堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

里山

2011年05月31日 | 日記

 先日、NHKのBSで里山をやっていた。
 懐かしい風景が画面に映し出された。

 今から思えば、子どもの頃の思い出に、里山の風景が幾つか浮かぶ。

 高幡の山には色々な思い出がある。

 多分、小学生の頃だろう。
 近所の農家の人がサツマイモの苗床や堆肥を作る為に、くずかき・落ち葉拾いに、荷車を曳いて出かけた。
 行は乗せてもらい、帰りは後押しをして帰ってきた。
 大人たちが仕事をしている時に、子ども達の楽しみは、自然薯ほりとユリの根ほりであった。
 成果を上げるためにはちょっとしたコツがある。
 自然薯もユリも若い物は小さく味も落ちる。そこで大きく成長したものを収穫するために、枯れかかったときに上に生えている茎や葉をきれいに取ってしまい、自分たちしかわからない印をつけておく、くずかきに行った時その目印を頼りに掘り起こす。
 ユリ根はそれほど深くないが、自然薯堀は一仕事である。木の根が邪魔をして掘りずらい、短気を起こすと途中で折れてしまう。完全な形で掘り出した時の達成感は何とも言えない。

 中学生になると、高幡の山は昆虫採集、特に蝶が多くいた。
 同じ昆虫採集好きの裕福な家の子は夏休みに親と一緒に地方に行き、珍しい蝶を採って来て、見せてもらった時の複雑な心境だったことを今でも思い出す。
 昨年の夏、何十年ぶりに多摩動物園に行った、昆虫園で蝶を見たときに、子どもの頃を思い出した。

 蝶の採集と言えば、裏高尾にもしばしば行った。勿論、交通手段は自転車である。自転車と言っても、今の様なサイクリング用の軽快なものではなく、大人も使う重たくてがっしりしたものである。
 交通量も少なく、危険性は全くなかった。

 現在の子供たちと比べ、活動範囲は格段に広かったような気がする。
 余談だが、自転車で神田まで古本を買いにいった記憶もある。中学時代だったのか高校に入ってからなのかは記憶にない。

 身近なところにも自然は一杯あった。
 特に、多摩川は自然の教室であった。書くことが多すぎるので、後日に譲りたいが、その番組のなかでひばりが出ていた。
 ヒバリについては思い出がある。
 子育て中のヒバリの巣を探す楽しみであった。
 ヒバリは用心深く、歩いて、巣から離れ、飛び立つ。ところが、降りるときには、一刻も早く雛に餌を与えたいのか、直接巣に降り立つ。その時をねらって、巣を探す。
 勿論、巣は見るだけで、いたずらはしない。

 真っ青に晴れ渡った、大空でさえずるひばりは、子どもの頃の思い出である。「美空ひばり」とはそのものずばり、直截な命名である。

 現職の頃、矢川緑地の保全、根川の清流復活に全魂を傾けたのも、こんな思い出があったからかもしれない。

     
               初夏の根川に遊ぶサギ

 これからも身近な自然に親しみ、写真も撮りたいと思う。ちょっと遠出もしてみたい。
 


街の風景

2011年05月27日 | 日記

 NHKの番組に「美の壺」というのがある。
 先日、昭和の家というのを放送していた。
 番組の中で、小金井にある江戸東京たてもの園「前川國男邸」も紹介されていた。
 前川國男と言えば東京文化会館を設計し、ル・コルビジェに師事し、モダニズム建築を日本に紹介した、近代建築の父とも言われる人で、丹下健三も弟子の一人である。
 その人が自ら設計し、住まいとしていた建物が和の中に洋を取り入れたものだ。

 以前、青少健の研修で、親子一緒に小金井公園に行ったことがある。
 その時初めて、同行した建築士の人から前川國男のことを話され、その自宅を見たとき、一見して気に入った。
 それ以来、昭和初期に建てられた建物に興味を持つようになった。

 用事で出かけるときはなるたけカメラを持ち、数少なくなった、本来の木造の建物を撮っている。
 先日も青梅に行った時、図らずも、津雲国利が住んでいた家を見つけた。
 外観からして、人も住まず、廃屋に近いようにも見えた。嘗て住んでいた人を象徴するようでもあった。

 今この人を知る人が何人いるのであろうか。
 津雲邸の保存運動もあるようである。

     

 昭和レトロの家は洋風の応接間を持ったものであり、改まって客を招じ入れる機会の多い人たちが建てたものであり、一般の庶民の家とは少し違う。
 市井の人たちの建てた昭和の木のぬくもりがあり、時を経て、時代を見てきた家には言葉に言えぬ良さがある、これからも、町の中にひっそりと佇む昭和の家を探しながら、撮り続けていきたい。

     
                青梅で見た家


名も知らぬ花

2011年05月25日 | 日記

 もうすでに花は終わりに近くなっているが、我が家のブロック塀と舗装道路のわずかな隙間に名も知らぬ花がここ何年か続けて咲いている。

 背丈が15センチほどの小さな花である。
 花弁は6枚である。
 中心部が赤く、花弁全体は薄いピンクである。
 最初は、花弁の中心部が全部赤だと思っていた。
 写真を撮って初めて分かったが、赤い部分は6枚の花弁の内下半分の3枚だけである。

 鳥が実を落としたのか、風が運んできたのかわからないが、毎年可憐にけなげに咲いている。
 あまりにかわいいので、移植も考えたが、ブロック塀と舗装道路のほんのわずかな隙間で必死に生きる姿を見ると、その場所が花として生きる最高の場所かとも思いそのままにすることとした。

 もうだいぶ前のことだが、我が家の庭に桜の花びらが落ちていた。
 近所には桜の木はないので不思議に思っていた。
 ところが、よく見ると、家のかげの、隅の方に一本の桜の木があった。
 ソメイヨシノは実をつけないので、山桜の一種であろう。
 これも鳥が運んできたのであろう。
 家を建て替える時、庭が殆どなくなってしまったので、止む無く切ってしまった。
 今から思えば残念である。

 人間も同じで、環境が厳しく、過酷なものであっても、その場で、最善を尽くして生き切ることに価値があるのかもしれない。

 最盛期を過ぎた花の姿を見ながら、一番きれいに咲いていた時の写真を載せた。

 どなたか花の名前が分かりましたら教えてください。