堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

人の大切さ

2010年03月27日 | 地域・ボランティア

 平成21年度もあと4日で終わる。
 それぞれの事業で22年度に向けての準備をはじめている。その前提として21年度の総括をしなければならない。
 すべての事業に共通なことが幾つかある。
 「人」も事業が発展し、充実し、その事業の本来の趣旨を全うするために欠くことのできない大きな要素であろう。
 事業を運営する側の主体も人であり、そこに参加するのも人である。

 わが町会でも先日、町会の最前線の組織である「区」の責任者の今年度最後の会合を持った。
 1年間大変にお世話になた方々である。
 どのような組織であれ一番大事なのは最前線の組織であることは論を待たない。
 わが町会には40数名の区長さんがいる。
 1年が終わり、区長としての任務を終えると、一般の会員になってしまう。

 行政への市民参加が叫ばれ、行政と市民の協働作業の必要性や「新しい公共」の概念が生まれて久しい。
 そのような中で、町会・自治会は従来の姿を変革しつつある。
 住民自治という観点から、自分の住む町は自分たちで創る。そのために町会・自治会は何をしなければならないのか、住民は個人としてどのように参画すべきなのか模索している。
 地域のコミュニティーが希薄になってきている、地域力が低下してきているとも言われている。
 一方、ボランティアをしてみたいという人も多い。

 区長さんには毎月定例会にお集まりいただいている。
 その席で、町会が目指すところ、今やらなければならないことなどをご理解いただく場としていきたい。
 願わくば、区長退任後も何らかの形で町会の役員としてお残りいただければと考えている。
 いずれにしても組織は人で決まる。

  
          真っ赤なボケもいいが淡いピンクのボケも春らしい


小学校の卒業式

2010年03月26日 | 日記

 昨日は第三小学校の卒業式、大変に寒かった。ここ数年暖かい卒業式が続いていたような気がする。
 かつては、三月末の寒い体育館での卒業式、桜が満開で暖かさを感じる入学式と、冬から春へと季節の移り変わりが感じられたが、今はそうでもない、暖かい卒業式が続いた。
 地球温暖化の実感であろう。

 小学校の卒業式は中学校の卒業式が別れと旅立ちの涙の中で行われるが、それとはまた違った雰囲気である。小学校時代を振り返り、自らの行動から得た自信と確信で中学生活への自立の不安と期待に胸膨らませている姿を感じる。

 今年も多くの来賓が出席した。
 子どもたちの姿は地域の象徴でありシンボルであると思う。
 子どもたちが心豊かに安心して町の中で生活し、子供同士声をかけあい、大人と挨拶を交わせる町は、豊かな町の姿ではなかろうか。

 「まち」を表す漢字には色々らる。
 私は「街」という字を多用していたように思う。
 しかし、近頃そのことに自ら違和感を感じるようになった。
 その発端は立川市役所の移転に伴う、現存施設の活用を議論する中で、イベントのできる施設の建設があった。
 まさに「街づくり」の発想である。そこにはハード先行、機能優先、施設重視であり、そこに住む「人」が見えないような気がする。
 その意味では「町」という字の方が適切であり、「街づくり」から「町づくり」への展開が今求められているのではないでしょうか。
 もちろん、「まち」の正確な漢字の意味を把握した上での考えではなく、単なる感じではあるが。

 子どもたちの成長を見守り、支えていく地域こそ温もりのある豊かな「町」であろう。

             


長谷川等伯展

2010年03月13日 | 日記

 昨日、国立東京博物館で開催されている、没後400年を記念する「長谷川等伯展」を見てきた。

     


 たまたま港区まで行く用事があったので、その帰りに上野まで出て、特別展を見てきた。
 長谷川等伯といえば「松林図屏風」が有名であるが、出身地の能登の七尾での初期の仏画から金碧障壁画の「楓図壁貼付」、「松林図屏風」を始めとする水墨画等東伯の画業を網羅する展覧会であった。
 先日、10万人目の来場者に記念品が贈られたという報道があったが、思ったとおり、長蛇の列であった、待つこと30分ぐらいして入場できた。
 大変に残念だったことは、あまりの入場者数で、蟹の横ばいの如くガラスに顔をこすり付けるようにしてしか作品を見ることができなかった。
 細部はよく見られたが、全体を見るだけの距離が取れなかった。
 松林図屏風も3分の1か4分の1は人の頭で隠れてしまったが、それでも霧にかすむ松林の風情は感じ取ることができた。

 かつて奄美大島に行ったとき、赤に近いピンクの花をつけた桜らしい木を見たことがある。ヒカンザクラだということであった。
 それと同じような桜があった。多分ヒカンザクラであろう。

     

 隣の国立西洋美術館の庭に、ロダンとブールデルの彫刻があった。

     
              ロダン作「カレーの市民」

     
          ブールデル作「弓をひくヘラクレス」


地域と議会・行政

2010年03月04日 | 地域・ボランティア

 さる2月24日に立川市青少年問題協議会が開催され、平成22年度の「立川市青少年健全育成市民行動方針」が決定され、市長に答申することとなった。
 その内容は専門委員会で審議されたもので、ここ何年かは前年度のものを踏襲してきたが、しばらくぶりに新しいものが作られた。
 この種のものは市民に浸透するまでにはやはり相当の年月を必要とする。
 当然、広報活動も必要となる。

 子どもたちを健やかに育てるためには、常に言われることだが、家庭・学校・地域が大事である。
 しかし、社会や時代の変化、価値観や人生観の多様性からそれぞれに問題があるのも事実である。
 そこで、その目的、つまり、青少年の健全育成を達成するためには方向性・指針が大事である。
 それが「市民行動方針」であると思う。
 家庭や地域の教育力の低下が叫ばれて久しい。
 家庭の問題はしばらく置くこととし、地域と行政のかかわりについて考えてみたい。

 地域の教育力をつけていかなければならないのは言うまでもない。
 大人が問題意識を持ち、行動することは大事であるが、問題意識のない大人は論外として、意識の高い大人でもなかなか行動に移せない大人も多い。
  それらを解決するにはいくつかの要因があると思う。

 一つには、常連客しか通わない居酒屋のような雰囲気を地域が作ってしまってはならないと思う。
 仲良しグループのようで、一見団結して、充実しているように見えるが、閉鎖的で、新しい人が入ってもなじめず、いつか離れていってしまう組織もある。
 こんな組織では地域全体が一体となって子供たちの事を考え、行動することはできない。
 新しい人材を迎え、新鮮な考えを導入し、常に若々しい生命力あふれる地域としていきたいと思う。

 地域の大人がどれだけ多くの子どもの名前と顔を知っているか、少なくともお互い顔だけでも知っているということもポイントの一つではないだろうか。
 地域の基礎的組織である町会・自治会で大人と子どもが声を掛け合い顔見知りとなる機会を多く作ることも大事である。その点、盆踊り、祭り、運動会などは最適の場でもある。

 今、立川市では放課後子ども教室が、形は異なるが、全小学校で展開されている。
 私も、第三小学校の見守り員として参加しているが、多くの子どもに顔と名前を覚えられ、町で会えば、気軽にお互いに声を掛け合う。
 ある民生委員が言っていたが、児童委員という任務もあり、町では子どもたちの健全育成のの面でのしごとをしているが、放課後子ども教室で生の子どもたちの姿に接し大変に有意義であると。
 放課後子ども教室は当初思った以上の効果を出していると考えられる。

 ここに行政の果たすべき姿が見えてくる。
 行政が青少年の健全育成を叫び、地域がその必要性を痛感していても、そのシステムや仕組みがなければならないし、財政的な裏づけも必要となる。
 そのシステムや仕組みを作るのが議会や行政であり、それに応えて活動するのが地域やNPOその他の団体や組織である。