太平洋でさんざんに泳いで来た。
早朝に車に飛び乗り、それでも渋滞に少しは巻き込まれたが、リアルタイムの道路状況を見ながら、行き先の泳ぐ海を変えて行き、8時ころから泳ぎ始めた。
空いてる海はいくらでもある。
まわりは何故か外人ばかりだったが、大きな浮袋で波うち際でパチャパチャばかり。
満潮は6時過ぎ、干潮は1時ころ、単なる海水浴ではなく、遠泳するときはこの潮加減がとても大事になる。
大潮の海なんて、盛り上がって波が高く荒れておればそれほどに、興奮するもんだ。
俺自身の身体が、膨らんでいるようにも感じる。
高い山に登るのとはまた違った興奮がある。
大自然相手の遊びしか、もはや俺を興奮させるものはない。
女? このごろの女は、母性や献身さが欠如してる身勝手な歪んだ欲の塊ばかり、物足りないね。
自己救済、自己弁護ばかり、部類の女好きでも、この頃は心動かない。
甘えるなら、大自然に身をまかせ甘えてる方が安らぐ。
昼前には、海からあがって片づけを始めた。
潮が汚れて浮遊物が増えてくると、泳ぐのは止める。
それでも4時間くらいは海の中にいた。
夜に銀座の店に出たが、身体中が磯くさい。
山とは違った日焼けもした。
これがもうすぐ61歳になる、いつもの俺の夏。
宇宙や地球の価値観で生きてると、人間の価値観だけで生きてる大人社会では、すべてが笑い話になってる。
あの世がどうたらこうたら、お化けが怖い、先祖に怒られる、祟りはおっかない・・・ずっと、やってなよ。
日々の習慣や季節の風習、これらも考え直す時期になってる。
無駄ばかり、無意味な無駄ばかり、団塊の世代は自由と斬新さを売りにしておった割に、古風な価値観は大正時代か? そんな哀れ提灯。
俺らの世代が、生きて見せてやらんきゃ~ならんのに、同世代とて明治の生まれか? そんなテイタラク。
人間の生きてる価値観が大きく変わると、俺は40年前には皆に言って来てる。
そういう時代に向かってる、と。
方向は間違いないことなのに、まわりを見るとダメだな、下等な獣ばかりで、アクビが出てくる。
今朝は身体中が火照ってる。
仕事もまた、いろいろ入ってきてる。
さ~、笑って行こうか・・・。