪れた。長崎本線の神埼駅は当時全く田舎の駅という感じだった、駅前の自転車預かり所に荷物を預けた時、店のおばさんがどうしてこんなに人が来るのか分からないと言っていた。
 今、神埼駅も近代的な駅に生まれ変わっているようである。観光客が多く来ているであろうことを想像させる。

 当時、発掘も相当進んでいたので、様々な出土品を見ることができた、甕棺が多数出土し、その中から銅剣やガラスの管玉が発見された。
 甕棺の多さや、管玉の青色の美しさに魅了された。
 特に、その広さには驚かされた、無我夢中で見て回り、足にマメを作ってしまったのを覚えている。

 私は、古代遺跡の発掘現場を見るのが好きである。特に、建造物の遺構・巨大な柱穴を見たりすると、その建物を想像し、一人古代のロマンを感じる。
 青森県の三内丸山遺跡も素晴らしかった。只この遺跡の発掘現場を見に行った時はすでに発掘が相当進み、復元された建物もできており、楽しみは半減した、しかし、クリの巨木の六本の柱の遺構は、そこにどのような建造物が建っていたのかを想像する楽しみを残していてくれた。

 食文化についても興味をそそられた、ゴミ捨て場から出てきているマグロ、ヒラメ、鯛の骨には当時の縄文人の食の豊かさと漁労の技術の高さを感じられた。

 奈良県の桜井市では巨大建造物の遺構が発見され、卑弥呼との関係が注目を集めている。科学技術の進歩で、コンピュータ上で其の建造物の復元した姿が放映されていた。
 もし、邪馬台国であれば長年の論争に終止符が打たれるであろうが、そう簡単にはいかないであろう。

 いずれにしても、桜井市にも一回行ってみたい。
 吉野ヶ里歴史公園も当時見た発掘現場がどのように復元したかも興味があり、行けるなら行ってみたい。


 


ぺクセジュ(百歳酒)

2009年11月18日 | 日記

 先日、ぺクセジュ(百歳酒)を飲んだ、何回か飲んだ酒なのだが、その味が気になって、調べてみたら、やはり12種の漢方薬を配合した酒で、韓国の伝統の酒であるとのこと。
 米ももち米を使う、それで多少甘いのか、しかし、飲み口は良い。アルコール度数も13度、日本酒とあまり変わらない。
 朝起きた時爽快なのも漢方薬のせいなのだろうか。

 私は、日常的に薬はほとんど飲まない。
 例外は、風邪をひきかけ、節々が痛くなったり、熱が出そうになったとき、葛根湯を飲むが、これも漢方薬の一種である。勿論、顆粒状の市販の薬で、煎じて飲むわけではない。ただし、煎じ薬の気分を出すのと、湯気で鼻空を湿らせる効果を期待して、そのまま飲むのではなく、熱いお湯に溶かして飲む。
 風邪をひく原因は、寒さよりも乾燥のほうが多いようだ。
 乾燥した部屋、ヒーターの利いた車は禁物である。
 そこで、私の部屋の暖房器具は、一昔前の石油ストーブで、湯気の出ている薬缶をかけて湿気を補っている。今は痛風で控えているが、其の上でモツの煮込みなども作った。
 このような古典的なストーブがなくなるのが恐ろしい。


半蔵門と甲州街道

2009年11月16日 | 日記

                  

                               貝殻坂橋です 

 童門冬二の「徳川三代の情報戦略」を読んでいる。
 その中に、甲州街道について書かれている。我が家のそばを通っている甲州街道の日野橋交差点はかつて渋滞で有名であった。
 しかし、「日野バイパス」の開通により交通量は激減したといってよい。
 日野バイパスが国道20号線となり、今までの国道20号線は都道256号線国立八王子線となった。
 先日、錦・羽衣歴史散歩で古道の幾つかを歩いた。
 旧甲州街道も多摩川の渡し場の関係で何回か移動した。その一つが至誠学園の東側から根川にかかる貝殻坂橋から多摩川を渡る道、もう一つが柴崎市民体育館東側から立川市の汚水処理場の西側から多摩川を渡る道である。

 貝殻坂橋からの渡しは「万願寺の渡し」と言われ、慶安年間(1648~1651)から貞亨元年(1684年)まで使われたと云われている。
 ちなみに、我が家の歴史を、普斎寺の過去帳の写しで調べると、ほぼ同時代に初代の命日がある。
 甲州街道も、我が家のルーツと何らかの関係があるのかもしれない。

                 

                                  日野の渡し碑

 甲州街道の宿場は府中宿、日野宿、横山宿であったが、立川にも大水等で多摩川を渡れない時のために宿屋らしきものもあったということである。場所は奥多摩街道と旧甲州街道が交差する南側あたりだとのこと。

 甲州街道を作った目的は万が一江戸城が落ちるような気緊急事態の折、将軍を天領であった甲府に避難させるためであったといわれている。
 従って、江戸城の西側の門に服部半蔵の屋敷を置き搦め手の警備にあたらせた。ちなみに、八王子には千人隊を置き、いざという時の備えとした。八王子千人隊が武士であるかどうかは色々言われるが、武士ではなかったというの実態ではなかろうか。


事業仕訳

2009年11月14日 | 日記

 このブログでは直接政治的な問題には立ちいらないよう心掛けているが、行政刷新会議の行っている「事業仕訳」はあまりにひどすぎるので一言云わざるをえない。

 事業仕訳をして無駄な予算の投入や廃止すべき事業、民間や地方に移管したほうが効率的で効果的な事業があることは事実です。
 従って、事業仕訳については基本的に賛成です。しかし、今行われている「事業仕訳」は本来の趣旨からみて果たして良いのか疑問です。初めから結論ありきで、従来国が行ってきたものが悪で、それを遂行してきた官僚を処刑する、一種の醜悪なショーの様な感じすらあり、嫌悪感すら感じます。「必殺仕訳人」という言葉に象徴的に表れている。

 透明性を評価する声も聞かれますが、本来、言うところの「透明性」とは違うような気がします。「透明性」とは、結論が出されるまでの経過、その根拠、理由等を国民の前に明らかにし、何時でも情報として提示されることが制度的に担保されていることを言うのではないでしょうか。単に、公開されたから、透明性があるというのでは、あまりにも単純な発想ではないでしょうか。

 事業仕訳についてはすでに地方自治体で実証済みであり、それなりの効果を上げています。
 国においては地方自治体と異なり、事務事業の数も膨大であり、組織も複雑であり単純に比較できませんが、地方自治体が行ってきた方法論を検証し、政府が行う事業仕訳についての基本的な考え方、手順を明確にし、それを国民の前に明らかにした上で行うべきであります。

 事業仕訳の対象になっている事業に対する評価について、その科学的な根拠は何なのか、明確に示すべきです。
 その一つに、政策評価、施策評価、事務事業評価を内容とする行政評価という手法があります。
 この手法を取り入れた地方自治体はそれなりの成果を上げています。国も遅ればせながら、総務省に行政評価局という組織を立ち上げました。
 私は、この組織は全く機能していなかったと思っています。従って、抜本的に改革すべきであると考えておりましたが、政府はこの組織との整合性をはかることなく、突然に事業仕訳作業を開始しました。
 

 行政評価の考え方中で特筆すべき点は、行政が行ってきた政策や施策、事務事業の評価の観点に、従来は、「アウトプット」のみ評価してきたが、それに「アウトカム」という要素を取り入れた点にあります。
 たとえば、文化ホールの建設自体をアウトプットと言い。それに対する評価は、適切な予算措置・予算執行であったかの判断です。それに対し、文化ホールを建設することで、豊かな文化を楽しみ育む暮らしが地域の人たちにどれだけ広がったかを判断するのがアウトカムです。
 アウトプットよりも。アウトカムが大切だというのが、行政評価の基本姿勢です。
 つまり、行政評価システムをどのように考え、今回の事業仕訳との考え方の基本は何なのか、両者の差異がどこにあるのか明確にせずに思いつきで行っているとしか考えられません。

 政府は、事業仕訳の対象を、約220項目、447の事業と組織としましたが、この選定の基準も明確ではありません、全く恣意的に選定したとしか考えれません。

 今回の「事業仕訳」は、「マニフェスト至上主義」で、その財源確保のため、「行政刷新会議」の存在を国民に誇示するため、猪突猛進で、なり振り構わず進んでいるとしか考えられません。

 重ねて言いますが、行政評価システムを取り入れた事業仕訳について大賛成です。
 蛇足ですが、施策評価が政策実現の分岐点になります。「子ども手当」は単なる事務事業であることもお忘れなく、角を矯めて牛を殺さないよう。
 


立川駅周辺安全・安心まちづくり協議会

2009年11月13日 | 地域・ボランティア

 昨日、立川駅周辺安全・安心まちづくり協議会の幹事会が開かれた。
 この協議会は、「東京都安全・安心まちづくり条例」に基づいて、東京都が行っている「繁華街等における安全対策の支援」として、都内の6地域が指定され、立川市はその内の一つとして指定された。立川市がこれと呼応し、立ち上げたのがこの協議会である。
 協議会の構成内容は
事業者、地域住民、地元自治体、警察等である。協議会の事業内容はハード・ソフト両面から立川駅周辺の安全対策に取り組むものである。
 
東京都は、防犯カメラ、防犯灯、その他犯罪抑止効果を期待できる機器、青色防犯パトロール等の整備、住民によるパトロ-るなどの自主防犯活動等に支援をするものである。

 この協議会は、これらの趣旨に則り、行動計画の策定作業を進めるとともに、パトロール等の具体的な活動を展開している。

 今、「民間交番」の設置が話題となっている。
 ちょっと古いが、読売新聞が取り上げている。
 その記事によると多摩地域では青梅市、町田市、調布市、武蔵村山市がすでにせっつぃている。
 しかし、その形態や、運営方法はまちまちである。民の色彩の強いものから官主導のところもある。

 立川駅南口周辺に「民間交番」設置の意向が立川市市にあるように受け取れるが、充分に機能するようなものを作っていきたいと考えます。


大野俊三を聴く

2009年11月12日 | 日記

 昨夜、大野俊三のコンサートを聴きに行った。
 ジャズは久しぶりだ、20代には夢中になって聴いた。当時はジャズを聴ける喫茶店が各地にあった。国分寺、吉祥寺、中野、新宿、渋谷、有楽町等々に繁々と通った。
 立川にも、某楽器店が経営する喫茶店があり生演奏もやっていた。
 インターネットで吉祥寺のファンキーを検索したところ、現在はジャズバーとして店をやっているとのこと、ぜひ、一回行ってみたい。

 第1部は夕焼け小焼けや赤とんぼなどの童謡をアレンジしたもので、どうなるものかと、最初は、若干の危惧があっが、充分に堪能することができた。
 ジャズをあまり聞かないようなお客さんもいたので、聞きなれたメロディーが良かった。曲それ自体としてもよく、大いに楽しむことができた。

 機会を積極的に作って、ジャズを大いに聴いていきたい。


イベント

2009年11月09日 | 日記

 昨日、錦町の健康フェアが第七小学校で行われた、立川市が音頭をとって始めた事業であるが、今では全市的に行われている。日頃から、皆健康が気にかかっている。その為か、参加者も子供から高齢者まで多彩である。しかし、若干気にかかる部分もある。それは、参加者が増えるよりも減少傾向にあるということである。その原因は、イベントの本質についてた考えると分かってくるのではないかと思える。

 私は、イベントは手段であり目的ではないと考える。しかし、現実にはベントを目的化している事例が多いのではないでしょうか。
 そこで、イベントが長続きしなかったり、マンネリ化し活気のないものとなってしまっている。
 華やかで、多くの人が集まって、一見、成功しているかに見えるイベントも、裏に回ると、莫大な費用をかけている例もある。これが、多額の利益をあげている企業が、顧客に対し利益のほんの一部を還元し、顧客を繋ぎ止めるためという、明確な目的があれば、それは大成功といえましょう。
 しかし、税金を財源とする補助金や会員の会費で催すイベントについては、目的と手段を明確に意識し、効果的なものとすべきであります。

 イベントは本来の目的を達成するための気かっけづくり、啓発という役目も多いと思います。その為には、日常的運動論が必要となります。継続的に行われるイベントについては、運動論が有機的に結びつき、質的にも量的にも拡大すれば、イベントも変化し発展するのではないでしょうか。

 しかし、イベントそれ自体が目的である場合もあると思われます。
 「どん度焼き」「七夕」などです。これらの伝統的行事を後世に残すことそれ自体が目的です。勿論、地域の親睦をはかる、子供たちの情操を育てるなどの効果は期待できますが、それはあくまでも副次的効果にすぎません。この副次的効果は、ひるがえって考えれば、そのイベントが狙う目的でもあると思われます。つまり、伝承的行事の持つ本来の宗教的目的は失われても、第二次的目的が備わっているから、成功するのでしょう。

 街の活性化や発展のためにイベントが行われる場所が欲しいという意見がありますが、それは安易に過ぎると思われます。日常的な運動論が出発で、それを具体化する一つの手段がイベントであると考えます。運動論無きイベントは、浪費と単なる空騒ぎにすぎないと思われます。