堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

街の情報をブログで

2010年01月29日 | 日記

 地域で様々なボランティア活動が行われている。
 今や、町の安心安全対策についてさえ行政だけでは守りえない。地域のボランティアが様々な面で求められている。
 しかしながら、ボランティアとして地域活動に参加する人が少ない。
 その理由は様々あるが、情報不足がその一つではなかろうか。
 先日も体協の構成メンバーである地区体育会の会長さんがたが集まった会議で本題が終わった後で話題になったのは、地域の人が地区体育会のことを知っている人が少ないということである。
 つまり、立川には各町に体育会があり、立川全体で12地区体会があり、それぞれ体育協会に所属していることである。
 これは全国的に見て稀有なことである。
 従って、他市から立川に転入してきた人は各町ごとに体育会があることが分からず、町民運動会はどこが主体で行っているか認識している人は少ない。
 情報不足が地域活動の活性化を阻んでいるのではないだろうか。

 錦町の情報を新たにブログという形で提供しようと考えている。
 今、各団体と話し合い、体制を整えつつある。ブログとHPをつないで、必要な情報は迅速にブログで、より詳細なものはHPでと考えている。

 以前から、三小の校庭の野菜らしきものが気になている。たぶん、大根の一種だろうがその名を知らない。
 写真に撮ってネットで調べた。
 「桜島大根」であろうと思うが、正解は校長先生に聞こう。
 もし桜島大根だとすれば、「安納芋」といい、校長先生の出身地は九州か(?_?)
 それも併せて聞いてみたい。

     
              果たして「桜島大根」?

 三小の校庭の紅梅が咲き始めた。

     


もういちど読む山川世界史

2010年01月23日 | 読書

 昨日、本屋に立ち寄った。
 店頭で平積みされている「もういちど読む山川世界史」という本が目にとまった。
 今、高校の教科書風に書かれた歴史の本が売れているというのを新聞かテレビで見たのを記憶していた。
 山川出版社という名前の出版社は教科書で有名である。

 学習指導要領では地理歴史の中で必修科目は世界史だけで日本史と地理は選択科目となている。平成25年度から実施される新学習指導要領でも同様である。
 一方、東京都では都立高校の半分近くが日本史を必修科目としており、ここで東京都教育委員
会は全ての都立高校で、日本史を必修科目にする方向を決めたようである。

 私は高校時代、理科系のコースに属すクラスに居たので、地理は気候風土などの要素があり、現実的な生活と密着しており興味があったが、歴史は記憶科目という印象がありあまり興味がなかった。
 そこで、自分の国の歴史という意味で日本史を選択した。

 ところが、文学作品を読んでもその時代的背景や思想の底流を歴史的観点から見ることができず、結果的に西洋文学は敬遠してしまった。
 また、現在の世界の動きも歴史的背景が見えないために真実の理解は不十分であると感じている。

 そこで、世界の通史が分かる本を読まなければと感じていた折、高校の教科書鮒本は手ごろなものだと思い、買うことした。

 日本の歴史を知る上でも、世界史との関連が分からなければとも思い、同じ出版社から出ている本も読んでみたい。

            


さんさんクラブ茶道教室

2010年01月20日 | 地域・ボランティア

 立川市立第三小学校放課後子供教室さんさんクラブでは地域にお住まいのお茶の先生や元参照に勤務されていた方などのご協力をいただきながら茶道教室を行っている。
 子どもたちに日本伝統を体験の中から学んでいければと思っている。
 子ども達はお茶は苦いが美味しい、これからも参加したいなどの感想を語っていた。

 茶道教室は水が使える家庭課室でイスと机で行っている。
 本来ならば畳のある和室で行いところであるが、三小にはそのような場所は無い。
 立川市の小学校は、正に教室だけである。
 かつて、児童数の減少により合併で新設された調布の小学校を視察したことがある。
 そこには多目的に使えるオープンスペースや和室、廊下に置かれたベンチ、清潔感にあふれたトイレなど子どもたちの情緒を育てる施設があった。
 三小は正に学校である。職員のご苦労を感じる。

 大方の人は財政難を理由に現状を変えることは不可能と言うだろう。
 立川市でも小学校の統廃合が行われたが、新し学校はできなかった。
 調布でも当初は財政部局が財政的理由で新しい学校の建設には反対した。
 しかし、市長の決断で、PFIという手法を使い、新設の学校が誕生した。
 役人と政治家の違いを見る思いがする。
 市長は役人であってはならず、政治家であらねばならない。
 財政が豊かであれば誰でもできる、財政が逼迫しているからこそ政治家の力量が問われる。
 緊縮財政やコスト削減だけが能ではない。そこに政治があり政策がなければならない。・・・・・と思う。

     

 三小の隣にある東京都の施設の木に先日多摩川の河川敷で見た「ツグミ」が来ていた。
     


錦町合同新年会

2010年01月19日 | 日記

 昨日、錦町の各種団体の合同新年会を行った。
 錦町では毎年1月18日に各種団体が合同で新年懇親会を開催する。
 今では、各町がこのような形で町全体で合同して新年会や賀詞交歓会を行っているが、錦町はその先駆を切って行ったという経緯があり、歴史は古い。
 以前は各団体がそれぞれ独自に行い、同じ顔触れで何回も新年会に顔を出さなければならずわずらわしさがあった。
 そこで、合同で行おうとの声が起こり、現在にいたっている。
 錦町がまとまりがあるのもこの様な先人の卓見があったればこそと思う。

 錦町のHPを作っているが、ここのところほとんど更新をしていなかったので、今年こそは構想を練り直して、錦町の人が情報を共有し、街の活性化のための一助になるようなものを創っていきたいと決意している。

     


ねぶた会等野外新年会

2010年01月18日 | 日記

 昨日、ねぶた会やその地元の町会・商店街が合同で公園で新年会を開催した。
 快晴で、風もなく爽やかな新年会であった。
 野外での新年会も一興である。
 ねぶた会と地元商店街の会長が肉の卸を生業としているので、格別に美味しい焼き肉が毎年好評である。
 今年は、七輪で自分で焼くという趣向なので、野外でこそ可能である。

 「ねぶた」は立川のイベントとして、定着してきている。
 立川駅南口の夏の祭りについて言えば、錦町、柴崎町は「立川の夏 祭り」に飲み込まれ・主導権を奪われてしまっている。
 神輿中心で、しかも、地域不明な神輿が主流を占め、地元の影が薄いものとなってしまっているのではないかと思われる。
 地元では地域の独自性を出そうとする動きもあり、今年は期待できそうである。

 その点、「立川の夏 祭り」の影響のない、羽衣町と富士見町は独自の地域住民本位の祭りが行われている。
 羽衣町のねぶたと富士見町の良さこいソーランである。

 ねぶたが立川で初お目見えしたのは、昭和記念公園で行われた第1回いのよいと祭りが最初であった。
 「光と音のページェント」と銘打たれたイベントであり、秋田の竿灯、静岡の手筒花火などと一緒にねぶたも登場した。
 当時、これらの物の内一つでも立川の地で毎年見られればと、その時の立川のねぶたの関係者と話したのを覚えている。

 カメラを持ていかなかったので、新年会の様子は撮っていない。
 ねぶたの写真はとデータを探したが、意外にも2006年に撮ったものしかなかった。
 従って、ここに載せたものは2006年のねぶたである。
 今年はぜひ写真に収めたいものである。

      
                   2006年のねぶた  

 
 
 


多摩川(福生市)の鳥

2010年01月14日 | 日記

 どんど焼きの時使った多摩川河川敷の車止めの鍵を返却するために京浜河川事務所の福生の出張所に行った。

 河川事務所の南側を流れる多摩川の河川敷で野鳥を撮ろうと前から思っていた。
 幸い風もなく太陽も出ていたので、冷え切った体を温める意味もあって河原に降りてみた。

 最初に、今は結構街の中で見ることのできる「シジュウカラ」に出会った。

      

 藪の中を歩いていると見かけない鳥がいた。
 鳥の写真を撮りだしてからまだあまり経験がないので、名前の分からない鳥の方が多い。
 この鳥の名前も知らない。
 どなたか名前を知っている方がいらっしゃいましたら教えてください。

      

 雲が出て、少し寒くなった。
 帰ろうとして公園の近くまで来ると、多分「ツグミ」だと思える鳥がいた。
 地面を盛んに跳びまわていた。
 何かを探しているようでもある。

       

 盛んに地面を突っついている。
 餌を見つけたようである。

      

 立川の公園などでも時折見かけるので、冬の渡り鳥としては数が多い鳥なので、ツグミだと思うが、もし間違えであれば、本当の名前を教えてください。

 今はネットで探せるので便利です。この鳥の名前もネットで調べました。


子どもと社会

2010年01月13日 | 地域・ボランティア

 昨日から三学期の立川三小の放課後子供教室・さんさんサンクラブが始まった。
 立川市から委託されて地域の運営委員会が実施している。
 子どもたちの親であるPTAをはじめとして地域のボランティアの皆さんが見守りや受付を行っている。その数は70人以上である。
 地域と子どもたちをつなぐ大きなファクターとなっている。
 街を歩いていても子どもたちの方から挨拶をしてきたり話しかけてくる。

 子どもたちを地域が支える、子どもたちを核に地域コミュニティーの形成を図る、地域の伝統やしきたりを子どもたちに伝えていくこれらは大人の責務である。

 環境問題で江戸時代が注目されている。リサイクル都市・江戸は当時のヨーロッパに比べて格段に進んでいた。
 子育てを社会が行うということについても江戸時代に学ぶことが多い。
 特に、父親の子育てには注目することが多い。
 江戸末期、来日した西欧人にも注目されていたという。
 江戸時代にも現代で言う育児書のたぐいも多く出版されていたが、そのほとんどに父親の育児についての記載があるそうである。
 勿論その背景jには、出産に伴う死亡が現代に比べて非常に高かったため、20台前後の女性の死亡率が男性の2倍近くあったとか、女性が労働力として貴重な存在であるなどの理由によるもの思われるが、家を子どもが継ぐという意味で、父親は真剣に子どもの養育に努めたのだろう。
 家より個人という思想が一般化しているが、「家」の持つ意味を再考する必要もあるのではないだろうか。

     
               放課後校庭で遊ぶ子どもたち


成人式

2010年01月11日 | 地域・ボランティア

 今日の成人式、場外整理として参加した。
 今までは、実行委員や役員、来賓として参加してきたが、最初から最後まで場外で整理をしたのは初めての経験である。
 経験者の話によると、酒を飲んで道路に飛び出したり、歩道まではみ出し通行の妨げになったり、結構大変だったとのことであるが、思ったほどではなかった。
 外見はちょっとという感じの新成人も素直に応じてくれた。
 何の問題も無く無事終わることができた。

 終始外に居たので中の様子はわからないが、例年通り式典と中学校の恩師のビデオメッセージ、バンド演奏と踊り、新成人の誓いの言葉の二部構成で行われたようである。

 新成人の服装はそれぞれで、各地どこでも同じようなものであろう。
 個性的であってそうでもないというのが印象である。
 何人かカメラで撮影をしていた。
 もちろん、親が子供の晴れ姿を記念にとカメラに収めるのは当然のことであるが、そうでない、直接新成人と関わりのなさそうな人が写真を撮っていた。
 何が目的なのか良くわからない。

 私は場外整理なのでカメラ輪持参しなかった、従って、このブログに写真は載せられない。
 新成人の着物の柄や髪飾り、ヘアースタイルもその年の傾向があるそうである。
 毎年撮り続けることにより風俗史的な意味が生まれるのかもしれない。
 確かに、20歳という同じ年齢の若者がこれほど多く集まることはないことは確かである。
 来年は写真を撮りに行こうかな・・・・
 
 
 


どんど焼き

2010年01月10日 | 日記

 錦町恒例の年中行事の一つであるどんど焼きを朝10時から多摩川の河川敷で行った。
 不況と、正月の過ごし方や風習が変わり、正月飾りも街から姿を消しえつつあり、門松などはほとんど見かけなくなった。
 書き初めを行う家庭も今ではほとんどなくなってしまったのではないだろうか。
 どれだけ正月飾りが集まるか心配だったが、なんとか格好がつくだけは集まった。

      

 機能と同じく白鷺が飛来したので写真に撮った。