縁側の向こうの、庭に面した窓は明け放したまんま、蚊帳を張り、蚊取り線香を焚いて夏布団に入ってた。
虫の声が子守歌だったもんだが、それがガキの頃の夏の、当たり前のような普通のことだったものが、今年もまた普通ではなく、長いだらだらした梅雨が終わると、灼熱の夏になり、エアコンや冷風扇でもなければ眠れない、そんな夏は短く、もう秋雨前線がやって来てる。
山や海で遊び惚けて生きて居ると、地球の温暖化という言葉は、どうもしっくり来ない。
地球の狂暴化、そんな感じに想えてしかたない。
四季の景色もまた、それぞれに変わってきている。
温和な顔だった四季が、ワザとらしくも怖ろしい夜叉になったり、冷ややかな観音様になったり、愛が足りない? 人間と仲良く共存していた筈の大自然・宇宙や地球というものが、人間に辛く当たることが多くなった。
四季も、乱暴化してるような感じだ。
どうしたことだろうか・・・。
人間が、大自然や宇宙や地球に合わせるいがいに、愉しく生きてゆく方法はないんだが、どうしたもんだろうか?
ずいぶんとこの50年で、大自然や宇宙や地球は変わってしまっている。
人間もまた、激しく変わってしまってるが、変わり方が仲良く共存する方向ではなくって、大自然や宇宙や地球を破壊してまでして、孤立しようとしているような、絶滅する生命体そのもの、そういう意味では哀しいことだろう。
蒸し暑いなか、広島に出掛けて居った。
直腸癌になってる90歳の爺様の見舞いを兼ねて、出掛けておった。
癌は進行してはいないようで、昨秋には、すぐに手術して俺とおなじオストメイトになった方が良いと大病院の外科部長に言われて、それを聞いた俺が日帰りで広島に戻り、直接その医者と喧々囂々口論して、経過観察しましょうとなっている。
いらい、その医者はよく見てくれてるようで、感謝している。
俺は日常には笑って生きているが、そのケアは大変には違いない。
身体障害者手帳を持たされるだけのことはある。
自分でケアできるようになれば良いが、それには相当に行動力と訓練と観察と世界中の情報が必要になる。
ま~、痩せてはいたが、元気そうで喜んでおった。
家の負債やら面倒なことをぜんぶ俺がキレイにしてやってるから、呑気なもんだとは思うが・・・。
親の面倒も見て、子供らの面倒も見て、それ以外の面倒も見て、こんな身体にもなるわいな。
それでも休むことなく仕事を続けている。
それが俺の幸せ、笑いのタネでもある。
原爆資料館が新しくなったというので、何十年ぶりかに寄ってきた。
言葉にならない・・・わややな、わやくちゃや・・・それが相変わらずの感想だな。
外人ばかりで、もっと日本人が見るべきだろうとは思うが、それもちゃんとした知識を持って見なければ、ピント外れな感想や怒りで終わってしまう。
人間の世界のことは、そんなキレイごとや単純な公式では割り切れない。
相変わらず広島駅周辺の夕方は真っ赤なカープユニフォームを着た連中で溢れていた。
帰りの新幹線では、中国人の子連れの団体が前の方で喧しかった。
俺のそばだったら、説教するところだったが、疲れていたのでじきに眠ってしまった。
おとなしい日本人、われ関せずの日本人、自分らだけの日本人、そう、外人からは見えるんだろう。
さ、仕事をするさ。
ボチボチ過ごしやすくはなんだろうよ。