夏になると、海や川で溺れて死んでるものがいる。
大昔からのことで、冬になれば雪山で遭難してるのもおなじだ。
誰かと海に泳ぎに行くとき、爺ぃの俺はまず一人で海に入り、慣れた海でも沖までゆったりと泳ぎ出る。
近海の天気図はあらかじめ普通に頭に入ってるし、満潮・干潮、そんなこともあらかじめ頭に入ってるのは、当たり前のことだ。
あとは現場で雲の形や風の向き、潮の色を見て判断する。
そうして水しぶきを上げながら浜に上がったら、だいたいの流れと危険な場所について話して置く。
海底の状況を見れば引き潮の強さも解るから、ときどき潜って裸眼で確認しておく。
俺はガキの頃から、海でもゴーグルなんざいらない身体になってる。
山でも無駄な装備が必要ない。
こういう当たり前のことを、爺婆や大人たちが子供や若者たちに伝えてやらないから、死人が出てる。
そんだけのことだが、それが一番大事なことだ。
ところが現代の爺婆や大人たちは、それが出来ないみみずくの群れ。
何十年もの間、ナニをやって生きて居ったのか? 不思議な大人社会だ。
馬鹿な奴らが多くなると、規制やルール作りが厳しくなり、楽しく遊べなくなる。
オツムの足りない連中のせいで、迷惑なことよ。
・・・ということで、台風のきている太平洋でも、泳いでいる。
気象庁の言う2~3mくらいの波であれば問題ないが、それもアテにはならない。
クロールや平泳ぎしかできない連中には無理だ。
抵抗が多すぎるし、まわりが見えなくなってしまう。
細い錐のように強い波に穴を開ける、そんな横泳ぎが一番に進む。
あとは波に乗ってぐわんぐわんと揺れながら、怪しい雲を眺めている。
海では一匹の魚になったような気分になってる。
山ではのしのし歩く熊になってるのと、おなじだ。
176せんち、74キロ、一年中、山や海で遊んでるから、身体は丈夫なまんまだ。
60年、俺はこうやって日本で生きて来た。
とうの昔に、人間の社会での争いには飽いてしまってる。
情報を弄ぶものは、いずれその情報に息の根を止められる。
メディアに持ち上げられて神輿に乗って喜々と踊り狂うものは、じきにそのメディアに息の根を止められる。
人間の歴史がその繰り返しでしかないのに、いまだに情報を操作し、ねつ造し、偏向・洗脳、そればっかだ。
進歩とは? なにのことを進歩というのか? 大勢の、善良なる市民の群れは、ただ退化しかしてはいない。
情報とは、それが絶対で多くの支持者がいるもの? 何気なく聞いている歌の歌詞が、洗脳に使われている。
普通で良い、平穏で良い、波風立てないで良い、それこそが他の人間にとっての大きな障害となってることを、みな知らずにのほほんと生きて居る。
日常に使ってる自分の言葉、その意味、同じ言葉を使う他人と、その意味は同じ訳がない、それで会話が成り立ってること自体、俺には不思議な光景だ。
さ、今日も仕事だ。
カギの受け渡しや、エアコンの交換や、いろいろと仕事を入れてある。
阿呆みたいな渋滞のなかで、無駄な時間を費やすのは、ごめんだな。