堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

上長瀞から長瀞へ

2011年11月22日 | 

 先日、長瀞に行った。
 忙しく、なかなかアップできなかったが、やっとできた。

 TVで鉄道写真家の番組を見た。
 鉄道の写真を撮りたくなった。鉄道と言えば、何と言ってもSL。
 以前、東山魁夷と中島千波の絵を見に行った時、信越線で横川まで行き碓氷峠をバスで超えたとき、偶然、高崎駅でSLを見た。
 ホームでSLの発車時の独特の音が突然耳に入った。あわててシャッターを切った。その時の写真である。

     

 一番近い所で、秩父鉄道でSLが走っている。秋・冬はシーズンオフ。
 紅葉を見ながら、撮影ポイントを探すこととした。

 八高線で東飯能まで行き、西武線秩父まで行く。
 西武線の秩父駅前広場にわずかに紅葉したメタセコイヤの大木があった。

             

 まず、秩父鉄道の上長瀞駅で降りた。

     

 ロケハンの最初の目的地は、余りにも有名な撮影ポイント・荒川にかかる煉瓦造りの鉄橋。
 駅からは極めて近い。
 SLが走ってい無いので、殆ど無人。

     

 橋脚の間をライン下りの船が通った。

     

 河原を見ると、右岸は崖が川に落ち込んでいるが、左岸は平坦で歩いていけそう。
 当初の目的は、SLの撮影ポイントのロケハン。
 荒川の上流に向かわなければならない。
 ところが、足は下流に向かって歩き始めた。
 蛇足だが、左岸か右岸かは、川の下流に向かって左か右かで決まる。

 川沿いの公園の高浜虚子の句碑があった。
 「ここに 我  句を留むべき  月の石」と言う句である。
 紅葉はわずかに始まっている程度。

     

 結局、鉄道を見ず、川を見てきてしまった。
 来年、SLが走るころ来るつもり。桜の花の季節に来たいが、どうなることやら。

 帰りに、茸を買ってきた。
 鍋に入れた。茸の名前は忘れた。


小淵沢

2011年08月15日 | 

 小淵沢で小海線から中央本線に乗り換える。
 待ち時間は20分、あまり遠くへはいけないが、駅の周りならと思い外に出た。
 小淵沢は何回も通過はしている。街に出るのは今回が初めて。
 一昔前の、静かな町、郷愁を感じる。

 まずは、友人から聞いていた鰻屋を探してみた。
 営業時間も短く、「売切れ次第、閉店」と言う看板もあった。
 行ったた時は、当然営業時間外。

 車窓から見た、蔵のある大きな屋敷が気になり、探す。
 立川にも蔵のある家が少なくなった。建て直しているところもあるが。
 折に触れて撮っておきたい。

 アナログ中心の時計屋もあった。

 帰りは、小淵沢始発のホリデー快速ビューやまなし号を利用した。
 二階建て、215系車両で、快適な帰路であった。
 直前に、八王子から横浜線に入り、鎌倉まで行く、特急はまかいじが発車した。

 ※昨日からフォトチャンネルを始めました。写真は、フォトチャンネルフルスクリーンでご覧ください。


リョウブ(令法)の香

2011年08月11日 | 

 八ヶ岳、美し森で雷雨にあった。小降りになったので、木の階段を下りて、清泉寮に向かった。

 途中で良い香りがしたので、辺りを見回すと、白い額紫陽花と名前の分からない白い房状の花をつけた木があった。この辺りにはよくある木で、別段珍しくはない。
 今まで何回も来ているのに、匂いに気が付かなかったのが不思議である。
 多分、今までは子ども達のサマーキャンプで、そちらに気を取られ、自然をゆっくり観察できなかったからであろう。

     
         

 個人的に来たのは、昨年と今年の2回だけである。
 昨年は、雨にたたられ、ゆっくり歩けなかったので、実質、自然をゆっくり楽しんだのは今年が初めてである。
 清泉寮の新館のロビーで一休みし、本館に向かう途中でまた見つけた。
 清泉寮の職員に名前を聞くと、「リョウブ」とのこと。飢饉のときの非常食にもなるとのこと。
 新芽を摘んで、米と一緒に炊き込むとのこと。考え方は「大根飯」と同じ。

     
          清泉寮の新館から本館に向かう途中のリョウブ

 名前の「令法」の由来は、何時ごろの話か分からないが、時の為政者が、飢饉に備え、栽培することを義務付けていたため、つまり、法で命令していたことのようだ。

 以前から、子供会の行うキャンプには疑問を感じていた。
 ゲームと、食事作りとハイキングでは、八ヶ岳山麓の自然を味わい、学ぶことができないのではなかろうか。

 途中で、野生のシカにも出会い、サルなしではないかと思われる植物もあった。
 他にも名前が分からない綺麗な花も咲いていた。

     

 山荘にも、八ヶ岳山麓の自然を知ることのできる資料を置いておくべきではないかと思った。
 


青春18きっぷ・・・小海線

2011年08月10日 | 

 小諸での食事、何処にしようか。
 これが習慣なのだが、チェックイン後、夕方、町を散策しながら、それらしきところを物色する。
 宿に戻り、一休み後、出かける前に、念のため、フロントでお勧めの店を何軒か聞く。

 小諸は、佐久に近いので、出かける前から、鯉料理中心の川魚の店とほぼ決めてはいた。
 それらを総合的に判断し、藤村も通っていたという店に入った。

 藤村の千曲川のスケッチに出てくる店で、看板も藤村が書いたもので、現在の店の箸袋にも使われている。
 その屋の子どもが二階から降りてきて、顔を出すような、極めて大衆的で庶民的な店である。
 「一ぜんめし 御休處」とあるのもうれしい。

 興味のある方は「千曲川のスケッチ」の中から探してみては。当時の店の様子が分かる。
 今回は蕎麦もうどんもたのまず、鯉と鮎を中心に軽く飲んだ。

     

        
                  日本最高地点の踏切を通過する小海線従来型車両

 今はもう一つある。
 ハイブリットレールカー(キハE200型)が日本で初めて、2007年7月31日から走っている。
 帰路の清里駅で猛烈な雷雨に見舞われた。
 小諸行の電車が到着し、相当多くの人が下りてきたが、一向に駅舎を出ようとしない。
 不審に思いしばらく見ていた。
 待つことしばし、突然バスガイドが現れて、殆どの人をバスへ誘導していった。
 日本最高地点通過とハイブリットレールカー乗車を体験させるために、観光バスから野辺山駅まで行き、小海線で清里で降りるというコースが増えているとのこと。

     
           小海駅で停車中の私の乗ったハイブリットレールカー

 小海線は単線なので、当然待ち合わせ駅がある。小海駅で停車した。
 アナウンスで小諸行きが遅れるとのこと、カメラを持って外に出た。これが、単線ののんびり旅の良いところ。

         
                          小海線小海駅


青春18きっぷ・・・小諸

2011年08月08日 | 

 立川を午前8時1分に出発して、午後1時28分に小諸に着く。
 目的の場所は懐古園。始めていく場所である。

 懐古園は小諸城跡と言う印象が強く、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」を思い出す。

 駅から歩道橋を渡った所で、「小諸義塾記念館」が目に入る。
 藤村が教師として教鞭をとったところでもある。
 この建物は、アメリカ開拓時代の建築に見られる、アーリーアメリカン様式と和風土蔵様式がマッチした建物である。
 帰りに寄ろうとしたが、既に閉館してしまっていた。残念。

          

 懐古園の入り口に「三の門」がある。
 正面の額は徳川家達(いえさと)の筆。

     

     

 当時の建造物で、現存するのは、この山門と大手門、石垣である。
 今回の旅で、大きな失敗がある。
 何時もは、朝早く起き、町の中を散策するのだが、二日目は野辺山を中心に、かなりの強行軍を予定していたので、朝は自重し、おとなしくしていた。見るべき所を観なかった。
 秋に、横川も含めて、考えてみよう。秋の八ヶ岳山荘もまだ未経験なので。

 園内の石垣は見ごたえがあった。

     

 園内には、初夏と初秋が同居していた。ともに紫が鮮やかであった。

     

     

 藤村記念館の前にある大欅も貫禄がある。
 大木の幹にも年代を思わせる。
 立川の市の木も欅であり、親しみがある。木編に拳と言う漢字も好きである。

     

 後ろにわずかに見えるのが、藤村記念館。
 この写真だけでは何だか分からないであろうが、欅の幹である。

     

 小諸城と言えば、学校で暗誦した、「千曲川旅情の歌」を思い出す。懐古園の水の手展望台から千曲川が見える。
 思ったより水量の少なさに驚く。

     

 富士見台から見ると、千曲川に堰ができており、上流は満々と水がたたえられている。
 そのために、水量が少ないのだと分かった。

 懐古園には、小さな動物園がある。
 多摩動物園から移ってきたライオンがいるとのこと。
 懐かしさもあり、行くこととした。
 ライオンは、丁度食事の時間。立ち上がり、ドアを叩いて、餌の催促。馬の生肉にありついた。

 動物の数は少なかったが、却ってゆっくり見ることができた。
 何の意味だか分からないが、サルの種類も忘れたが、面白いポーズをとり続けていた。