堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

アールグレー・・・紅茶・・・喫茶店

2012年01月31日 | 日記

 知人宅で、アールグレーをいただいた。
 しばらくぶりの美味しい紅茶。
 コーヒー党ではあるが、たまには紅茶もいい。
 紅茶もダージリンなどタンニンを多く含む、インド産系のものが好きである。
 こう見ると、アールグレーは、私の好みの一番外にあるものである。
 紅茶も緑茶も淹れ方ひとつで、全く味は違ってしまう。
 紅茶好きで、淹れ方にこだわる方のアールグレーは格別である。
 また、体調によっても美味しさは異なる。
 少々疲れ気味な昨今、軽くてフルーティーなアールグレーは最高。

 余談だが、ワインもタンニンの多い、ボルドーのフルボディーが好み。

 アールグレーは中国紅茶であると思っていたが違うらしい。
 主に、タンニンの少ない中国茶を使ってはいるが、イギリスで作られたフレイバーテイーであるらしい。
 名前の由来は、グレー伯爵が作らせたことが、その名の由来だそうだ。
 因みに、アールとは伯爵の意味だそうだ。

 純喫茶という言葉はもう死語であろう。
 かつて、おいしいコーヒーや紅茶を飲ませてくれ、クラッシック音楽が静かに流れる、心地よい空間があった。
 格別旨いウインナコヒーを飲ませる店が国立にあり、わざわざ行ったのも良い思い出。その店はまだあるとの話も聞いた。

 当時でも、コーヒーの旨い喫茶店は多かったが、紅茶の店はあまりなかった。
 東青梅で、偶然入った喫茶店で飲んだロシアンティーの余りの旨さに、青梅線沿線に用事や仕事で行った折、わざわざ行ったことも記憶にある。
 新宿の高野か近所の店かはあまりはっきり覚えていないが、仕事の帰りたまに行った。茶葉も販売しており、買って帰ったことも覚えている。


山田風太郎の日記

2012年01月30日 | 日記

 NHKアーカイブスの「山田風太郎が見た日本 未公開日記が語る戦後60年」を録画していたことを思い出した。
 山田風太郎の作品は全く読んでいない。
 忍者ものという印象が強く。忍者に興味がない以上、読む意欲もなかった。
 ドナルド・キーンの「日本人の戦争~作家の日記を読む~」でも、主な登場人物の一人でもある。
 NHKアーカイブスの内容は、今回発見された、山田風太郎の1950年(昭和25年)から1993年(平成5年)の日記を通して、 廃墟から復興していく日本の姿と、太平洋戦争を知ろうというものであろう。
 まだ見てはいないが。

 この際、山田風太郎の作品を調べてみた。
 「戦中派不戦日記」「戦中派闇市日記」「戦中派焼け跡日記」「山田風太郎育児日記」など日記類も多い。
 特に、「戦中派不戦日記」は2002年に新装版が出ている。

 作家の書いた日記は、全くプライベートなもので他人が読むことを殆ど予期しない一般人のものと異なり、発表することを前提としたり、予測されて書かれているものだと思う。
 従って、本音や都合の悪いことは書かれていないものと思い、読まなかったのかもしれない。
 従って、文学作品の中でも日記というジャンルのものは殆どと言っていいほど読んでいない。

 昭和史を改めて知ろうと思うようになり、更に、ブログを書きだしてから、ある人の思いの中で書かれる日記も歴史を知る上で、大変に貴重なものであることが分かり始めた。
 ドナルド・キーンも米海軍の情報将校として、普通の日本人の日記の中からさまざまな情報を知ろうとして、数多くのものを読んだと言う。
 その上で、著名作家の日記から日本人の戦争についての考えや行動を知ろうとしたのであろう。

 時間を作って、新たな分野の本も読んでみよう。

 我が家から西友に行く道に一本の蝋梅がある。
 今年も満開の時期が来た。

     


プレ錦まつり

2012年01月29日 | 地域・ボランティア

 プレ錦まつり・・学大生と過ごす錦学習館の一日・・
 錦学習館、錦学習館運営協議会、東京学芸大学生涯学習教室主催、錦青少健、錦やよい会、生活の知恵を学ぶ会共催で行われた。

     

 昨年に続き2回目。
 昨年は、錦学習館という場所を提供し、学芸大の学生たちが企画、運営協議会の委員が当日お手伝いをする、という形で行われた。
 今年は、企画の段階から、運営協議会が参加した。
 昨年の経験を踏まえ、運営協議会のメンバーが講座のテーマや、ヒントになりそうなものをメモにまとめ、学生たちの講座企画の参考にしてもらった。
 次に、或る程度企画がまとまり、方向性が見えてきた段階で、委員が授業に参加し、意見交換を行った。
 協議会で、講座を充実したものにするために、何をすべきかも議論した。
 「とある錦のロケ地巡り」という企画では、立川市民の間でも意外と知られていないアニメや映画の舞台となった立川。
 資料収集のために、市役所を訪れ、商工会議所や観光協会とも協力し、資料や展示物を集めた。説得力があり、魅力的な展示ができた。
 国際交流と世代間交流を狙いとした企画では、講師を担当する西東京朝鮮第一初中級学校オモニ会の代表と学生が事前の打ち合わせもした。
 防災をテーマにした企画では、タイムリーに行われた立川断層に関する講演会も聴いた。
 その結果、講座の質が高まり、交流の輪が広がった。

     

  この事業は、東京学芸大学「社会教育計画論」の受講学生が、「地域づくり」と「世代間交流」をキーワードに子供から大人まで楽しめる8つの企画からなっている。

 今年が2回目であるが、様々な発展性を内包した企画である。
 連携・交流という意味でも複数の意義があると思う。
1つは、現役の学生が、授業の中で、様々な分野で活躍する、地域の大人たちと連携する意味。地域の大人たちにとっては、若い発想と行動力で新たな挑戦する学生たちから受ける刺激。
 来場する子どもから大人の人々との交流。
 今回は、チジミ作りを通しての国際交流・・・異文化・食文化。
 お汁粉や手作り味噌の味噌汁、錦松梅や焼き芋などを通しての異年齢交流と食文化の伝承。
 地域力の向上や共助の精神の必要性が叫ばれだしてから久しい。
 これらの基盤、醸成する土壌は、地域を構成する人々の連帯である。
 その連帯の強化は、人と人との交流である。
 学習館はその使命を果たす地域の拠点の一つであろう。

 大人のしゃべり場、ロケ地巡り、防災の企画は地域づくりの一つのヒントとなる。
 立川という町の姿を知り、様々な問題を意識し、未知の人との出会いと語らいは新たな道を開くであろう。
 今後、さらに発展させていきたい。
 PRや広報の面で、大人たちへのアプローチが弱かったのではないかと反省する。

 大いなる発展性を感じつつ、終わった1日である。

      


タウンミーティング・・・立川市長

2012年01月28日 | 地域・ボランティア

 立川市長のタウンミーティングが市民会館の地下のサブホールで行われた。
 昨日の立川断層の講演会に引き続き、防災がテーマ。

 立川市の政策形成において、公式の審議会や委員会は当然必要である。
 一方、市民の生の声を聞くことも大事である。
 現場には知恵があると言われる。
 市民の生の声、率直な意見、専門的な知識や技術を持つ市民の見解などが行政を動かすこともある。

 余談だが議員の行っている市民相談。
 市民から相談を受け、市職員に取り次ぎ、その問題を解決するだけでは議員失格。
 市民が、自ら問題を解決できなかった真の理由を分析、解明し、その原因をつきとめる。
 市民相談を縁として、制度の創設や条例の制定、運用の改善などを実現することである。
 病気に例えれば、熱が出ている人に解熱剤だけ与えれば、熱は下がるが、病気そのものは治らない。
 真の議員は市民相談という手段を用いて、深刻な問題を抱える市民と対話し行政を変えていく。
 タウンミーティングも同じだと思う。

 市長や幹部職員は何が飛び出すか分からないこの種の会合は神経を使うと思う。
 今回の会合がそうであるという訳ではないが、公式的な見解や言質を取られないような、いわゆる官僚的な発言になりがちである。
 この事は、参加する市民の側にも責任がある、この種の会合は、市長が市民の生の声や意見、見解を聞き、政策に反映させると言うところに意味がある。
 市長を問い詰め、糾す場ではないことを理解すべきである。
 現時点での市長の考えを率直に話せばよいと思う。

 市民の声を聞く仕掛けは色々あり、各市の市長も努力している。
 一種の市民参加である。
この事については稿を改めて書こう

 私も、自主防災組織を中心に若干発言。

 市民の声を聞けるチャンスである、この種の会合には議員は出席すべきである。
 


関心事・・・立川断層講演会

2012年01月27日 | 日記

 立川断層の講演を聞く。
 出足が早いと予測し、5時30分に到着。
 市の職員に聞くと、70%以上既に入場しているとのこと。
 始まる頃には、階段に座ったり、立ったまま聞く人も。
 教育長も立ち見。空き席が一つ見つかり、すすめられたが遠慮して座らず。

 立川断層は矢川から西国立駅の延長線上に北西にほぼ一直線にある。
 市民の関心も高く、不安感も相当あるのと思う。
 提供された情報は一つだが、受け取った市民はどう考え、どう感じたのだろうか。聞いてみたい。
 立川断層については、学術的にも不明な点が多く、今後の解明を待たなければならい。
 そこをどう解釈し、どう対応するかが問題だ。
 その点を含めて、防災の全般的な、きめ細かい情報提供が大事。

 東日本大震災、マスコミ報道、口コミ、風説これらが無ければ、立川断層の学術的な講演会を開いても、これほど人は集まらない。
 タイミングである。
 阪神淡路大震災から17年、風化が始まった段階での東日本大震災。
 ある講師曰く、大震災が毎年起これば、備えは万全。忘れたころに来るから手遅れ。
 市民の関心が高い時に、行政は、一気呵成に防災行政を進めるべきだ。
 地域においてもしかり。
 不安感を抑えることも大事だが、震災の恐ろしさを直視し、立川断層が存在する現実を直視し、可及的速やかな対応を望む。

 


分かっているようで分からないこと・・・立川断層

2012年01月26日 | 日記

 明日、立川断層についての講演会がある。
 阪神淡路大震災は、活断層に起因して起こった。
 以前、根尾谷活断層を見た。
 近くにある薄墨桜も震えていたような、雨の降る寒い日だった。
 明治24年の濃尾地震の震源である。
 地層断層観察館ではその生々しい姿を見た。野外でも、はっきりと断層の姿を見た。
 立川断層にも、地表にその姿を現しているところもある。
 矢川が流れの方向を変えたのも立川断層の影響である。

 大震災以前は、非常に安定しており、地震の起こる確率も低いと言われていた。
 東日本大震災以来、時々マスコミにも登場している。
 地震の起こる確率が高くなったと言う。
 無用な不安感を煽るような発言も時々聞く。
 そのせいか、市長は、新年会等で、関東大震災の様子を紹介し、立川は確りした岩盤の上にあり、安全であると言う。
 しかし、活断層のメカニズムや立川断層が東日本大震災でどのような影響を受けたのかはっきりしない。
 明日は、それを知る良い機会である。

 錦学習館の学芸大生とのコラボレーションの講座の一つとして、災害発生時の対応等について学ぶ。
 タイムリーな講演会なので、一緒に行く。
 講演終了後、打ち合わせもしたい。

 とにかく、本質と実態を知ることである。
 マスコミに登場したり、人々の間で多く語られるようになると、言葉だけが独り歩きし、危険な方向に向かってしまう。
 
一方で、過度な不安感を煽ったり、他方で、不用意な安心感に陥れてしまう。
 共におかしい。

 立川断層について、分かっているようで分かっていない。

 意外に防災についても、分かっているようで分かっていない。
 地震は何時起こるか分からない。予測が正しいとしても、確率の問題であり、蓋然性の問題である。
 明日起こっても対応できるように、今できること、今やらなければならなことを見極め、着実に実行することである。

     
                  冬枯れの矢川緑地

 東に向かって流れてきた矢川が、ここで、立川断層に突き当たり、南東に流れを変える。


メールチェック

2012年01月24日 | 日記

 メールはPCだけ使っていた。
 携帯は殆ど使わなかった。その理由は2つ。
 最大の理由は添付ファイルが使えないこと。もう1つはデーターとして残せないこと。
 ギャラクシーに変えてからメールも使い始めた。

 PCメールは朝一番に開き確認する習慣。ギャラクシ-はその習慣がまだない。
 携帯はまさに、常に携帯していたから、メールの着信はその都度確認した。
 ギャラクシーは会議などでは、日程を入れたり、メモに使うので、たいてい机上に置く。
 しかし、マナーモードにして鞄に入れておくことがある。
 メールの着信に気が付かない。
 メールチェックの習慣もない。
 結果、見過ごしてしまい、迷惑をかけてしまう。
 タイムリーな対応が身上のはずだが、逆な結果。
 明日からは、PCメールのチェックと同時にギャラクシ-も。

 三小の研究発表会、最後まで居る。
 三小は都教委のスポーツ教育推進校、市教委の研究協力校。
 グラウンドのコンデションが悪く、授業を行ったのは体育館だけ。
 寒かったが、体育館の5年生のハーフコートハンドボールの授業とその分科会に出た。
 分科会では、県外から来た先生も含めて熱心な質疑応答が展開された。
 授業を組み立てていく上での先生方の苦労を垣間見た。
 詳細については後日資料を熟読したい。
 音響が悪いのか私の耳のせいか、聞き取りにくかったのは残念。

 以前、公開事業の感想でも書いたが、大人にも通じる点が多い。
 今日も一つ。
 「体育ノート」の活用。
 その日の体育授業の感想、思いついた作戦、反省点を自由に書くためのノートである。
 整理し、反省し、新たな発想を得、次の行動に備え、新たな出発をする。
 日常に埋没している大人こそ、見習うべきだ。

 午前中、陸上自衛隊立川駐屯地司令を表敬訪問。
 立川シティーハーフマラソンで大変にお世話になる。
 目に見えない御苦労も知る。
 感謝の気持ちで一杯。

     
                昭和記念公園の椿


首都直下型地震

2012年01月23日 | 地域・ボランティア

 今日の読売新聞、小中学校の防災訓練と東大地震研究所の地震予測の記事。

 マグニチュード7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生する。
 東京大学地震研究所の研究チームの予測。
 これは、政府の地震調査研究本部のまとめた、30年以内に70パーセントと言う予測を上回るもの。

 地震予測により一喜一憂する。人の常である。
 阪神淡路大震災、地震の発生を殆ど予測していなかった。
 地震発生約一週間後
、現地に行って、今でも鮮明に覚えていることがある。
 仮設トイレが様々な形。現地での備蓄は皆無。各自治体から救援物資として提供されたもの。従って、色も形も様々。

 自治体でも、地域でも、家庭でも一番大事なことは何時起こっても対応できる体制を備えること。
 今できることを今やること。
 体験したことのない事態が発生する、それにどう対応するか。
 東日本大震災でも、明暗を分けた事例が様々な場面であった。条件が似ているにもかかわらず、多大な被害を出したところと、全員無事なところ。

 考える防災の重要性が、今、問われていると思う。

 我が地域でも、3月3日に防災訓練を行う。今年を防災元年とし、地域の防災力向上のため、あらゆることを考えていきたい。

          

 この冬初めての積雪。写真に収める。やはり寒い、風呂に入り寝る。自転車の二人、もう少し近ければ。


社会教育委員会

2012年01月22日 | 地域・ボランティア

 先日、錦学習館の運営協議会で社会教育委員の皆さんに協議会を傍聴していただいた後で、意見交換を行った。
 私自身、大分以前から社会教育委員会の存在は知っていた。
 社会教育の面での教育委員会の諮問機関であることは分かっていた。
 しかし、日常的に何をやっているかは不明である。
 今回、平成22年に、「地域の教育力を高めるために」と題する提言を行っていたことを知った。

 昨日、立川市のHPで、社会教育委員会のページを見た。
 平成22年の提言が載っていた。
 しかし、会議録を見ると、最新のものは、第26期の平成22年7月から、平成23年3月までのものである。
 推測するに、現在は27期の委員が活躍しているものと思われる。
 しかし、議事録はない。

 情報公開、情報提供、市民との情報の共有は地方自治の根幹をなすものである。
 会議は公開で行われているのであろうが、傍聴することのできない市民にとって、議事録は唯一の知る手段である。

 27期の会議の様子、結果を知ろうとしたが、出来なかった。

 「地域の教育力を高めるために」と題する提言は熟読してみたい。
 その感想は、後日、書きたいと思っている。

     
           
先日、昭和記念公園で撮ったサンシュウの実。


週刊公論&棟方志巧

2012年01月21日 | 読書

 先日、TVでの棟方志功の特集を録画した。
 棟方の作品に最初に出会ったのは、週刊公論(コウロン)の表紙である。
 当時の驚きは、今でも覚えている。
 創刊号がいつ出たかと言うと、昭和34年(1959年)、私が18歳の時。高校生だった。
 内容も硬派の雑誌だったと思う。本の中身よりも表紙の素晴らしさで買った。
 この週刊誌を知っている人は少ないのではなかろうか。

 今の、商業主義に走った、低俗な週刊誌の氾濫は見るに忍びない。
 高校生の知識欲を満たし、低価格の週刊公論が懐かしい。

 雑誌の値段は20円。今でも覚えている。他の週刊誌は30円から40円程度。
 理由は分からないが、雑誌の命は、非常に短かった。廃刊を惜しんだ事は記憶している。
 評論家の大宅壮一を知ったのもこの雑誌。

 ちなみに、月刊誌は中央公論ではなく文藝春秋を読んでいた。
 文芸春秋は記事もさることながら、杉山寧の表紙が素晴らしかった。
 それ以来、杉山寧の絵を見るようになった。

 週刊公論が創刊された前年の昭和33年の芥川賞は大江健三郎の「飼育」である。
 これも文藝春秋に発表されたものを読んだ。

 余談だが、大江健三郎の母校は愛媛県の内子町にある。
 内子町は、蝋の原料である、ハゼの集散地として栄えた町であり、今でも素晴らしい街並みが残っている。

 この学校は、地域に開かれた学校で、地域住民が様々な形で利用できるようになっている。デザインも斬新で、地形をうまく利用した素晴らしい学校である。
 一人で視察にった。その折、大江がノーベル賞候補に挙がった時、この母校で待機していたことを聞いたり、在学当時の文章なども見せてもらった。

 棟方は、版画とは言わず、板画と言った。
 色使いや線に独特のものにひかれた。生家の青森の記念館で見た釈迦十大弟子は素晴らしかった。

 近所にある、都立の多摩図書館が雑誌に特化した図書館になってから足を運んでいない。
 是非、週刊公論の創刊号を見てみたい。