堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

続議会のあり方

2011年02月22日 | 地方自治

 昨日に引き続き議会改革について書いてみたい。

 今日、午後から市役所で青少年問題協議会が開かれ、夜はジュニア育成地域推進事業関連の会議が泉市民体育館で行われた。
 地域では多くのボランティアが活躍している。
 市民は子ども達が健やかに育つよう、市民の健康を守り、スポーツの振興を図る為に日夜活動している。
 環境を整え、活動しやすく、しかも効果を上げていくためには、真の意味での市民と行政の協働の関係が必須の条件となる。
 そのためには市民の代表である議員によって構成されている議会の改革は今日的課題であろう。
 しかも、直接、間接的に影響を受ける市民にとって、議会改革は他人事ではない。

 どこから手を付けようかと考えた時、やはり、日本が法治国家である以上、地方議会も法の裏付けの下にある。
 従って、法律の変遷に着目すべきであり、その中で、エポックメーキングとしての法改正は、地方分権一括法ではないかと考えた。

 そこで、地方分権一括法、第29次を中心にして地方制度審議会の答申、地方分権改革推進委員会の勧告、地方分権一括法成立以後の地方自治法などが大事であると考える。

 さらに、基本的に議会そのものの本質を理解せずして議会改革はあり得ない。
 そこで、二元代表制、地方自治体固有の権利としての地方主権についても学ばなければならないと思う。
 更に、具体的に議会改革を考えれば、議会と市民、市(行政)との関係、議会内部の課題があろう。
 ある程度学習が進み、改革の骨格が固まった段階では、先進都市の事例研究も必要となろう。

 蛇足だが、議会改革の一つの論点である先進都市の視察は、この段階で、最適な自治体に行くべきである。

 まだまだ論点はあるだろうが、今、思い当たるのは以上の点である。追加しなければならないものもあろう。
 議会改革を体系的、論理的で、かつ、実現可能な道筋は何なのかを考えていきたい。


阿久根市議会リコール・議会のあり方

2011年02月21日 | 地方自治

 昨日、阿久根市議会のリコールが成立した。
 市長と議会の対立で話題になった地方自治体の一つである。

 両者の言い分はそれぞれあろうが、それに対する論評は別にして、地方統一選挙の争点の一つとして、議会改革が問われるのは明らかであろう。

 私は、地方分権一括法が議論されていたころから議会改革に注目してきました。平成12年4月に法律が成立しましたが、10年経過した今、世間で注目されてきている。

 立川市でも平成20年4月に「立川市議会のあり方懇談会」が設置され、12月に最終答申がまとめられている。
 一読しただけで、精読し、十分な分析をした訳ではないが、感想としては、非体系的であり、問題点を表面的にひとなめした感じで、問題の本質的解決と市民の本当の要求を満たすものではない。

 答申では、地方分権一括法や地方制度調査会答申、地方分権改革推進委員会勧告に前書きで触れているが羊頭を掲げて狗肉を売るの感をぬぐえない。
 偉そうなことを言っても、私自身地方自治に通暁しているわけでもなく、地方の持つ本来的権利、権能について十分理解しているわけでもない。
 今後もこの問題について、市民の側の一人として研鑽を深めていきたい。

 地方自治は民主主義の根幹であり、国の基である。基礎自治体のあるべき姿を具現化するのは、市民の代表である議会の双肩にかかっている。
 地方自治体改革の方向性を決定するのも議会であリ、市民であることは間違いのない事実であろう。
 一市民としてこれらの問題について今後も言及していくつもりである。


第45回青梅マラソン

2011年02月20日 | 日記

 第45回記念青梅マラソンを見に行った。話に聞いたり、マスコミ報道では知っていたが、実際に見たことはない。

 立川でも様々なイベントが行われている。
 前にもこのブログで書いたが、立川でも商業振興、町の活性化などをうたい文句に様々な組織や団体が中心になりイベントが行われているが、手段であるべきものが目的化され、補助金という名の税金が浪費されているような気がする。
 そのような観点から、成功例としての数少ないイベントとしての青梅マラソンを見に行くこととした。

 最初に、30㎞部門の当日受付の場所である河辺小学校に行った。

     

 校庭をとり囲む様な形でTシャツ交換所、受付等が配置されている。
 河辺駅直近でランナーにとっても都合がよい。
 青梅マラソンでは体育館、市役所等の公共施設が最大限の効果を発揮していたように感じた。
 立川でも駅伝で市役所がスタート地点であったが、その使い方について比較検討する必要があるのではないかと感じた。

 青梅マラソンのコースが奥多摩街道で、主要公共施設がその沿道に作られているという地の利があることはその成功の要因の一つであろう。

     

 注目点の一つが仮設トイレであった。
 仮設トイレを見ると常に思い出すのが阪神淡路大震災の時、地震発生後1週間後の神戸の町であるである。
 当時地震の発生を全く予測していなかったので、当然、仮設トイレの備蓄はなかった。
 全国各地から届けられたものを使っていた。様々な種類があり、正に見本市の観を呈していた。

 青梅マラソンの場合、受付場所である河辺小学校はもとより公園や空き地に数多く設置してあった。感心したことは、直近にバキュームカーが置いてあったことである。

     


池波正太郎記念文庫・澄川喜一

2011年02月17日 | 日記

 青少健の委員長連絡会が主催して管外研修に行た。
 目的地は台東区、説明を聞いたのは台東区の生涯学習センター。説明をしてくれたのは台東区の青少年・スポーツ課の職員。

 若干気になったのは青少年関係とスポーツ関係が一つの課であること。
 両者ともに住民と行政の連携が必要不可欠の部門であり、協働関係が問われる分野。台東区の基本的な考え方を知りたい。

 興味を引いたのはセンターの一階に中央図書館があり、その中に池波正太郎記念文庫があったこと。
 池波正太郎の作品は暇つぶしに読んでいたが、近頃は、暇もなくなったので少し遠ざかっている。
 上野・浅草が池上の故郷だったことは知らなかった。下町を舞台にした小説が多いことは知っていたが台東区との関係については知らなかった。
 記念文庫を見たかったが、定休日、残念また来る日まで。

 東京で、興味はあるが一番行っていない所は下町かもしれない。仕事や色々な関係で23区に行くことは多いが下町に行っていないと言う事は、多摩とはやはり疎遠な所なのか。
 今後機会を作って行ってみたい。
 東京にいながら、東京のことはあまり知らない。
 地方に行くと、必ず日の出とともにの起き、ホテルの傍を散策した。歩き回ることにより地域の生活が実感できた。
 歩き回り、それなりの成果を上げるためには若干の知識が必要である。
 そこで、その手がかりの一つにと思い、毎日新聞に連載されたものの一部をまとめた赤瀬川源平の「散歩の学校」を買ってある。
 それを手掛かりに、出かけてみたい。

 帰りに「スカイツリ-」を見学した。東武線の業平橋駅前にあることは知らなかった。

 スカイツリ-が話題になりだしたころから、とてつもなく高いものだと言う事ぐらいしか知らず、あまり興味はなかった。
従って、知識もほとんどない。
 台東区生涯学習センターのロビーに「MASK]と題する彫刻があった。作者は澄川喜一。
 現職の頃彫刻のあるまちづくり推進したころから、目についた作品は写真に撮り、ネットで調べる習慣が身についてきている。
 その例にもれず、調べたら、意外な結果が出た。
 澄川喜一の名前も作品も今日が初めて、しかし、著名な彫刻家であり、すぐれた作品も数多くある。
 一番驚いたのは、スカイツリーのデザイン監修も行っていると言う事。

        
                 「MASK] 澄川 喜一

            
 スカイツリ-の根元に業平橋駅のホーム、古い小さな駅、これもいずれ変わるだろう。
               


子ども110番

2011年02月16日 | 地域・ボランティア

  明日、青少健の会議があり、その準備として「子ども110番」の家を地図に落としてみた。
 予想した通り、空白地域がある。
 商店の多い所はそこそこ埋まっているが、住宅地域は空白となってしまう。
 空白地域をどう埋めるか、今後の課題。

 子ども110番はパトロールなどと同じく、実質的に犯罪の防止にもつながるが、地域の意思表示の一つの表れ。
 地域ぐるみで犯罪の防止に取り組んでいるとの、地域の意識の高さと連帯の表れでもある。

 先日、NHKの「クールジャパン」で、「安全」について取り上げていた。
 児童の登下校の時の地域の見守り活動が紹介されていたが、個人主義の傾向の強いヨーロッパなどでは家庭や個人単位で安全を守っている。

 番組の中でも若干触れられていたが、地域全体で連携して物事に当たる伝統は、農耕民族の一つの特徴である。
 稲作中心の地域と畑作中心の地域とではその傾向性は異なる。
 稲作は水が大きな比重を持つ。
 水は共同で管理し地域が必然的にまとまる。
 今は立川ではその姿を消してしまったが、用水組合というものが存在した。

 今では、産業構造が激変し、人々の意識も無縁社会に象徴されるようにここバラバラになりつつある。
 犯罪や災害は地域の構造がその被害の大小に影響してくる。

 地域の連帯が今、正に問われている。

 


錦町体育会市民体育大会総合優勝

2011年02月15日 | 地方自治

 2月12日(土)に泉市民体育館で、第64回市民体育大会の閉会式が行われた。
 錦町体育会が大会史上初めての六連覇を果たした。
 手元に資料がないのではっきりしないが、五連覇の後一回優勝を逃し今回の六連覇と言う事だと思う。
 すなわち、12年間で11回優勝していることとなる。

 それぞれの地域は規模や歴史、地理的な条件等があり、一概には言えないが、今言われている地域力の一つの表れではないかと思われる。
 そして、それは様々な形として現れる。
 昨日行われた会議・放課後子ども教室についてもいえる。
 錦町には三小、七小と二つの小学校があるが、共に市内で遜色のない成果を上げている。

 立川市において、市民の立場から感じることの一つに、行政のリーダーシップの欠如がある。

 私は大分以前から、地方主権と言う事を言い続けた来た。近頃は民主党が言い出してから、地方主権に対する議論が起こり、それを否定する意見もある。
 私は、地方主権は単なる狭義の意味での権力だけを問題にするのではなく、人が生きていく上での最も必要な行政単位、すなわち、基礎自治体である市や町、村がどのように運営され経営された行くかの根幹となるものであると考える。

 自治体はそこに住む住民が憲法に掲げられた権利を享有しうる状況を具現化する義務がある。
 そのための必須の要件が地方主権であると思う。

 地域力はその地方主権をいかんなく発揮する上での重要な要素である。
 行政は地域力を涵養する義務がある。

 3月は予算議会である。財政状況が厳しい中、行政は予算不足を嘆く前に、財政的裏付けが少なくともできる、ソフトの面で、地域力の向上に資する施策、事務事業を行うべきである。

 地域力の差は厳然とあると思う、行政はまずその総合的、科学的現状分析を行うべきである。
 市が行っている行政評価についても検証していきたい。


習慣

2011年02月14日 | 地方自治

 今月は多忙であった。
 そのことは間違いない、しかし、ブログを書かなかったことの理由にはならない。
 おそらく習慣なのだろう、書き始めれば、そんなに時間がかかるわけではないから、書けるのだろう。

 一日生活し、生きているのだから、書くネタがないわけはない。

 今日は夕方から雪、市役所で放課後子ども教室の代表者会議。
 雪のため早く終わる。

 この冬初めて積もった。

 現職の頃、冬はよく東北や北陸に視察に行った。
 一番大変な季節に行くことが、その土地での住民の生活や行政の大変さが分かるからである。
 行政と生活環境は極めて密接に関係している。

 岩手県の沢内村を訪れたことがある。
 相当昔のことであり、現在は合併してしまっているかもしれない。
 医療保険行政で卓越した政策、施策を行っていた。
 豪雪地帯で、当時から高齢化、過疎の進んだ地域であった。
 食生活や生活様式の改善などきめ細かな施策の展開がなされていたと記憶している。

 細かいことは忘れたが、住民が一番困っていることを、一番やらなければならないことを、総花的ではなく、重点的に集中して改革していく、村長の意気込みを感じた。

 今、立川で一番やらなければならないことは何か、行政にも、議会にも、それが見えない。

 雪の中を歩きながら考えた。

      

 外に出て、我が家の前の道を撮った。12時前後である。フラッシュを使わずに。
 これぞ牡丹雪という大粒のもの。
            


大学連携事業・・プレ錦まつり

2011年02月01日 | 日記

 先日、1月29日(土)錦学習館で学芸大生と過ごす錦学習館の一日と銘打って、大学連携事業としてプレ錦まつりがおこなわれた。

 今、立川市では従来の公民館を学習館と改め、生涯学習の新たな展開が図られている。
 その一つが、学習館運営協議会である。
 学習館の運営を市民と立川市の職員とが一体となって推進している。

 市民・住民は当然館の利用者であり、行政サービスの受け手である。
 従って、館の運営については意見や要望をもっている。
 それらを適切に運営に反映させれば、館の機能を十分に発揮し、市民・住民の満足度は高まる。

 一方、市や職員は館を長い間運営してきた結果として、ノウハウや多くの人脈を持っている。

 両者が一体となって学習館を運営すればより適切に地域における生涯学習が進む。
 市民・住民が単なる行政サービスの受け手にとどまらず、提供する立場に立つことである。
 これが、新しい公共の一つの側面である。

 今回の事業の発端は、運営協議会のメンバーの一人である学芸大学の先生、勿論市民ではなく学識経験者として協議会に参加をしているが、の発言である。
 この種の協議会における専門家の存在も重要である。

 市民と行政に大学生のもつ若い感性と視点が加わり、学習館運営に幅と厚みができたような気がする。
 今回は、大学生が単に大学生であると言う事で参加したのではなく、大学の授業の一環として行われたもので、理論を実際の場面で検証することができたという点である。
 ある意味で、大学にとっても学習館にとっても実験的な事業であったと言える。

 今後の学習館運営に新たな展望が開かれ、可能性が広がったという点で高く評価できるのではなかろうか。
 発想の転換の一つの契機になったことは間違いない。

             
                   子どもの作品の一つ