堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

市民ハイキングラリー

2009年05月31日 | 日記

 第31回市民ハイキングラリーが、柴崎体育館スタートし根川緑道、矢川緑地保全地区を通り、国立、国分寺を通過し泉市民体育館をゴールに、約14kmのコースで行われました。
 根川、矢川緑地では初夏の緑の中、参加者の皆様は爽やかな気分で一日を楽しみました。

 根川緑道は春の桜の季節にはたびたび訪れ、写真を撮りますが、緑の季節もなかなかのものです。
 今日は、根川から矢川までハイキングラリーに同行しました。途中の国立のまま下は省略し、矢川の途中で待っていました。チェックポイントの国立6小ではホタルの飼育をしていますが、まだ見たことはありませんので、一回見てみたいと思っています。
 かつて矢川緑地保全地区でホタルを飛ばしてみようと思ったこともありますが、水温が低く、カワニナが生育しないことが分かり、断念した経験があります。ちなみにカワニナは矢川が国立市域に入ったあたりから川底を這いまわった跡が認めれます。

                              


辞書引き学習法

2009年05月25日 | 日記

 先日、TVのニュースで「辞書引き学習法」というのをやっていた。やり方は単純で、わからない言葉に出会ったら、辞書を引き、そのページに付箋を貼るというもので、引く回数が多くなれば、辞書が付箋でふくれ上がり、目でその成果が確認できるので、子どもたちはいよいよ辞書を引くという結果になる。
 引いた辞書の中にわからない言葉があれば、また引くという行動にもなる。
 辞書を使う授業は国語だけではなく、他の教科でも頻繁に使う。

 言葉の意味を正確に把握することは、人間は、言葉によて意思表示をし、相手はその言葉を聞いたり見たりして相手の思いや考えを理解する以上、そのことは大変に重要なことである。
 もし言葉の意味をお互いが違って理解していれば、思いや意思が伝わらず、誤解を生む原因となる。
 私もカタカナ言葉や専門用語で正確に理解できないものは、必ず調べるようにしている。

 かつて、東京の或る区が広報や役所が出す文章からカタカナ語を無くす運動を展開し、本まで出したことがあった。これも高齢者にはカタカナ語がなじまず、その文章が理解されない恐れがあったからである。しかし、カタカナ語をすべて日本語で言い換えることも危険である。つまり、カタカナ語の持つ意味が日本語で完全に置き換えることができなけらば、正確な意味が伝わらないからである。その例の一つが「アイデンティティ」などではないだろうか。

 やけに難しい言葉を使って話をする人がいるが、果たしてその人がその言葉の意味を理解しているのか、正に理解できないことが多い。本当にその難しい単語を、真に理解していれば、易しい言葉でいくらでも話ができるからである。

 ともあれ、自分自身、面倒がらずに、言葉の真の意味が分かるまで、きっちりと調べてから、使うようにしよう、辞書引き学習に精を出す小学生を模範として。


中学校の運動会

2009年05月23日 | 日記

 立川市立第三中学校の運動会が素晴らしい天気の下で行われた。
 いつもながらの生徒たちの溌剌とした競技態度にすがすがしいものを感じた。
 三中は錦町と羽衣町が学区になっているが、その錦町は、現在、立川市の市民体育大会で4連覇中であり、中でも陸上男子は11連覇中である。今日は、その秘密の一端を垣間見たような気がした。と云うのは、来賓席の最前列に錦町の体育会の会長と陸上競技の監督が陣取っていた。
 監督はストップウォッチを片手にメモを取り、市民体育大会に出場を要請する選手の目星をつけるためであろう。
 備えあれば憂いなし、準備おさおさ怠りなき姿である。勝利の要諦を見たような気がする。
 色々な仕事ややらなければならないことが目の前にぶら下がっている。緊急的なことをかたずけるのに精一杯なのが現状の姿である。長中期的な課題を解決し、大きな仕事をするには情報収集や知識の集積が不可欠であり、日々の時間配分を的確に行い、実行し、成果を上げなければと痛感した。
 生徒たちのひたむきな姿勢と重ね合わせ、自らを反省した半日であった。


 


本棚の隅

2009年05月16日 | 日記

 本棚をふと見ていたら、朝日選書の原田伴彦著「被差別の歴史」という本があった、だいぶ古ぼけているが、古本屋で買った形跡はない、1945年、昭和50年が初版の本である、読んだ形跡もない。
 立川あたりでは、近辺にが無かったのか、知らなかったのか、いずれにしてもあまり差別の問題は意識しなし、知識もない。
 解放運動が関東はあまり進まなかったこともその一因ではないでしょうか。
 しかし、新聞等で話題になると知識として知っておきたいとの思いが残り、書店で購入したのだろう。
 地元の第三小学校が、人権教育に力を入れ、ある学年でテーマに取り上げていることを知った時、それなりに興味を持ちました。
 一冊ぐらいはしっかりした本を読まなければと思っていますが、どうなることでしょうか。

 


立川南環境改善推進協議会総会

2009年05月09日 | 日記
 昨日(21.5.8)、「立川南環境改善推進協議会」の通常総会が開催された。
 総会は粛々と進んだが、東京都の「安全・安心まちづくり条例」の改正により設置された「立川駅周辺安全・安心まちづくり協議会」への委員と幹事の派遣について発表があった。  協議会の設置は以前から聞いていたが、先の話であると思っていたところ、4月末に急きょ協議会の発足があった。
 都条例の改正の要点、協議会の設置の意義と役割、運動論等が市民に分かっていないのが実態であると、総会の席で感じた。
 改めて、都条例改正係る問題についてこのブログで書いていきたいと思う。
 私自身の勉強不足であろうが、今後の市の情報提供に期待したい。議会への説明はどうだったのであろうか、それも聞きたいところである。

行政の文化化

2009年05月06日 | 地方自治

NHKの憲法記念日の特集番組で第25条を取り上げていた。言うまでもなく第25条は「生存権」を規定したものである。
 第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」という規定の「文化的」について、演劇や絵画鑑賞のできる程度の生活も保証しなければと言うのとは大分違うのではないかと思う。
 これは本来「文化」という言葉の持つ意味が深くかかわっており、そのことを理解しなければこの条文を本当に理解できないのではないだろうか。
 現在の日本において第25条の存在は大きく、それを具体化する必要性を感じた。
 そんな中で、「文化」に関連して、ふとあることを思い出した。

 かつて、「行政の文化化」について議会で取り上げたことがあった。
 相当前の話で、いつだったか記憶にないが、当時、企業の考え方に変化が生じ、コーポレートアイデンティティ(Corporate Identity )という概念に注目が集まっていた。TVコマーシャルも企業が販売する物を直接・ストレートに表現するのではなく、会社のイメージや社会貢献に資する姿を映像化し、企業のアイデンティティを表面に出すという方向に変わってきていた。
 行政も、東京都が先駆けとなって、コーポレートアイデンティティをもじって、シティアイデンティティ(CI)ということを言い出した。
 つまり、各自治体がその街の持つ歴史的背景や地域性、住民のパワー等の特性を生かし、更に発展させていくことが地域住民にとって住んでよかったという街になることの要件であると感じたからであろう。
 これが、のちに地方分権の確立につながり、都市間競争へとの流れを作ったものと思われる。
 その頃、行政の文化化ということも言われ始めた。
 当時、議会で「行政の文化化」を取り上げると、文化行政と混同され、議論が噛み合わなかったことを思い出す。

 憲法第25条でいうところの「文化」とは、単に演劇とか絵画とか彫刻、音楽という「狭義」の文化ではなく、むしろ「行政の文化化」でいう「文化」に近いものだと思う。
 そろそろ本題に入らなければならないが、次の予定が入っており、日を改めて書くこととする、取敢えず本日はこれまで。


喫煙制限条例

2009年05月05日 | 日記

 ビックカメラに行った帰りサンクスのところで一服した。立川市では喫煙制限条例があり、私もそのキャンペーンに参加したことがる。
 条例では大きく分けて二つの地域がある。一つは、路上禁煙で所定の公設の喫煙場所以外は禁煙のエリア、二つ目が歩行禁煙エリアで、歩きたばこポイ捨て禁止エリアである。サンクスの所は歩行禁煙エリアの最初の路地である。

 立川市の条例も「健康増進法」に基づくものである。
 この法律は、タバコについて、第7条で「喫煙」に関する正しい知識の普及、第25条で「受動喫煙の防止」について定めている。つまり、指定された施設を管理するものはこれらの施設を利用するものについて、受動喫煙を防止するために必要な措置を講じるように努めなければならないと規定している。

 タバコが健康に悪影響を及ぼすことは、今や周知の事実である。
 特に、タバコを吸わない人にとっては、迷惑至極である。
 従って、健康増進法、立川市の条例の趣旨には大賛成である。
 一方、タバコは嗜好品であり、多少のリスクは承知で付き合うことも認めていいのではないかと考える。健康増進法も「禁煙」を求めているのではなく、「受動喫煙」の方策を講ずることを要求しているはずである。
 多額のタバコ税を徴収している自治体は、そのところを勘案して、施策を講ずる必要があるのではないかと思う。


子どもまつり

2009年05月04日 | 地域・ボランティア

 毎年行われている「子どもまつり」をJRAのA館のロビーで行った。親子のイベントといえば普通学校等で行い、街中の繁華街では場所が無くできないのが普通であるが、JRAの好意で、例年、場所をお借りしている。
 幾つかの目玉はあるが、その中の一つが、ミニSLである。昨年は、SLが不調で、上手くいかなかった。老朽化し、素人ではメンテナンスも思うようにいかず、遂に限界かと感じていたが、蒸気機関車本来の蒸気をあきらめ、空気に切り替えることによって、ミニSLも復活した。
 水をプロパンで熱し。蒸気を発生させ、それを動力源としていたが、配管は細く複雑であり、その一部が破断し、圧力が上がらなくなってしまっていたのである。そこで、コンプレッサーを積み、圧縮空気を直接、中心部に送り、それを動力として、機関を動かすように改造した。
 スピードがあまり上がらないことや充電に時間がかかるが、準備に手間がかからず、床面を余が差ないことを考えれば、十分子供たちも喜んだものと思われる。
 来年もこの調子でできそうである。
 立川消防署・立川警察も生活安全課長を先頭に来ていただきビデオ上演などを行ってもらい、子どもたちの安心安全のための啓発活動も一定の成果をを挙げたものと思われる。

 終了後、地元商店街の理事長の経営するお店「トップ」で打ち上げと反省会が行われたが、痛風のためお酒が飲めないことを理由に欠席させていただいた。
 禁酒して、約10日、そろそろ、お酒が恋しくなってきている。長年、夜の11時前後に寝酒と称して飲酒してきたが、これが痛風の一番の原因ではないかと思っている。その時間の有効活用を今思索中である。生き方が少し変わるかもしれない。


痛風発作後一週間

2009年05月03日 | 日記
 先週の火曜日、4月21日、左足親指の第2関節に痛みをっ感じた、歩くと靴に当たって痛い、少し腫れているような気もするが原因に心当たりはない。物にぶつけた記憶もない。
 気にしながらも当日の日程をこなすこととした。かなり重要な打ち合わせ2件、総会一か所、ホテルから放課後子供教室の現場に駆け付ける。足は痛むが、引きずるほどではなく、不自然だが歩けた。
 痛風のご主人を持つ女性から、明日は足がパンパンに張れ歩けなくなると不吉な予言をされた。半信半疑で帰宅し、とりあえずやすんだ。
 翌、水曜日、4月22日朝方、激痛を感じる、腫れも酷い。直感的に痛風の発症であると確信した。というのも、私の近くに痛風を持病とする人が何人かおり、その人たちの話を思い出し、それまでの経過を総合的に判断すると、痛風の発作であることに間違いがない。翌週、大事な要件が予定されており、正装することが必要であり、当然、皮靴を履かねばならない。痛みが治まっていなければ困る。
 病院は好きではないが、行かざるを得ない。とにかくスニーカーを履き、バイクに乗り、病院に行けた。それが精一杯で、重要な会議を欠席し、家で過ごした。
 改めて、周りに多くの痛風もちがいることも分かった。それぞれ、上手く痛風と付き合っていることも分かった。三者三様というが、その人たちの個性が付き合い方にも出ているような気がする。痛風一年生として、これからどうしようかと思案している最中である。生活様式がどのくらい変わるのか我ながら楽しみでもある。