堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

国民負担率と議員定数削減

2011年11月26日 | 日記

 消費税等の国民負担の増加が議論されるとき、「自らも身を切る」との論調で、議員定数の削減が話題になる。
 しかし、これは論理的におかしい。
 議員定数は選挙制度の一つの要素である。選挙制度は民主主義の根幹である。
 選挙制度は、民意が正確に議会に反映されるものでなければならないのは当然である。その前提に立って財政的考えも含めて、ミニマムな定数を割り出すことが重要である。
 従って、現行の選挙制度を徹底的に検証し、新たな選挙制度を確立し、その帰結として議員定数が確定する。単純に数だけを議論することは全く非論理的である。
 現行の選挙制度に問題はないのか、そこが議論の出発点である。最初に、議員定数と言う終着点に言及すると言う事は明らかに誤りである。
 選挙制度改革は極めて難しい。
 言うまでもなく選挙制度は議会の議決により決する。当然、どの政党が与党であっても、自らの立場・議会の最大勢力を維持しやすい制度に固執する。また、野党であっても与党の失政があれば、政権交代の可能性があり、自らの政党にとって有利な制度に固執する。
 大政党にとってより有利な選挙制度は、与党野党の差がなくなり、利益を共有する。しかも議会では多数決の論理が支配する。
 選挙制度改革は難しくなり、現行制度を大幅に変えることは至難の業となる。

 議員定数を削減すると言う事は世論である。私も大いに賛成である。
 しかし、単に数合わせであれば、それは単なる人気取りであり、日本の民主主義を停滞させるか迷走させるしかなく、国民にとって不幸な結果となる。

 先日、三小の展覧会を見に行った。
 大人と違って、子どもたちは素直に物事を見る、技術的に劣っているから、大人から見ると稚拙な表現と思うがそれは違う。子供たちは見たまま、感じたままを表現しているのだと思う。
 だから感動する。

     

 


上長瀞から長瀞へ

2011年11月22日 | 

 先日、長瀞に行った。
 忙しく、なかなかアップできなかったが、やっとできた。

 TVで鉄道写真家の番組を見た。
 鉄道の写真を撮りたくなった。鉄道と言えば、何と言ってもSL。
 以前、東山魁夷と中島千波の絵を見に行った時、信越線で横川まで行き碓氷峠をバスで超えたとき、偶然、高崎駅でSLを見た。
 ホームでSLの発車時の独特の音が突然耳に入った。あわててシャッターを切った。その時の写真である。

     

 一番近い所で、秩父鉄道でSLが走っている。秋・冬はシーズンオフ。
 紅葉を見ながら、撮影ポイントを探すこととした。

 八高線で東飯能まで行き、西武線秩父まで行く。
 西武線の秩父駅前広場にわずかに紅葉したメタセコイヤの大木があった。

             

 まず、秩父鉄道の上長瀞駅で降りた。

     

 ロケハンの最初の目的地は、余りにも有名な撮影ポイント・荒川にかかる煉瓦造りの鉄橋。
 駅からは極めて近い。
 SLが走ってい無いので、殆ど無人。

     

 橋脚の間をライン下りの船が通った。

     

 河原を見ると、右岸は崖が川に落ち込んでいるが、左岸は平坦で歩いていけそう。
 当初の目的は、SLの撮影ポイントのロケハン。
 荒川の上流に向かわなければならない。
 ところが、足は下流に向かって歩き始めた。
 蛇足だが、左岸か右岸かは、川の下流に向かって左か右かで決まる。

 川沿いの公園の高浜虚子の句碑があった。
 「ここに 我  句を留むべき  月の石」と言う句である。
 紅葉はわずかに始まっている程度。

     

 結局、鉄道を見ず、川を見てきてしまった。
 来年、SLが走るころ来るつもり。桜の花の季節に来たいが、どうなることやら。

 帰りに、茸を買ってきた。
 鍋に入れた。茸の名前は忘れた。


ギャラクシータブ

2011年11月19日 | 日記

 私はかつて、「電子手帳」なるものを使っていた。今は知る人もいないだろう。
 シャープの「ザウルス」だったと思う。機種もいくつか変えたように記憶している。入力の仕方は、現在のケータイとほぼ同じだったと思う。
 大きさは小さめだった、後続機種は薄くなったように覚えている。
 ギャラクシータブの大きさは、インターネットを見るにしても他のアプリを使うにしても不自由はない。
 但し、携帯性は乏しい、やはり大きい。丁度いい大きさのバッグを、たまたま持っていた、あまり使っていなかったので、物置から引っ張り出してきた。
 ギャラクシーはキーボードがついているので、入力は格段に速いし、使いやすい。
 ケータイと比較しても同様である。

 電子手帳を思い出したのは、電話をしながら、日程やメモを書き入れることが出来るからである。
 今まで使っていたA4版の手帳が不要となり、バックの中が入れ替わったにすぎない。重量もほぼ同じである。違いは空身で出かける時である。これからは、常にバック携帯となる。

 


立川市災害モデル地区推進事業

2011年11月07日 | 地域・ボランティア

 前回、三中の避難所運営マニュアルについて書いた。
 その時、羽衣町は災害モデル推進事業を行っていないと書いた。避難所運営マニュアルがあるのはおかしいと思い、再度立川市のHPを見た。

 最初に実施した3町会(西砂町一番町、栄町、若葉町)は立川市の防災課が発行した「地域で取り組む防災まちづくり」A4、4頁の印刷物が1号から7号までと地図がアップしてある。しかし、次年度に行った富士見、羽衣、柏町についてはマップのみ。3年目に実施された、曙、高松、柴崎についてはマップはなく、印刷物も2号だけ。何故、ばらつきがあるのか不明。避難所運営については9地区ともマニュアルは載っていない。

 自主防災組織の結成率は50%前後であると思われる。災害モデル地区推進事業の成果が上がっていれば、結成率はもっと上がるはずである。事業の検証は行われているのだろうか。

 


災害時の避難場所

2011年11月04日 | 地方自治

 昨日、中学生の主張大会で、羽衣町の町会長にあった。
 生徒たちの発表の中に、東日本大震災に触れたものがあったこともあって、防災の話になった。三中の校長も来ていた。
 その町会は三中が第一次避難場所になっているが、その実態が把握されていないので、市の担当者を呼んで、確認のための作業を行うと言う事を聞いた。
 「避難所運営マニュアル」があるとの。
 夜、その資料を見せてもらった。第三中学校避難所運営マニュアル(案)羽衣町地区と表紙にあった。
 町会長になぜ案と言う文字があるのか、どのような経緯で作成されたのか、何時手に入れたのか聞いたが、不明とのこと。

 ちなみに、錦町にある三小も七小もマニュアルはない。従って、錦町では避難所開設・運営についての訓練は行われていない。

 立川市では、防災モデル地区推進事業と言う形で、三町毎に防災マップ作りや避難所運営訓練をワークショップと言う形を取って、行っているようである。
 残念ながら、錦町の番はまだ回って来ていない。
 まだ、防災モデル事業推進事業を行っていない筈の羽衣町に避難所運営マニュアルがあるのは理解に苦しむことである。

 以前、第一次避難場所の地区割りに実態に合わず、不適切であると思われる資料を見た記憶があるが、いかなる資料に出ていたか忘れてしまっていた。地域防災計画を見ても、第一次避難場所の名称は記載されているが、地区割りは出ていなかった。

 念のため、市民便利帳を見た。132頁に町別(丁目毎)の一次避難場所と広域避難場所が記載されている。
 一見して愕然とした。学区と避難場所が異なるところがある。
 錦町1丁目は三小学区であるにもかかわらず、第一次避難場所は七小。2丁目は七小学区なのに避難場所は三小。4丁目は三小に隣接しているにもかかわらず、三中。町会で見ると3丁目と4丁目でみよし会を構成している。正に、自主防災組織が分断されている。

 錦町は立川通りで分断されている。災害発生時には多くの危険性をはらむことが予測される。この事は考慮されたのか、疑問は残る。

 さらに、距離の問題もある。立川通りの西側で、七小が目と鼻の先にあるマンションも3丁目である。
 6丁目も距離的には7小の方が近い、選挙の時の投票所も7小である。但し、日野橋の直近の立川通りを横断しなければならない。

 先に行われた防災訓練の時に聞いても、住民は自分の避難する場所を知らない、町会長ですら認識していない。防災訓練に来ていた立川市の職員も知らなかった。

 第一次避難場所については、地域住民を交え、再検討し、周知徹底する必要性を強く感じる。市長は、6月議会で、地域防災計画は国や東京都の動向を見て改定すると終始答弁しているが、第一次避難場所等については、立川市単独で再検討できるのは当然であるので、その作業を直ちに始めるべきである。議会はもっとスピード感を持って対応すべきである。