堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

鎌倉時代

2010年02月27日 | 日記

 中世、特に鎌倉時代は高校時代日本史で学んだときの知識しかない。
 巷間言われている、所謂伝説や講談本に類する話しか知らない。
 人物像にしてもその通りである。

 NHKの大河ドラマが既成概念となっていたものに新解釈を加え、視聴者の興味を引き付け話題になったこともあった。
 山本周五郎の原作である「樅の木は残った」では、伊達騒動を描き、その中心人物である原田甲斐を違った側面から描き、従来の悪人原田甲斐の印象を変えた。

 学問的な研究の成果として、私が学生時代に得た知識とは違った真実が発見されている。
 かつて、青森の三内丸山遺跡の発掘現場を見たとき、私の持っていた縄文時代の知識とイメージを大きく変えてしまった。自分の既成概念を覆すことは自分の進歩であり、更なる知的好奇心をかきたてる。

 鎌倉時代についても同じである。
 永井路子の「源頼朝の世界」を読んで、鎌倉時代が東国の武士団を世に出し、主役の座につけた時代であることを再確認した。
 鎌倉時代といえば、人で言えば北条氏、地域的には鎌倉中心と狭く考えていたが、比企氏、千葉氏、横山党、村山党を等の武蔵七党等広く関東一円に及び我が地もその中にある。
 鎌倉時代を身近に感じ、より多くのことを知りたくなった。


青少年の健全育成における戦術と戦略

2010年02月20日 | 地域・ボランティア

 昨日、都体協主催の幹部中央研修会に出席した。
 オリンピック招致委員会の事務総長である河野一郎氏のオリンピック招致活動の内容や今後の活動に生かせるであろうレガシーについての講演があった。

 オリンピック招致の苦労話や裏話も大変に面白かったが、全体を通じての戦略と戦術に興味を持った。
 様々な状況の変化の中で、戦略を変更し、戦術を組み替える。
 それが適切に行われるか否かが勝敗を分ける。
 このことは世間の色々な分野に共通するものではなかろうか。

 立川市でも青少年の健全育成を推進する事業が様々行われている。
 しかしながら本当の意味での事業展開になっているかといえばはなはだ疑問である。
 その理由は多々ある、例えば、時代の変化、社会の変容を的確に掴みきれず、適切に対応できていない、子供たちの変化に追いつけない、組織が膠着化し時代と本質から遊離してしまっているなどであろう。

 一般的に事業を行う組織は現場で事業を行う組織、その連絡協議会のような上部組織、さらにそれをまとめる上部組織のように、ピラミッド型にできている。
 ここで一番重要な組織は最前線の現場の組織であることは云うまでもない。
 従って、 上部組織は現場が活動しやすいように、情報や知識の提供、用具の提供、人の派遣などであり、事業の実施ではない。
 しかし、現実は、上部組織が本来の使命を忘れ、自らの組織を目的化し、独自の事業・活動を展開している。
 悪いことに、上部組織はその性格上、本部役員がいるだけで、マンパワーの面できわめて貧弱である。
 そこで必然的に労力を下部組織に頼らざるを得ず、結果的に下部組織に多大な負担を強いている。
 このような事を続ければ、基礎的組織である、構成団体の役員の意欲は低下し、組織が疲弊するのは目に見えている。

 オリンピック招致において、状況の変化に従い、戦略を練り直し、戦術を組み立てたという話は大変に参考になった。
 例え、批判は様々あろうが、今回オリンピック招致に失敗したとしても、遺産は残ったわけである。これをどう活かすかは今後の課題である。

 戦略と戦術の大切さを痛感した。わが町の子供たちのため、親のために、子供たちに関わる全ての人のために考えていたい。


義経

2010年02月17日 | 日記

 永井路子の「異議あり日本史」の中に義経の記述がる。
 私は義経があまり好きではない。判官びいきに代表される、一般的な日本人の義経観が私の体質に合わないからか、いわゆる義経像が不自然に感じられていた分からないが、義経にはあまり好感を持っていない。
 司馬遼太郎も義経を書いているが、私の読書歴には入っていない。

 歴史・時代物はよく読むほうだが、確かに中世を描いた作品はあまり読んでいない。永井路子の本では確か長崎犯科帳は読んでいるが、昨夜が得意とする中世の作品は読んでいない。
 これを機会に永井路子の作品も読んでみようと思うが、比較するために、司馬遼太郎の義経から始めようと思う。

 中世に登場する人物観が変わるかもしれない。


異議あり日本史

2010年02月13日 | 日記

 読む本が無くなってしまった。
 本棚には買ったが読まずに放置されっぱなしの本が何冊もある。

 ここのところ推理小説を読んでいたので、目先を変える意味からも、歴史もののエッセイということで読み始めた。
 古本屋で買った形跡がないが、やに古びている。
 発行年月日をみると、単行本が1998年6月、文庫化されたのが1992年5月とやはり古い。
 オリオン書房のHPで探すとやはり注文不可となっている。

 この本は、近世史から古代史までさかのぼって、世間で常識となっている人物や歴史に「異議あり」と、自説を展開している。
 永井路子は小説を執筆するにあたり、丁寧に資料に当たるということでは定評があるが、この本でも随所に、定説の根拠の資料の信憑性や伝説や世間の誤った評価が生まれた根拠が示されており、なかなか面白い。

 特に近世史の中での「新撰組」に対する記述は面白いが、熱烈な新撰組支持者に遠慮してここでは触れるのはよすこととする。

 出かけなければいけない時間なので、続きは後ほど。


保育まつり

2010年02月07日 | 日記

 昨日、日野市の保育まつりに行った。
 第25回ということで、主催は「日野市社会福祉法人立保育園連合会」である。
 いわゆる民間が経営主体である保育園の実践発表会であろう。
 今、行政の各分野で民間の力が様々な形で発揮されている。
 25年の保育まつりの歴史の中で、民間の創意工夫の積み重ねによる保育の質の向上が感じられる。
 園児にとっては大ホールでの演技が一生の思い出になるであろうし、園やその職員にとっては日頃の保育の質の向上に向かっての努力が光を浴びることとなろう。
 それぞれの園の特色が発揮され、お互いに刺激しあい、競争し、強いては市全体の保育力の向上に結びつくのではなかろうか。

 展示と大ホールでの演技であった。 特に興味深かったのは、展示の方であった。
 茂木健一郎の「脳と仮想」という本に興味深い記述が色々あった。
 絵や陶芸などの作品は園児の個性が発揮されていた。
 大人の完成されたものともも違う。 
 この本を読む以前は、幼児の絵画技術の未熟さが原因で幼児独特の表現になっているものと思っていた。
 つまり、ものを見る時、幼児の頭の中には我々大人と同じように見えているがそれを的確に表現できないだけだと思っていた。
 同じように見えているが、その印象が大人と違うのか、大人と全く違うように見えているのか良く分からない。
 いずれにしても、人間の脳の中に形作られているものは、写真機で風景や花を撮るのと異なるものだろう。写真のように、誰がとっても同じように写っているわけがないということは確かである。

 そこに、幼児期における育みが重要となるのではなかろうか。

 2時から、立川の市民会館で、「青少年健全育成研究大会」に参加した。
 杉山裕太郎氏の歌を交えての講演を聞いた。
 少年期から青年期にかけての自らの体験に基づき言葉や親との絆の大切さを語った。
 先日もNHKで無縁社会について様々な角度からの切り口で番組が作られ、放映されていた。
 これからの地域活動も質的な変革が必要なのだろう。
 


地縁法人

2010年02月05日 | 日記

 今、町会の会館の登記を進めている。
 町会や自治会が土地や建物を所有している例は多い。主に会館や倉庫として使用している場合である。
 以前は、町会や自治化は任意団体であり、法人格を持たない、いわゆる「権利能力なき社団」であった。
 従って、町会や自治会名では登記できず、何人かの役員の共有名義で登記していた。
 そのことで様々な問題が生じた。登記名義人が亡くなり、相続人が個人財産だと勘違いし、所有権の移転登記をしたしまったり、差押をされてしまったりした。
 そこで、地方自治法の一部が平成3年に改正され、市町村長の認可を受けることで、法人格を取得できるようになった。これが地縁法人である。

 法人格を取得していない町会や自治会の土地や建物は形式的に大体が複数の人の個人名義になっており、相続が発生している場合には、その法律関係が複雑になってしまう。特に、登記された経緯を知らない人が相続人の中にいると、ますます複雑化する。

 問題を起こさないためにも、法人化をお勧めする。
 自治体によっては、HP上で手続きについて詳しく載せ、法人化の意識を喚起しているところもある。
 ちなみに立川市では市が積極的に法人化を推進しているとは思えない。やや不親切な感を禁じ得ない。

 蛇足であるが、個人名義から地縁法人名義に変える、所有権の移転登記申請の登記原因は、「委任の終了」である。

 立春を迎えたが厳しい寒さが続いている。
 まちを歩いていると蝋梅のいい香りがした。

     
 


ヤモリ

2010年02月04日 | 日記

 三小の校庭で子供たちが何か見つけたようである。
 行ってみると、ヤモリであった。桜の木の空ろで見つけたようである。
 カメラは持っていたが、望遠レンズで、おまけにヤモリは体の色が樹皮と同じである。
 あまりよい写りでなかった。
 そのうちに子供たちが木の枝にヤモリを止まらせた。
 子供の洋服がバックだったので、それらしく写真が撮れた。

     

 ニホンヤモリという名前だが外来種である。
 虫などを食べ、人間に害を与えないので、本来歓迎すべき生き物である。その名も「家守」。しかし、その形から敬遠もされる。
 冬眠中だったのか、ほとんど動かない。
 最後は、桜の木の中に戻す。

 学童保育の教室の前の花壇で菜の花が満開。

     


言語力

2010年02月02日 | 日記

 先日、NHKで言語力についての番組をやっていた。
 言語力とは、物事を理論的に考え、それを書いたり話したりする力のことである。
 4年前のワールドカップの敗因の一つが言語力の不足であったとは思わんかった。自分の考えを正確に伝え合うことができなかったために、意思の不統一となり、混乱し、敗戦につながってしまったとのこと。
 災害や緊急時に的確な情報の伝達や対応など、言語力の低下は様々な問題を惹起する可能性があると思われる。

 言語力が低下している原因はいろいろあるだろう。番組でも指摘されていたが、携帯のメールなどもその原因の一つであろう。携帯メールにはそれなりの特質があり、その表現方法はそれはそれでよいのだと思う。
 しかしながら、文章を日常的に書いたり、内容のある対話が少なくなってくれば、自分の考えや知識、感情を論理的に整理して、分かりやすく伝えるという力が低下するであろう。

 日頃から、本や良質な文章を読み、思索を深め、様々な分野で自分の考えを持つということが基本的に大事なのではないだろうか。言語力とはテクニックや方法ではなく自らの人格を磨くことが底流になければならないと思う。

 珍しく雪が積もったので、根川緑道に行ってみた。

     
                   下水処理場北側

 マンサクの花がひっそりと咲いていた。マンサクの名前の由来は「まず咲く」という言葉からきているという説がある。
 冬のさなか枯れ木の中に春の先駆けとして咲くマンサクの生命力の強さを感じる。