岩波文庫の「シリーズ日本近現代史」で幕末から明治にいたる時代の流れを知る上での参考資料として紹介されていた、藤村の「夜明前」をまず読み始めた。
「夜明け前」の舞台である馬篭は私の好きな場所でもある。木曽路全体もいい所だ。
何回か行っているが、楽しみ方もいろいろある。やはり一人で行くのがいい。
現職の頃、立川に、価値観の多様化している時代にふさわしい、非宗教的な祭りはできないものかと考えた。
当時の立川市の広報課長と相談した結果、NHKが「ふるさとの文化祭」という番組を放映しており、その中に岐阜県中津川市の「おいでん祭」を取り上げていた。
「おいでん祭」とは、「いらっしゃい」を意味する「おいでんさい」からきている。市民公募で決まったものである。
当時、中津川市は6ケ町村が合併してできた市であり、市民全体が参加する祭りはなかった。
そこで、NHKの協力を仰ぎ、苗木藩の遠山家の土蔵から発見された、畳2畳ほどもある雨乞いの踊りの絵図を再現した「風流おどり」が中心となっています。
担当者は、絵図しかなく何の資料も無い状況で、踊りの復元にNHKが派遣した踊りや和楽の専門家の力が大きかったこととNHKの総合力のすごさに驚いていた。
立川に帰り、実現したのが「よいとまつり」で、第1回目の祭りはNHKで放映された。。
しかし、最初、「光と音のページェント」と銘打たれた祭りは少し変貌してしまったという感も若干する。
中津川市出身の前田青邨の記念館にも行った。
記念館は通常の美術館では見られないものがある。
皇居に飾られている「石橋」の下絵も含め、制作過程が克明にわかる品々が多くあった。
その帰り、馬篭に寄った。
いうまでも無く、馬篭は藤村の出身地である。
記念館もある。
藤村は、信州・長野の出身というイメージは強い。
しかし、今、馬篭は岐阜県中津川市の行政区域内にある。
平成の大合併でそうなった。
以前行われた合併では村を分割して合併が行われ、村民を苦しめた。
今回はその轍を踏まずと、住民は中津川市への合併で意見がまとまった。
ところが、思わないところから横槍が入った。田中長野県知事である。
住民の意思を尊重すると言いつつ、いざとなるとその言を翻す。歴史は繰り返される。特に、何らの状況を把握することなく耳触りのいいことをいう政治家や政党に要注意。
従って、藤村は岐阜県中津川市出身。