堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

立川第三中学校60周年

2011年10月30日 | 日記

 我が母校である立川三中の60周年の記念式典と祝賀会に参加した。
 ほぼ30年前、40歳ごろから色々な形で三中とかかわってきた。60周年と聞いてふと思った。三中のの歴史の約半分である。
 様々なことがあった。公立の学校と言うのはある意味で地域の象徴でああると思う。特に中学校区は地域住民の身近な生活圏としてとらえることが出来る。地区図書館、学習館(公民館)、市の出張所なども中学校区に一つと言うのが各自治体にとって標準となっている。中学校区の面積は各自治体にとってだいぶ異なるが、中学生の移動・活動の範囲がその地域住民の日常的な生活圏とほぼ一致する。

 三中の歴史の中で、一番思い出として残り、印象深いことがある。他の中学校がそうであったように、三中も荒れた時代があった。合唱コンクールでは誰も声を出さず、歌わず、沈黙だけが続く、市民会館のステージに異様な雰囲気が流れる。学校の壁には穴が開き、紙飛行機が校庭を舞い、授業時間中なのに生徒が廊下を歩く。

 卒業式、終わって校長室、無言が続く、誰も声を出さない。
 PTAの会長が声を上げた、「何とかしよう」、三中学区の小学校、PTA、地域、議員等で、三中学区教育懇談会が発足した。全てを可能な限り明らかにする、一切公言しない。その上で、色々なことを行った。細かいことは忘れたが、徐々に改善された。学校は地域の象徴である。良いことでも悪いことでも、そのことで地域がどう反応し、行動できるか、地域の底力が試される。

 PTAの人たちと居酒屋で飲んだ、一つの大きな課題が提示された。前から思っていたこと、何とかしたい。また、新たな歴史が始まる、難しいことだが愉快なことでもある。


災害対策と地域

2011年10月24日 | 地方自治

 一昨年から地域の防災問題に取り組み始めた。
 我が地域にも自主防災組織がある。基本的なことから取り組み始めている。
 立川市には当然のことながら地域防災計画はある。ネット上でも閲覧できる。
 しかしながら、細かいこととなると良く分からない。
 

 地域の災害対策を構築する上で、東日本大震災以降の市の動きを検証することとした。
 直近の市の考え方や対応を知るには、議会での議論を見ることが早道であると考えた。
 議会も敏感に反応すべきでありことは当然である。特別委員会の設置は、事の重大性と防災計画を中心に従来の対応の根本的な見直し等、広範且つ多岐に亘る問題点の解決から当然であると考える。
 しかし、その設置はなされていない。今からでも遅くはない。
 詳細に調査しているわけではないが、小平市では「防災対策調査特別委員会」を6月に設置、審議を開始している。他市でも同様な動きはあるであろう。

 仕方がないので、とりあえず一般質問の内容を分析し始めている。
 放射線関係と被災者支援を除いても14人の議員が質問をしている。6月議会で一般質問を行った議員は25人にであり、過半数に及ぶ。
 今現在、6人しか読んでいない。余談だが、会議録がアップされるのが遅く、読みずらい。その分時間がかかる。このような会議録はあまり見ない。改良を望む。

 半数弱の議員の会議録を見た範囲での感想だが、それぞれが、それぞれのテーマで、限られた時間内で質問するので、重複があったり、追及が不十分であったりして、納得のいく問題点の把握に放っていない。

 全てを読んだ時点で、それぞれの課題を把握し、地域の災害対策を構築していきたい。地域の安全は地域で守らなければならないからである。
 


新宮晋・風の彫刻家

2011年10月19日 | 彫刻・アート

 先日、NHKの日曜美術館で新宮晋を取り上げていた。
 新宮晋は風や水といった自然エネルギ-で動き続ける彫刻を創作している。
 東日本大震災では、自然の驚異、自然と人間との関係を改めて考えさせられた。また、福島原発の事故で自然エネルギーの活用と言う事が今後の課題となった。

 新宮晋は人間と自然との関係を問い続け、人間も自然の一部であることを主張し、作品を創り出している。

 ヨコハマトリエンナーレに行った時。横浜美術館からランドマークタワーの下を通り、日本丸の係留してある海を見に行った折、新宮晋の作品「白い花」に出合った。
 この作品は、1986年のヨコハマビエンナーレで野外彫刻展大賞を受賞した作品。
 この日は風が強かったので、複雑な動きをしていた。
 港にふさわしい作品である。

        

 途中、ランドマークタワーとクイーンズスクエアに挟まれた広場(公園)にある最上壽之1994年の作品「モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨー」を撮った。

     


三小秋の風情

2011年10月14日 | 日記

 水曜日、三小に久しぶりにカメラを持って行った。
 さんさんクラブで校庭に立っていると、季節を感じさせる虫や木々の姿に接することが出来る。
 比較的長い時間校庭にいるので、シャッターチャンスもある。
 できるだけカメラは持って歩くようにしている。わざわざ写真を撮りに行く時間もないので、何かのついでに撮っている。

 この時は比較的多くの被写体を見た。

 校庭の南西の花壇でタテハチョウの仲間が飛んでいた。
 アカタテハかヒメアカタテハであろう。翅の裏側に黒い斑点が線状に並んでいるので、多分ヒメアカタテハであろう。もし正確にわかる方がいたら教えてほしい。
 錦町の町民運動会で七小で撮った蝶は黒い斑点がはっきり出ていたので間違いなくヒメアカタテハであろう。(運動会のフォトチャンネルに載せてあります)
 

     

     

 校庭の東側の、稲が実っている付近で、ヒョウモンチョウを撮った。
 これは間違いないと思う。
 余談だが、蝶の数え方は意外と知られていない。一匹、二匹ではない。一頭、二頭である。
 数詞は意外と面倒である。

     

 赤とんぼもいた。

     

 三小の北側にイチイの垣根がある。
 赤い実をつけている。
 この実が食べられることも意外と知られていない。ほのかに甘い。但し、種は食べてはいけない。アルカロイド系の毒物が含まれている。
 イチイは漢字で書くと一位となる。この木は貴族の持つ笏の材料となった。正一位などの笏を持つことが出来る貴族の位の「一位」から取ったとも言われている。

 材質が緻密で加工し易いことから、飛騨の一刀彫や木彫の素材ともなっている。小平にある平櫛田中記念館で見た作品を思い出す。
 イチイは別名アララギともいう。

     

 同じく北側に棗の木がある。
 その実が赤く熟している。
 ナツメは中国で五果の一つとされ、食用にも漢方薬としても使われた。

      

 校庭の南側には柘榴が口を開いていた。
 時期的には少し食べごろを過ぎている感じである。

     

 花梨も今年は沢山なっている。まだ収穫するには早すぎる。

     


戦中戦後4大地震

2011年10月12日 | 日記

 第2次世界大戦の終戦を挟んで大きな地震が4回おこった。
 つい最近まで、そのことを知らなかった。たまたま見たテレビ番組で知った。

 4大地震とは、
 1943年(昭和18年)9月10日発生のマグヌチュード7.2の鳥取地震。
 1944年(昭和19年)12月7日発生、マグニチュード昭和東南海地震。
 
1945年(昭和20年)1月13日発生、直下型の三河地震。
 1946年(昭和21年)12月21日発生、マグニチュード8.0昭和南海地震。度々起こる中で一番大きかったので、単に南海地震と言えばこの時の地震
をさす。

 これらの地震は戦中戦後の混乱期に起こり、報道もあまりなされていない。
 特に、戦争中の地震では、軍需工場等が甚大な被害を受け、戦争相手国に知らせないために、被害は微少と報道されている。
 従って、あまり知られてはいない。

 東南海、南海地震は過去に約100年から150年間隔で発生している。
 その歴史を振り返ると、同時に発生した1605年の慶長地震、1707年の宝永地震、1854年には安政東海地震の発生した32時間後に安政南海地震が起こっている。
 昭和に入って、1945年の三河地震を挟んで2年間隔で起きている。

 先日の毎日新聞にNHKのBS歴史館「復興のカギは民にあり-幕末・安政の大地震に立ち向かった男」という番組について書かれていた。
 この番組は私も興味を持って見た。

 主人公は、醤油商(ヤマサ醤油の前身)の主人・浜口梧陵、醸造所は千葉にあったが、出身地は紀州の広村。
 安政南海地震の時、田んぼの稲村に火をつけ、村人たちに津波を知らせるとともに足元を照らし、村人たちを救った。これは「稲むらの火」と題して、昭和12年から22年まで、尋常小学校の5年生用の教科書に載っている。
 この話は、小泉八雲によって外国にも紹介されている。

 浜口梧陵は、災害復興にも資材をなげうって尽力した。
 中でも、特筆すべきことは、津波からまちを守る堤防の構築である。
 この堤防のおかげで、昭和南海地震の際、津波の被害を防いだ。
 今、被害発生はやむを得ない、被害を最小限に留めるという意味で、「減災」と言う言葉が使われるが、梧陵の築堤は、正に、防災であった。
 為政者は、決して減災と言うような言葉を使ってはならない、あくまで、その精神は防災であるべきである。


ブログ「ふれあい錦」再開

2011年10月11日 | 地域・ボランティア

 錦町地域の情報を発信するブログ「ふれあい錦」を再開しました。

 従来は、HPとブログを併存させていましたが、両方とも中途半端になってしまい、一時中断していましたが、ここで再開しました。
 ブログはHPに比べ手軽にできることや、時系列で、最新の情報を発信でき、情報を発信する側にも、受ける側にも便利ではないかと考えたためです。

 子供たちの健全育成をその主な使命とし、地域の連絡調整を務める青少健が管理人として情報を取りまとめ、発信することとしました。

 町会・自治会の加入率が上がらず、地域活動への参加者が思うように増えないことが、地域の中心者の悩みでもあります。
 地域力の低下は問題です。
 そこで、地域力の向上は、極めて今日的課題であります。部際、防犯、健康の維持、青少年の健全育成などなど地域の課題もたくさんあります。

 一方、東日本大震災を契機に多くの方々が地域に注目し、地域を身近なものと感じ始めています。
 何か自分の力を地域で生かした、ボランティア活動をしたいという人も増えています。
 しかし、きかっけが無い、地域とのつながりが無い、地域で何をやっているのか分からない、と言う人が大半ではないでしょうか。
 地域から情報を発信し、今まで地域活動に参加していなかった人々に参加の契機になればと思い「ふれあい錦」を再開しました。是非、アクセスしてみてください。

 ほとんどの検索エンジンで「ふれあい錦」ヒットします。
 このブログのブックマークにも登録してありますので、是非、アクセスしてください。

     
                  錦町町民大運動会


歌川国芳・スカイツリー

2011年10月05日 | 彫刻・アート

 ヨコハマトリエンナーレに、今ちょっとした話題になっている浮世絵が展示してあった。
 歌川国芳の東都三ツ股の図です。
 大川端(隅田川)に火の見櫓と並んでその倍ぐらいの塔の様なものが描かれている。
 この絵は隅田川の中州・三ツ股
から描いたもの。
 右手に永代橋左手に小名木川、その橋のたもとにスカイツリーとも見える櫓の様な高い塔が描かれている。
 この絵は、没後150年を記念して行われた展覧会に出展されていた。

 現代アートのヨコハマトリエンナーレで見られるとは。
 写真撮影OKなので撮れた。ほかの展覧会では無理、千載一遇のチャンスだった。
 話題の作品なので人が多く、真正面から撮れずに、歪んでしまった。


防災は日常の中で継続

2011年10月02日 | 地域・ボランティア

 本日、私の町会(錦六会)にあるマンションの防災訓練に参加させていただいた。
 非常ベルを鳴らして、訓練開始、発煙灯あもたかれた。
 初期消火訓練も行われた。

 立川市では、自主防災組織が結成されている。組織率はそれほど多くないと聞いている。
 自主防災組織がどの程度充実しているかもはわからない。
 以前は、マンション等が単独で、自主防災組織を作れたが、今は、自治会・町会が中核となって作られた自主防災組織に加入する様、市から言われたそうである。
 自主防災組織の充実強化に力を入れていきたい。

 立川市の「地域防災計画」は読んでいるが、今回の大震災を受けて、平成26年度までの計画ではあるが、当然、見直し、改訂版を作成しなくてはならないだろう。
 そこで、6月度の市議会定例会の、議論を、今、分析中である。
 分析の結果を踏まえて、我が町会の防災マニュアルなり防災計画を作成するつもりである。

 9月1日が防災の日である関係から、意識的に9月を中心に訓練や啓発事業が行われる傾向にある。
 防災訓練を見ながら考えた。
 防災は日常の中で、継続して行われなければならないと思う。
 単なるイベントであってはならない。
 地域を構成する個々の家・家庭がその出発でもあると言う事を考えた。

     

 マンションの垣根に金木星が咲いていた。もうそんな季節かと感じた、時のすぎるのは早いものである。今年もあと三月。