堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

原発と地方財政

2012年03月20日 | 日記

 今、各自治体では3月議会が開かれている。
 議論の中心は、言うまでもなく、平成24年度予算である。

 東日本大震災での福島第一原発の事故以来、原発の是非が問われている。
 日本各地には、多くの原発が存在する。
 日本が独裁国家でない以上、それらの建設は民主的な手続きを経てできたものであることには間違いない。

 原発導入の当初は、危険論と安全論が戦わされた。
 安全論が勝利し、安全神話が誕生し、原発が各地に建設された。
 理屈から言って、今回の福島第一原発の事故から、原発は100%危険であるという結論を導き出すのは早計であると思う。
 想定外の津波が、今回の事故の原因であると言うが、私はそうは思はない。
 外部電源がすべて絶たれたことが、メルトダウンを引き起こし、爆発を起こしたのである。外部電源が立たれた時の対応が全くなされていなかったことが真の原因で、津波ではない。事故対策はできたはずである。

 しかし、万全な安全対策が、現時点の科学で可能なのかどうかは、はなはだ疑問である。
 しかも、原発事故のリスクは大きく、取り返しのつかない事態を招く可能性は大きい。
 そこで、原発の是非論が再浮上する。

 原発が建設されている地域は、導入の当初から、諸手を挙げて賛成では当然無かった。
 原発が建設されている地域は、概して、地域の産業が脆弱で、過疎に悩み、自治体の税収不足に悩んでいた。
 一方、電力会社や政府の中心者たちは安定して、安価な電力の確保のために、原発の建設推進を画策していた。

 当時の自治体の首長たちと原発推進派がたどり着いた結論は金による解決である。
 原発誘致に当たっては、当然に、住民の意思が問われる。
 端的に言えば、首長が推進派であることは当然とし、議会も推進派が過半数を占めなければならない。
 これらは、住民の意思の反映である選挙の結果である。
 今、原発存続の可否が問われている。住民の責任もまた重い。
 原発を廃止すれば、所謂原発マネーはすべてなくなってしまう。自治体の財政はどうなるのか。
 もともと財政基盤が弱い自治体である。原発マネー依存体質の財政運営が長年続いていた。
 産業基盤も弱く、雇用も原発や関連企業に負うところ大であった。地域経済はどうなるのか。

 


2012年03月19日 | 日記

 昨年、青少健で食育について、勉強した。
 食べ物は、体を作り、エネルギーの素であることは言うまでもない。

 今回、風邪をこじらせ、難渋した。
 毎年、風邪をひきそうになれば、葛根湯を飲み、熱いスープを飲んで、寝れば、大汗をかいて、治ってしまう。
 若干熱があっても、栄養豊かそうなものを食べれば、日常生活に支障はなかった。

 ところが、今回は違った。
 葛根湯を飲み、熱いスープを飲んでも、汗はほとんどかかなかった。
 従って、体の芯の熱はとれず、微熱が続いた。
 そのせいか、食欲は全くなくなった。無理して、詰め込んだが、普段の半部分がやっと。
 特に、朝食は無理して食べる。当然、昼食時、空腹を感ずることができず、遅くとる、悪循環で、夕飯も進まず。

 昨日あたりから、通常の食欲に戻りつつある。食事時間前になると空腹感を感じるようになった。
 食事後の満足感も感じるようになった。
 食べることの喜びを、久々に感じた。

 年齢による、体力の衰えなのか。
 3月に入り、多忙であったこともあり、出かかけなければならないことも多かった。
 良くなりかけると、出かけてまた元に戻ってしまう。この繰り返しだった。
 慎重になり、臆病になってしまった。結果的に、消極的になり、気力で負けってしまったような気もする。
 今日も、大事を取り、三中の卒業式を欠席してしまった。

 風邪で、医者にかかるということは、決してなかったが、今後は、改めよう。

 体調不良の中、二度ほど茨城に行った。二度目の時、意を決して、菅生沼で白鳥を見た。

     

 カモも多く来ていた。

     


らじる★らじる

2012年02月14日 | 日記

 災害発生時に持ち出すものにラジオがある。
 懐中電灯と一緒の物等、アイデア商品が沢山ある。

 今日付けの読売新聞にスマホでラジオの記事があった。
 とりあえず、PCで聞けるようにした。

 ギャラクシーでは、NHKが聞けるようにした。
 設定は極めて簡単。アプリをインストールすなければならないが、無料。
 「らじる★らじる」を開く。
 「よくある質問」を開く。
 「スマホのアプリのダウンロードの詳細」を開く。
 指示に従えば簡単にダウンロードができる。

 勿論、民法も聴ける。
 ただし、設定の方法は別です。

 スマホでラジオが聞ければ正に携帯ラジオ。
 ただし、電池の消費量が気になる。
 充電器は災害時必須の非常持ち出しもの。

 スマホをお使いの方は、是非、聞いてみてください。

     
               先日、根川緑道で撮ったアオサギ


マーボ豆腐

2012年02月10日 | 日記

 しばらくぶりにマーボ豆腐を作った。
 作ったと言っても、最初から作ったわけではない。
 インスタントのマーボ豆腐の素を買ってくる。
 それに少し手を加える。

 余談だが、辛いものは好きである。
 辛さにもいろいろある。
 当然香辛料の違いである。
 長い間、カレーの辛さは独自の香辛料を使っていたと思っていたが、トウガラシ、しょうが、胡椒などであった。
  
 中国料理で辛さを表す言葉に、「ラー」と「マー]がある。
 「ラー」は、辣油に代表され、唐辛子の辛さである。
 これに対し、「マー」はマーボ豆腐に代表され、胡椒の辛さである。
 マーボ豆腐の辛さは豆板醤と胡椒が主なものである。
 胡椒も白胡椒や黒胡椒ではない。
 花椒(ホアジャオ)を使う。粉ではなく、作る時に実をすりつぶして使う。
 独特の香りが楽しめる。

 ヨコハマトリエンナーレに行った時、中華街で買ってきた。

 辛口のマーボ豆腐の素を買ってきて、豆板醤と花椒を加えて、激辛を作る。
 家族誰も食べない。
 インスタントは三人前なので、翌日はラーメンに入れてマーボラーメン。
 真夏の暑い時に食べるのも最高だが、寒い冬も体が温まって、最高。
 頭から汗を出して、タオル一本びっしょり。
 条件反射なのか、ブログを書いている今、頭から汗が出ている。


汗牛充棟

2012年02月07日 | 日記

 山田風太郎の「戦中派不戦日記」の冒頭・まえがきに「汗牛充棟」の文字が出てきた。

 そこには、「汗牛充棟の敗戦記録に私のこんなものを加えるのは、どれだけ意味があるのか・・・」とある。
 文章の流れから、本か記録のことだろうとは思った。

 角川の国語辞典によれば、
「 車に積めば牛、が汗をかくほどの重さ、家に積めば、棟まで届くほどの量の意味。蔵書の多いことの意味。」とある。

 「絆」の項でも書いたが、言葉や文字の意味は正確に知り、正確に使いたいと常に思っている。
 まして、ブログという形で、人様の目に留まる以上、恥をかきたくないと言う感情もある。
 従って、辞書は常に座右に置く。
 その辞書は、子供が中学高校で使ったおさがりである。その程度の質と量でよいとも負っている。
 あまり高度なものでなくてよい。

 「汗牛充棟」という言葉が目に留まった理由は、つい最近読んだ池上彰の「伝える力」の中にあったからだ
 わかりやすく伝えると言う中に、
 若い人に対しては四字熟語を使わない方が良い。
 その例として挙げられていた。
 単に量が多いと理解しただけで、それ以上は追及しなかった。
 「充棟」は家の中一杯とイメージできたが、「汗牛」は単に汗をかいた牛としかイメージできなかった。
 日常生活で、
汗をかきながら重い荷物を載せた車を引く牛を見る機会が全くないからだろう。
 池上はそのほかに、「隔靴掻痒」、「一朝一夕」、「意気消沈」、「起死回生」、「浅学非才」等を上げている。
 現代の若い世代にとっては、昭和20年、30年代に書かれたものは、既に古典であろう。
 私自身も昭和初期の文章を読む機会は少ない。
 従って、難しい漢字に遭遇すると戸惑う場合も多い。
 昭和史を再確認しようと思ったのも、「昭和は遠くなりにけり」の感、多き故でもあろう。

     


付箋・・・文具

2012年02月01日 | 日記

 昔から、文房具に興味がある。
 街の文具店は、興味本位の冷やかしでははいりずらい。
 その点、大型店の文具コーナーは、時々観察のために入る。

 前には、本の大事な処や面白い処、興味のある場所に線を引いた。
 線だらけになってしまったり、何故線を引いたのか理解できない処も出てきてしまう。
 当然、本も汚れる。
 今は、付箋を貼っている。

 量販店の文具コーナーで、上半分が色つきで、下半分が透明なビニール製の付箋を見つけた。
 字の上に透明なところを貼れば、着色された部分が上に出る。
 容易にはがせ、べたつきもない。
 何時も、ポケットに忍ばせている。

 ブログなどに引用する時、探し出すのに便利である。

 やらなければならないことが多くて忘れてしまいそうなことが多い。
 電話を受けたり、気が付いた、その時、付箋に書き手帳の日程の所に貼っていた。
 手帳をギャラクシーに変えてからは、メモに書き入れている。
 しかし、明日やることは付箋に書き、PCに貼る。

 量販店の文具コーナーで、時々面白いものを発見し、買ってくる。
 重宝して使い、無くなってしまったり、他にも使おうと買いに行くとない。
 そんな経験を度々した。
 近頃は、珍しい文具を見つけ出すと、少し余分に買うこととした。
 量販店の経営方針で、デッドストックになるようなものは置かないのだろう。
 売れると思って仕入れたが、売れず、直ちに仕入れることを止めてしまったのだろう。


アールグレー・・・紅茶・・・喫茶店

2012年01月31日 | 日記

 知人宅で、アールグレーをいただいた。
 しばらくぶりの美味しい紅茶。
 コーヒー党ではあるが、たまには紅茶もいい。
 紅茶もダージリンなどタンニンを多く含む、インド産系のものが好きである。
 こう見ると、アールグレーは、私の好みの一番外にあるものである。
 紅茶も緑茶も淹れ方ひとつで、全く味は違ってしまう。
 紅茶好きで、淹れ方にこだわる方のアールグレーは格別である。
 また、体調によっても美味しさは異なる。
 少々疲れ気味な昨今、軽くてフルーティーなアールグレーは最高。

 余談だが、ワインもタンニンの多い、ボルドーのフルボディーが好み。

 アールグレーは中国紅茶であると思っていたが違うらしい。
 主に、タンニンの少ない中国茶を使ってはいるが、イギリスで作られたフレイバーテイーであるらしい。
 名前の由来は、グレー伯爵が作らせたことが、その名の由来だそうだ。
 因みに、アールとは伯爵の意味だそうだ。

 純喫茶という言葉はもう死語であろう。
 かつて、おいしいコーヒーや紅茶を飲ませてくれ、クラッシック音楽が静かに流れる、心地よい空間があった。
 格別旨いウインナコヒーを飲ませる店が国立にあり、わざわざ行ったのも良い思い出。その店はまだあるとの話も聞いた。

 当時でも、コーヒーの旨い喫茶店は多かったが、紅茶の店はあまりなかった。
 東青梅で、偶然入った喫茶店で飲んだロシアンティーの余りの旨さに、青梅線沿線に用事や仕事で行った折、わざわざ行ったことも記憶にある。
 新宿の高野か近所の店かはあまりはっきり覚えていないが、仕事の帰りたまに行った。茶葉も販売しており、買って帰ったことも覚えている。


山田風太郎の日記

2012年01月30日 | 日記

 NHKアーカイブスの「山田風太郎が見た日本 未公開日記が語る戦後60年」を録画していたことを思い出した。
 山田風太郎の作品は全く読んでいない。
 忍者ものという印象が強く。忍者に興味がない以上、読む意欲もなかった。
 ドナルド・キーンの「日本人の戦争~作家の日記を読む~」でも、主な登場人物の一人でもある。
 NHKアーカイブスの内容は、今回発見された、山田風太郎の1950年(昭和25年)から1993年(平成5年)の日記を通して、 廃墟から復興していく日本の姿と、太平洋戦争を知ろうというものであろう。
 まだ見てはいないが。

 この際、山田風太郎の作品を調べてみた。
 「戦中派不戦日記」「戦中派闇市日記」「戦中派焼け跡日記」「山田風太郎育児日記」など日記類も多い。
 特に、「戦中派不戦日記」は2002年に新装版が出ている。

 作家の書いた日記は、全くプライベートなもので他人が読むことを殆ど予期しない一般人のものと異なり、発表することを前提としたり、予測されて書かれているものだと思う。
 従って、本音や都合の悪いことは書かれていないものと思い、読まなかったのかもしれない。
 従って、文学作品の中でも日記というジャンルのものは殆どと言っていいほど読んでいない。

 昭和史を改めて知ろうと思うようになり、更に、ブログを書きだしてから、ある人の思いの中で書かれる日記も歴史を知る上で、大変に貴重なものであることが分かり始めた。
 ドナルド・キーンも米海軍の情報将校として、普通の日本人の日記の中からさまざまな情報を知ろうとして、数多くのものを読んだと言う。
 その上で、著名作家の日記から日本人の戦争についての考えや行動を知ろうとしたのであろう。

 時間を作って、新たな分野の本も読んでみよう。

 我が家から西友に行く道に一本の蝋梅がある。
 今年も満開の時期が来た。

     


関心事・・・立川断層講演会

2012年01月27日 | 日記

 立川断層の講演を聞く。
 出足が早いと予測し、5時30分に到着。
 市の職員に聞くと、70%以上既に入場しているとのこと。
 始まる頃には、階段に座ったり、立ったまま聞く人も。
 教育長も立ち見。空き席が一つ見つかり、すすめられたが遠慮して座らず。

 立川断層は矢川から西国立駅の延長線上に北西にほぼ一直線にある。
 市民の関心も高く、不安感も相当あるのと思う。
 提供された情報は一つだが、受け取った市民はどう考え、どう感じたのだろうか。聞いてみたい。
 立川断層については、学術的にも不明な点が多く、今後の解明を待たなければならい。
 そこをどう解釈し、どう対応するかが問題だ。
 その点を含めて、防災の全般的な、きめ細かい情報提供が大事。

 東日本大震災、マスコミ報道、口コミ、風説これらが無ければ、立川断層の学術的な講演会を開いても、これほど人は集まらない。
 タイミングである。
 阪神淡路大震災から17年、風化が始まった段階での東日本大震災。
 ある講師曰く、大震災が毎年起これば、備えは万全。忘れたころに来るから手遅れ。
 市民の関心が高い時に、行政は、一気呵成に防災行政を進めるべきだ。
 地域においてもしかり。
 不安感を抑えることも大事だが、震災の恐ろしさを直視し、立川断層が存在する現実を直視し、可及的速やかな対応を望む。

 


分かっているようで分からないこと・・・立川断層

2012年01月26日 | 日記

 明日、立川断層についての講演会がある。
 阪神淡路大震災は、活断層に起因して起こった。
 以前、根尾谷活断層を見た。
 近くにある薄墨桜も震えていたような、雨の降る寒い日だった。
 明治24年の濃尾地震の震源である。
 地層断層観察館ではその生々しい姿を見た。野外でも、はっきりと断層の姿を見た。
 立川断層にも、地表にその姿を現しているところもある。
 矢川が流れの方向を変えたのも立川断層の影響である。

 大震災以前は、非常に安定しており、地震の起こる確率も低いと言われていた。
 東日本大震災以来、時々マスコミにも登場している。
 地震の起こる確率が高くなったと言う。
 無用な不安感を煽るような発言も時々聞く。
 そのせいか、市長は、新年会等で、関東大震災の様子を紹介し、立川は確りした岩盤の上にあり、安全であると言う。
 しかし、活断層のメカニズムや立川断層が東日本大震災でどのような影響を受けたのかはっきりしない。
 明日は、それを知る良い機会である。

 錦学習館の学芸大生とのコラボレーションの講座の一つとして、災害発生時の対応等について学ぶ。
 タイムリーな講演会なので、一緒に行く。
 講演終了後、打ち合わせもしたい。

 とにかく、本質と実態を知ることである。
 マスコミに登場したり、人々の間で多く語られるようになると、言葉だけが独り歩きし、危険な方向に向かってしまう。
 
一方で、過度な不安感を煽ったり、他方で、不用意な安心感に陥れてしまう。
 共におかしい。

 立川断層について、分かっているようで分かっていない。

 意外に防災についても、分かっているようで分かっていない。
 地震は何時起こるか分からない。予測が正しいとしても、確率の問題であり、蓋然性の問題である。
 明日起こっても対応できるように、今できること、今やらなければならなことを見極め、着実に実行することである。

     
                  冬枯れの矢川緑地

 東に向かって流れてきた矢川が、ここで、立川断層に突き当たり、南東に流れを変える。