堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

島崎藤村は岐阜県出身?

2010年05月31日 | 日記

 岩波文庫の「シリーズ日本近現代史」で幕末から明治にいたる時代の流れを知る上での参考資料として紹介されていた、藤村の「夜明前」をまず読み始めた。

 「夜明け前」の舞台である馬篭は私の好きな場所でもある。木曽路全体もいい所だ。
 何回か行っているが、楽しみ方もいろいろある。やはり一人で行くのがいい。

 現職の頃、立川に、価値観の多様化している時代にふさわしい、非宗教的な祭りはできないものかと考えた。
 当時の立川市の広報課長と相談した結果、NHKが「ふるさとの文化祭」という番組を放映しており、その中に岐阜県中津川市の「おいでん祭」を取り上げていた。

 「おいでん祭」とは、「いらっしゃい」を意味する「おいでんさい」からきている。市民公募で決まったものである。
 当時、中津川市は6ケ町村が合併してできた市であり、市民全体が参加する祭りはなかった。
 そこで、NHKの協力を仰ぎ、苗木藩の遠山家の土蔵から発見された、畳2畳ほどもある雨乞いの踊りの絵図を再現した「風流おどり」が中心となっています。
 担当者は、絵図しかなく何の資料も無い状況で、踊りの復元にNHKが派遣した踊りや和楽の専門家の力が大きかったこととNHKの総合力のすごさに驚いていた。

 立川に帰り、実現したのが「よいとまつり」で、第1回目の祭りはNHKで放映された。。
 しかし、最初、「光と音のページェント」と銘打たれた祭りは少し変貌してしまったという感も若干する。

 中津川市出身の前田青邨の記念館にも行った。
 記念館は通常の美術館では見られないものがある。
 皇居に飾られている「石橋」の下絵も含め、制作過程が克明にわかる品々が多くあった。

 その帰り、馬篭に寄った。
 いうまでも無く、馬篭は藤村の出身地である。
 記念館もある。
 藤村は、信州・長野の出身というイメージは強い。
 しかし、今、馬篭は岐阜県中津川市の行政区域内にある。

 平成の大合併でそうなった。
 以前行われた合併では村を分割して合併が行われ、村民を苦しめた。
 今回はその轍を踏まずと、住民は中津川市への合併で意見がまとまった。
 ところが、思わないところから横槍が入った。田中長野県知事である。
 住民の意思を尊重すると言いつつ、いざとなるとその言を翻す。歴史は繰り返される。特に、何らの状況を把握することなく耳触りのいいことをいう政治家や政党に要注意。

 従って、藤村は岐阜県中津川市出身。


地域猫

2010年05月21日 | 日記

 ブログのデザインを変えました。

 私が子どものころは野良ネコもいましたが、野良犬もいました。
 しかし、今は、野良ネコはいますが、野良犬はほとんど見ません。
 その違いは何なのでしょう。両者の性質や習性の違いなのでしょうか。わかりません、知っている方がいたら教えてください。

 我が家にも黒猫が来ます。
 何年前になるか忘れましたが、時折黒猫が来るようになりました。
 餌もやり、追い立てるようなこともしなかったせいか、ある日突然生まれたばかりの子猫三匹を口にくわえて運んできました。
 たとえ野良猫とはいえ、命あるものを、猫はネコなりに必死に生きているものを、抹殺することは忍びないことです。

 我が家で、牝二匹、雄二匹、計四匹の猫が生活し、猫屋敷になりかねず、悩みました。
 結局、親猫はボランティアの人に頼み避妊手術をしてもらいました。
 子猫は我が家で全額負担し、同様に避妊手術をしました。

 野良猫の地域における被害は少なくありません。
 そこで、被害を最小限度にとどめ、最終的には野良猫をなくさなければなりません。
 野良猫から地域猫にして最終的に野良猫ゼロにすることです。

 野良猫の被害を口にし、餌をやる人を非難する人は多いのですが、野良猫が増えないようにすることも大事だと思います。
 立川市でも不妊去勢に対しては補助金を出しています。担当部署は環境対策課管理係です。

 猫にも縄張りがるのか、今、我が家に来ているのは親猫だけです。

 

   

           かつて我が家にいた黒猫親子


日本近現代史

2010年05月18日 | 日記

 ここしばらく行っていないが、錦町に「たんぽぽ」と言ういい韓国料理の店がある。
 現職時代は民団とも深くかかわったためか、もともと辛いもんが好きなためか、韓国料理は好きである。

 思えば、今年は日韓併合から100年である。
 1910年に韓国併合に関する条約に基づいて韓半島を併合した。
 日清戦争から日本は大きく変わったともいわれている。

 夏目漱石や芥川龍之介は、文学の世界では、今は古典に属する。
 われわれの学生時代は幸田露伴や二葉亭氏名の文体は読みにくく、半分古典的に感じたが、今の時代からすれば、それと同じなのであろう。
 平成生まれの人が成人を迎えている時に明治、大正、昭和の時代に何が起こったかもう一回、日本の近現代史を学びなおすのも悪くないと思った。
 韓半島(朝鮮半島)との人々や国との関係は奈良飛鳥時代から日韓併合の時代まで様々であった。
 

 オリオン書房に本を買いに行った折、岩波新書の「シリーズ近現代史」全10巻が目にとまった。

 李御寧(イ オリョン)氏が出ているインタビュー番組が目にとまったので録画しておいた。
 氏は20年近く前に刊行された『「縮み」志向の日本人』という本で有名であり、当時私も興味を持ったが、未だに読んではいない。文庫化されていりそうなので一度手に取ってみたい。


 


修景化・小布施

2010年05月02日 | 地方自治

 以前から中島千波の描く桜が好きで、その出身地である小布施にも興味を持っていた。
 「おぶせミュージアム・中島千波館」には以前行ったことがある。
 昨年の秋にも紅葉を楽しみながら再び訪れた。
 中島千波の他、栗と北斎で有名なことぐらいは知っていた。

 以前、議員時代に「花のあるまちづくり」をテーマに視察したこともある。
 先日、オリオン書房で川向正人が書いた「小布施 まちづくりの奇跡」という本が目にとまり買ってきた。

 この本で知ったのだが、「オープンガーデン」も修景事業の一貫として行われたものであるとのこと。

 いわゆる街づくりの中で「修景化」という言葉はよく使われる。
 ちなみに、中高校生ぐらいが使う国語・漢和辞典で引いても出てこない。
 まちづくりの中で使う専門用語なのだろうか。
 小布施の修景事業は一般的言われているに修景化とは少し違うのかなあとという感じがする。
 小布施町が行ったまちづくりがユニークで特異なものであるので、著者は「奇跡」と呼んでいるのである。

 著者の川向正人氏が所長を務める「小布施町まちづくり研究所」もユニークな存在である。
 東京理科大学と協働で地域住民、行政、専門家が一体となって新しい形のまちづくりが進める基盤となっている組織の様な気がする。

 歴史的建造物群保存地区や過去の歴史を覆し近代化の名のもとに行われているまちづくりとも異なる温もりのある住民が心地よく住むことができるまちづくりが小布施で進められているのではなかろうか。

 以下の写真は昨年秋撮影したものです。