堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

武士の家計簿

2010年12月16日 | 読書

 今、「武士の家計簿」という映画が上映されている。
 堺雅人、仲間由紀恵が主人公の猪山直之夫婦役を演じている。時代劇版ホームドラマという感じである。

 江戸時代にはいろいろな面で興味がある。同時代の外国の他の都市に比べ、町民の人口密度は世界一であったにも拘らず、清潔でエコな生活を送っていたとか。町民である一般市民の識字率も高く、教育も行き届いていたとか、父親の育児へのかかわり方も素晴らしかたっとかである。

 「武士の家計簿」(新潮新書)は著者の磯田道史氏が神田の古本屋で15万円ほどで買い求めた猪田家の36年分の家計簿ともいうべき「入払帳」を中心とし、書簡などを基に書かれたものである。
 言ってみれば、幕末から明治に至る激動の社会、経済状況の中を生き抜いた武士一家の生活の歴史である。

 余談になるが、手書きの家計簿は裁判での有力な証拠となる。後に書き換えることが困難であり、生活を生々しく表しているからである。例えば、領収書を紛失してしても、家計簿に記載されていれば、支払ったことの証明となりうる。

 本来、映画化には不向きと思われる日本社会経済史の著作がホームドラマ的に映画化されたのも、家計簿とも言うべき、36年間にわたり克明に記載された「入払帳」を基にしているからである。
 映画は映画として面白いであろうが、本を読めば、また、独自の想像が膨らみ興味が湧くであろう。

 
 同種の本を買ったことを思い出し、本棚を見た。
 
同じく新潮社から選書で、時代物作家として定評のある小松重男が書いた「旗本の経済学」が出てきた。
 この本は、やはり徳川将軍直参の御庭番筋の旗本川村修富(ながとみ)の残した「萬融院様御手留」という古文書を基に書かれている。
 この古文書は川村家が代々守り通し、現在、新潟市郷土資料館にある。

 「萬融院様御手留」は川村修富が58年間にわたり書かれた備忘録のようなものである。
 その内容は、修富の出世や職務内容、当時の経済状況や家計の遣り繰り大奥の仕来りやマル秘事項等である。
 推理や推測を極力避け忠実に原文を再現しているところに、小説的な面白さには欠けるが、逆に、事実をより正確に理解することに依って想像の楽しみは倍加する。
 
 


心療内科・・・心身症

2010年12月01日 | 読書

 夏樹静子の「心療内科を訪ねて~心が痛み、心が治す~」を読み始めた。
 近頃は、寝る前に撮り貯めたビデオを見ることが多い。
 特にハイビジョンやBSの長時間番組に面白いものがあり、見るのが追い付かない。
 年のせいで記憶力も減退している。
 そこで始めたのが、ノートをとるという作業である。筆記用具もボールペンではなく、黒インクの万年筆である。
 何か昔に戻ったようでもある。
 従って、一本見るにも時間がかかっり、ビデオは貯まる一方である。
 その結果、
本はあまり読んでいない。

 古本屋で目に留まったのがこの本である。
 以前、夏樹静子がひどい腰痛で執筆を休んだことがあるのは知っていが、その原因までは知らなかった。
 その原因が心身症であった。

 「心身症」という言葉を初めて聞いたのは、確か日航の航空機事故の時であった。
 調べて分かったことだが、それは今から28年前の1982年の日航羽田沖事故の時のである。
 機長が心身症で、心神喪失状態で無罪になった事件である。

 夏樹静子もその事件から約10年後の1993年に発症している。

 心身症の学術的な定義は「身体疾患のなかで、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的ないし機能的障害が認められる病態を言う。ただし神経症やうつ病など、他の精神障害に伴う身体障害は除外する」である。
 心身症は心と体が一体のものであるということを示している。

 この本には14人の人生ドラマがつづられている。
 病とその人ならではの生き方が興味をそそる。

 現代社会は人の心に様々な影響を与え、その結果、身体にもいろいろな影を落とす。
 かく言う私も日々ストレスと戦っている。
 ストレスが人間を鍛え、成長させているのも事実だと思う。
 しかし、そのバランスが崩れると危ない。生活のリズムも崩れてくるのではないか。

 このブログも一か月近く休んでしまった。これもバランスとリズムの崩れか?

     


正義

2010年09月04日 | 読書

  先日、NHKでハーバード白熱教室というタイトルでマイケル・サンデルの講義が12回に亘り放映された。
 テーマは「正義」である。

 民主党の代表選に見られるように、政治に哲学が欠如している現今、政治哲学という原点に回帰してみるのも悪くないとも思った。放映が深夜であり、1回1時間で12回・12時間という長丁場であるので、録画をして見ることとした。政治哲学ということで、無味乾燥で、とっつきにくいものと思っていたが、現実的で分かり易い問題提起をし、学生に意見を聞き、議論させる講義は非常に面白い。
 哲学というと抽象的で分かりずらいという既成概念があったが、サンデルの講義はその点違っている。
 政治哲学である以上、現実の政策課題や立法が何らかの哲学的な裏付けもつのは当然であろう。例えば、規制緩和や民間委託なども表面上は気がつかないが、分析すればいずれかの思想家の考えを根拠としている。

 日本人の解説者が「JUSTICE]と題する教科書を持っているので、日本語版も出版されていると考え、書名と出版社を調べたうえで、オリオン書房に行った。
 書名は「これからの「正義」の話しよう」で出版社は早川書房。サブタイトルは「いまを生き延びるための哲学。
 驚いたことに、エレベーターを上がった一番目につくところに平積みされていた。
 まさかベストセラーになっているとは思わなかった。

 東大で行われた講義がNHKで今月下旬に放映されるということである。時間はハーバードで行われた三分の一の4時間であるが、期待している。

 本を先に読むかVTRを先にみるか迷っているが、とりあえず、時間が長いのでVTRを先にすることとした。

     


もういちど読む山川世界史

2010年01月23日 | 読書

 昨日、本屋に立ち寄った。
 店頭で平積みされている「もういちど読む山川世界史」という本が目にとまった。
 今、高校の教科書風に書かれた歴史の本が売れているというのを新聞かテレビで見たのを記憶していた。
 山川出版社という名前の出版社は教科書で有名である。

 学習指導要領では地理歴史の中で必修科目は世界史だけで日本史と地理は選択科目となている。平成25年度から実施される新学習指導要領でも同様である。
 一方、東京都では都立高校の半分近くが日本史を必修科目としており、ここで東京都教育委員
会は全ての都立高校で、日本史を必修科目にする方向を決めたようである。

 私は高校時代、理科系のコースに属すクラスに居たので、地理は気候風土などの要素があり、現実的な生活と密着しており興味があったが、歴史は記憶科目という印象がありあまり興味がなかった。
 そこで、自分の国の歴史という意味で日本史を選択した。

 ところが、文学作品を読んでもその時代的背景や思想の底流を歴史的観点から見ることができず、結果的に西洋文学は敬遠してしまった。
 また、現在の世界の動きも歴史的背景が見えないために真実の理解は不十分であると感じている。

 そこで、世界の通史が分かる本を読まなければと感じていた折、高校の教科書鮒本は手ごろなものだと思い、買うことした。

 日本の歴史を知る上でも、世界史との関連が分からなければとも思い、同じ出版社から出ている本も読んでみたい。

            


遠い接近

2009年12月08日 | 読書

 松本清張の生誕100年を記念して、TVで記念の特番をやっている。
 NHKのBSでも長時間番組を組んでいた。
 ビデオに撮ってあるが、その前に、原作を読もうと思った、「けものみち」は、明確に読んだ記憶がある。
 しかし、「遠い接近」は読んだ記憶がない。早速、古本屋で買ってきた。
 ところが、2~3ページ読んだところで、そのストーリーを思い出した。
 やはり、すでに読んでいたのである。さすがは松本清張だと思った。

 時々、すでに読んだことのある本を買ってきてしまうことがある、特に推理小説はその傾向が多い。
 ところが、2ページか3ページで気がつく本は少ない。
 さすが松本清張と言ったが、それだけ印象に残るだけの内容なのであろう。なんとなく読んだことがあるような気だけして、その内容が最後まで分からない本のほうが多いような気がする。

 蔵書目録と言ってもすでに処分した本が大多数なので、読書録と言ったほうが適当であるが、やはりそこに載っていた。

 生誕100年を機に、読み残している著作を探してみようと思う。すべて読んだ物を記録しているわけではないので、今回の二の舞三の舞をやらかすことになるやもし、それを覚悟で挑戦してみよう。

     


リーダーは半歩前を歩け

2009年10月24日 | 読書

 少々忙しかったので、ブログを書く時間がなく、1か月半ほど休んでしまったが、思わしくない結果であったが、一応、結論が出たので、時間が取れるようになった。
 そこで、ブログも再開しようと思う。
 HPも一からやり直すつもりで、今、準備中である。再開の折は、お知らせしますので、見ていただきたいと思います。

 集英社新書の姜尚中著「リーダーは半歩前を歩け」を読んだ。
 共感する部分が多かったせいか、意外と速く読み終えた。
 著者が師事する、先日逝去された韓国元大統領金大中については、太陽政策位しか知らず、それほど詳しい訳ではないが、「リーダーは半歩前を歩け」という言葉は、私の考えと一致するので共感を覚えた。
 特に、フォロアーと手を繋いで歩く距離という表現は言い得て妙である。

 リーダーの捉えかたも様々あると考えられる。国家や政治の範疇での捉え方、日常的な生活の場での捉え方


ブログを始めることとしました

2008年12月30日 | 読書

 HPのトップページに今までその日の出来事や感じた事を書いていましたが、HPをリニューアルするのを機会にブログを立ち上げ、「つれづれの記」をここに移すこととしました。
 内容はその時に感じた事、考えた事なので。あっちこっちに飛ぶとは思いますが、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

  戸山滋比古の著作
 NHKの「週刊ブックレビュー」で、戸山滋比古著「忘却の力」が紹介され、面白そうだったので、早速、書店に行ったが、あいにく見つからなかった。
 文庫本で何か出ていないかと思い、探していると、ちくま文庫で「思考の整理学」という本が出ており、早速購入した。
 20年位前に文庫本として出版された、古い本であるが、後で買った、「忘却の力」よりも面白かったのは意外であった。

  「朝型」の薦め
 
「思考の整理学」の中に、朝の頭と夜の頭について書かれている個所がある。
 私は、だいぶ前から、デスクワークは早朝にやることにしている。
 その理由はいくつかあるが、朝の方が能率が上がるということである。著者は朝の頭の方が、夜の頭より優秀であると言う。その通りだと思う。
 頭の働きが鈍くなるのは、疲れている時と満腹の時だと言う。確かに、朝は、夜寝て疲れがとれ、腹に何も入っておらず、頭にとって最高のコンデションであろう。
 夜の頭は悲観的で、朝の頭は楽観的であるという。
 従って、物事を希望的に考え、積極的な仕事が可能となる。
 「悲しい話は夜するな。どんなにつらい話も、昼したら大したことない」とがばいばちゃんも言っている。
 著者が一番言いたかったのは、朝の頭には「忘却の力」が働き、寝ている間に、余分なことは忘れる、人間にしかできない選択的忘却が働くからであろう。
 そのために、良い仕事は朝でなければならないのであろう。
 私の生活慣習は間違っていなかったのである。