堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

議会改革・・視察其の1

2010年06月29日 | 地方自治

 7月21日に市議会議員選挙があり、新たな議会構成が出来上がり、各々の議会活動を開始した。
 選挙公報で見る限り、議会改革を掲げる候補者はほとんどいなかった。
 議会改革は、議会の独立性を担保する意味からも、議員自らが行うものである。他の改革と異なり、予算の制約があるのは当然であるが、他の部局の干渉を受けることなく単独で行うことができる。
 意外と知られていないが、議会事務局の局長をはじめとし課長、係長、職員の任命権は議会の長である議長にある。
 ちなみに立川市議会でも議長の権限で1課制から2課制にしたこともある。
 結論的にいえば、議会改革が進んでいないことは、議員の怠慢と言うほかない。

 7月の小旅行を計画していて、地方に行くということから、視察お思い出した。
 そこで、議会改革も色々あるが、今回は視察を取り上げることとした。

 そこで、立川市のHPを調べると、「平成17年度以降に実施された常任委員会行政視察と会派及び議員の視察報告書は市政情報コーナーで公開しています」という一文があった。
 全く公開されていないよりはましであるが、不十分極まりない。
 HP上に公開し、市民に情報提供すべきである。

 今はそのようなことはないと思うが、以前「官費旅行」だとか「物見遊山」と酷評された視察も、その財源は議会費であり、税金であることに間違いはない。
 言ってみれば、其の成果物である、視察報告書は市民の共有財産である。市民参加や地域活動における貴重な情報となる。副産物としては議員の資質の好判断材料である。このことについては回を改めて述べたい。

 ちなみに、他市の例をざっと調べてみると、北海道の登別市では、平成17年から、委員会と会派視察の報告書の全文を掲載している。島根県浜田市でも委員会、会派、個人の視察報告書を議会のHPに載せている。
 いずれもPDFファイルである。費用も労力もそれほどかかるわけではない。
 後は議員のやる気だけであり、議会事務局の負担となるものでもない。
 市民に公開しても恥じない視察と成果を期待する。それが正しい税金の使い方である。

 地域主権が国レベルで言われ始めたが、私は地方分権一括法が国で言われた当時から発言してきた。
 地方主権を確立するためにも、議員の政策立案能力、議会の活性化は必須の要件である。
 そのためにも議員の調査活動の充実強化は重要であり、その意味からも視察は議員活動の重要な要素となる。
 そこで、平成12年に地方自治法が改正になり、自治体は政務調査費を交付できるようになった。(地方自治法第100条第14項・第15項)

 


考える力 学校公開に参加して

2010年06月27日 | 日記

 昨日、立川市立第三小学校の学校公開に参加した。
 低学年の算数の授業を見ていて、あることを思い出した。
 それは、私の中学、高校を通しての数学に対する姿勢である。
 それは、公式は覚えるのではなく、その公式が導き出される考え方を理解することが大事であるということである。
 そうすることによって、複雑な応用問題もその本質を理解し、解決に導くことができるからである。

 その授業の内容は。「先月は牛乳パックx個集まった、今月はy個集まった、今月は先月より何個多く集まったか」という問題を取り上げていた。
 誰でも、即座に、反射的にyからxを引き算する。
 その時、先生はなぜ引き算なのかお児童に問うた。引き算で答えを出すというのは結論であり、公式である。その結論を導き出す経過、考え方があるはずである。それを自ら考えるということが大事である。
 そこに教育の意味があり、目標があると思う。

 考えを省略し、簡単に結論を出してしまう弊害は我々の生活や人生の中で意外と多い。
 マスメディアやインターネットがそれを加速しているのではなかろうか。
 ある問題に対し、考え、結論を出していく過程で必要なものは情報である。
 しかしその情報にも問題がある。情報には生の情報と加工された情報とがある。TV等で流されるニュース等の情報は本来生の加工されていないものであるべきであるが、現実は違うと思える。
 誤った情報のもと自ら考えず、安易な結論を導き出している例は少なくないのではなかろうか。
 小学校低学年の授業を参観して、考えることの重要性を改めて認識した。

 今、参議院選真只中であるが、正確な情報を選択し、正しい判断のもと投票行動を起こしてほしいものである。

   
          ファーレの彫刻  山本正道「車止め ベンチ」


HPと地域情報

2010年06月23日 | 日記

 錦町の青少健の総会も無事終わった。
 青少健、正式名称は青少年健全育成地区委員会と言う。
 私は、その使命は構成団体・組織の特質・特性を生かして、錦町が子どもたちが健やかに育つ地域にとして充実していくことにあると思う。

 そのためにはいくつかの要件がある。
 その一つは多くの人、特に若い世代が地域活動に参加することである。
 しかし、現実は厳しい。
 その原因はさまざまである。団体や組織の側にも相当の問題はあるが、それはさて置き、情報の不足にも問題があると思う。
 それぞれの団体が何をやっているのか、何を目的にしているのかも分からない。下手にかかわると多くの仕事を押し付けられるのではないか、多くの時間をとられてしまうのではないかなどの不安があり、それが地域活動の参加に二の足を踏む原因であるとも思われる。

 そこで、地域情報の提供が必要となると考え、HP「ふれあい錦」を立ち上げたが、だいぶ古くなってしまったのでリニューアルを試みた。
 一両日中にアップする予定である。
 アップしましたらお知らせいたしますので、是非ご覧ください。

 20日に立川市議会議員の投開票が行われ、新しい議員も決まった。
 選挙の時に投票行動を決する材料は選挙公報やリーフレット等の広報宣伝物、街頭演説等である。
 これらは当然に当選することを念頭に置いたものであり、多くの票を獲得せんが為のものであり、真実や事実と大いに異なる場合もあろう。
 議員の中には議会毎に「議会報」を発行している人もいる。
 しかし、それも広報宣伝の域を出ない。
 従って、100%信用できない。

 そこで大事なことは、市民や有権者が客観的な質の高い情報をリアルタイムで知ることのできるシステムを構築することである。
 市議会もHPを開設しているが、その内容は極めて貧弱である。
 市民が議会や議員の実態を知るには程遠い。
 
 市民の市政への参加も4年に一度の選挙の時だけでなく、日常的に行われなければならない。4年に1度の主権者であってはならない。
 新たに出発した議員諸氏にお願いしたい。
 4年後の判断の材料として、議会の情報提供を質量ともにどのように充実させたかを見ていきたい。

   
           市民体育大会の開会式当日の泉体育館前の紫陽花


麻婆豆腐と辛味

2010年06月16日 | 日記

 麻婆豆腐は時々自分で作る。
 時間が無いので、インスタントのものを使うが、辛さが物足りずに豆板醤と
花椒を加えて好みの辛さにする。
 花椒はグランディオの中華街にある中華の食材店で売っている。少量買うときには近くの西友で買う。
 胡椒は花椒でないといけない。

 辛いものが好きなのでよく食べる。
 韓国料理、四川料理、タイ料理がその代表であろう。
 四川料理の代表格の麻婆豆腐はグランディオの陳健一の店で食べる。
 しかし、タイ料理は立川にも何軒かあるが、いま一つである。昔、国立にある店に行ったが、そこは満足のいくものであった。店の名前は忘れた。確か一階がお花屋でその二階にあったような記憶がある。胃潰瘍を患った後だったので、その辛さを気にしながら食べた記憶がある。

 味の基本は五味と言って、酸、苦、甘、辛、鹹の五つの味である。
 甘さとか鹹さにも微妙な違いがあるが、辛さ程の差はないような気がする。
 辛い食材には唐辛子、山葵、生姜、胡椒、大蒜等様々あるがそれぞれ特徴がある。
 その違いは香りにあるのではなかろうか。
 香辛料と言うように辛さと香りが微妙に絡み合って醸し出す違いがあるのではなかろうか。そこに発酵という現象が伴うとさらに複雑な味となる。キムチがいい例である。
 私が辛い料理を愛する由縁もそのあたりにあるのかもしれない。


木曽五木

2010年06月03日 | 日記

 木曽五木とは、ヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキで木曽の5種類の銘木である。
 木曽路を行くと、お土産物屋で、ヒノキやサワラで作られたお櫃や風呂道具が売られている。

 特にお櫃は懐かしい。
 かつてはどこの家にもあったが、今はほとんど姿を消してしまった。
 ご飯の炊きたては問題ないが、時間がたち冷や飯になったとき、お櫃に入れられたご飯は、炊飯器に入れられたままのものと異なり、余分な水分が抜け大変に美味しい。
 保温性にも優れている。

 お風呂も、子どものころからすると様変わりしてしまった。
 当時は風呂桶はサワラや杉の木で作った木の桶であった。肌触りといい香りと言い、現在の化学物質でできたものとはケタ違いである。
 ヒノキ風呂は最高であるが、庶民の家には高価すぎた。
 ヒノキを球状に削ったものをお土産として買ってきて、風呂に入れ香りを楽しんだこともある。
 水道がない時代は離れたところにある井戸から水を汲んで運び風呂桶を満たすのは、子どもの仕事であった。
 薪を割り火起こし、風呂もよくわかした。
 後に、薪から石炭に代わった。石炭は乾いたものでなく、水にぬらしたものをくべたものである。

 今はほとんど見られないが、サワラを垣根として植えていた家は多かった。
 我が家も樫の木とサワラ、お茶の木が家の周りに植えれれていた、
 配置は西側と北側は防風林を兼ねて樫の木とサワラ、東側と南側は低木のお茶の木だあった。
 お茶はその葉を摘んで近所の家に頼んで製茶し、ほぼ1年間家を賄った。
 新茶の香りと味は格別であった。
 サワラの葉には、新茶の香りと同じく独特の良い香りがあり子供時代の思い出の一つでもある。

 江戸初期、築城や町の整備などで木材需要が高まり、木曽の山々も乱伐が続き、荒れ果てた。
 尾張藩は「木一本、首一つ」という厳罰で森林の保護を行った。後には処罰対象の木の種類を増やしたとのこと。
 現在の木曽の山々をその様な、先人の自然保護の成果かもしれない。


代用食

2010年06月01日 | 日記

 「夜明け前」の一節に、「芋焼餅謎を冬の朝の代用食とした」とある。
 代用食という言葉はすでに死語となっているのではなかろうか。
 主食が米という概念も崩れかかっているのかもしれない。

 代用食とは戦中戦後の食糧事情の悪い時にできた造語かと思っていた。昭和11年に初版本が出た「夜明け前」に出てきているということは、米のとれないところや貧しいところでは日常的に使われていたのかもしれない。

 戦争末期から戦後に子ども時代を過ごした私としては懐かしい言葉でもある。
 錦町あたりは食糧事情が悪いと言っても野草を食べたり大豆の搾りかす、ふすまを食べたというようなことはなかった。
 米の代わりに小麦粉を使ったことは覚えている。
 うどんは製麺機で作っていた。原理は今市販されているものと同じである。
 粉は地粉と言い、地元でとれたものである。
 今でも、東大和や武蔵村山、東村山には地粉を使ったうどんやがある。讃岐や関西のうどんと比べ、旨みがあり、懐かしい味である。
 面白いのは、当時、我が家にパン焼き機らしきものもあったのである。木の四角い箱の底にニクロム線を張り巡らし、中にパンの生地を入れ、パンを焼いていた。
 残念ながらその味は思い出せない。不味くもなく美味しくもなかったのかもしれない。
 すいとんはご飯のおかずのようにして食べた。
 砂糖が手に入るようになり、フライパンで小麦粉を溶いたものを焼き、砂糖醤油を付けて食べた記憶があるが戦後も落ち着きを取り戻した頃だと思う。

 甘いものは欠乏していたのは確かである。
 糖分の供給源はさつまイモである。
 今、市場に出回っているものからすれば、はるかに品質の落ちるものである。
 色も白がほとんどで、太白という品種は今でも覚えている。
 農林何号とか言うものは、形だけは大きいが、食べられた代物ではない。
 さつまイモを乾燥させて、粉にしてゆでた「さつま団子」はおやつとしてよく食べた。その甘さに空腹を満足させた。
 以前、川越に行った折、さつまイモの粉を買ってきて、さつま団子を作ってみたが、食べれたものではなかった。
 中学校の女性の先生でさつま団子というあだ名の先生がいた。色が黒く身長が低かったのでその名がついたのであろう。
 中学の頃は、すでにさつま団子は食べてはいなかったが、その名は記憶に残っていたのであろう。