オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

生きるとは、不条理があたりまえ 

2021-01-13 00:14:48 | 地球と生きる

 

 昨年末から、何人かの身近な高齢者が亡くなってる。

 別にいま流行ってるコロナなどではなく、充分に生きたという老衰になるが、扱いは酷いモノで、みな身内だけでひっそりと葬儀埋葬までやられている。

 96歳で逝かれた爺様は、オストメイトになって色々と相談を聞いて差し上げておったが、親族の理解も足らず、あんまり楽しくない日々に落ち込んでおられた。

 淡々と産まれ、淡々と、死ぬ。

 

 アメリカ大統領選挙、報道ではトランプばかりが悪者になっているが、皆さん、見ている方向が違うのではないだろうか? これだけ世界中におぞましい不正情報や悪魔教の情報がダダ漏れしていて、新大統領になる人間は、健康で、冷静で、正気でいれるものかどうか? トランプばかりでなく、バイデン爺様はお元気なの? そっちの情報がまるで出て来ないな~、不思議だね~。

 怪しいワクチンを2回も接種して、マスクして笑ってる爺様の報道しか出てないが、お元気なら良いんだが・・・。

 正義を気取って情報網を占拠して、反トランプを煽ってる連中って、薄気味悪い目をしていてさ、まるでシャブ中かクローンのような顔ばかり。

 こういう連中が世界中にいて、コロナ騒動を煽ってる。

 アメリカ大統領選挙の真実が明るみになれば、コロナ騒動も終息するだろうよ。

 しかし、わが国の大メディア群は気味悪いくらいに足並み揃えて、本当の報道からは逃げている。

 毒饅頭が相当に効いているんだろう。

 

 さて、人間は、誰も他にいない場所で独りで生きて居る分には、別に名前すらいらない存在で良い。

 ところが、現実は独りでは存在できず、他の人間が隣り合わせに居る場所でしか生きては居れず、名前をつけられて他と区別され、その名をもって群れで生きることになればいろんな摩擦が、その他との間で起きて来る。

 不条理とは、そこで起こるすべての他との事象に、起こる。

 そもそも条理というモノ自体が、その時代に生きている自分ではない他者によって定められるモノである以上、他の人間にとってはすべてが不条理とも言える。

 大地震で、大津波で、火山の噴火で・・・というものは、不条理ではなく、受け入れざるを得ない必然なモノゴトに分類される。

 あくまでも人間社会での、人間同士が生きて居ることによって生じる摩擦のことを、不条理と言う。

 そう考えれば、人間が生きて行くことは不条理が当たり前であって、それを前提にしてどう生きるか? どう愉しく生きるのか? これは最初に考えておかなければいけないことだろう。

 

 俺は、ただの不動産業を営んで収支を計算し、利益を出すことだけで生きて居る訳ではない。

 自営のその業で知り合った人たちに進んで関わって行き、不動産の話だけでなく、頼られ相談されれば不動産とは関係の無いあらゆるモノゴトに首を突っ込んで、いったいぜんたいナニをやってるのか解らないことも多い。

 本業で稼いだ利益が、その関わり合いで消費されてゆくようでもある。

 当然、偽善者のいうキレイごととは違って、世間知らずの青二才がいう理想とは違って、他の人たちに、みずから進んで関わって行ってるいじょう、味わう不条理の数々は常にたくさん抱えていて、布団に入っても眠れないで朝を迎えることもあるが、それは理解の出来ない怒りからくるもので、自分の想いが条理だと想ってる自身の自惚れ、他はまた別の条理で生きて居るという、終わらない摩擦が原因だと知っている。

 ・・・これだけ色んなことをしてあげて、元気に頑張って行けば良いモノを、なんで逆にこの俺に対して、足元をすくうような行動になるんだ?

 こういうことは、とても多い。

 他人に関わって行くということは、余計なお世話でしかないんだろう。

 別にナニか代償や報償が欲しくて関わってる訳ではないから、そこで起きる不条理な摩擦は、対応するしかない。

 法律で対応するものならば法律に沿って対応するだけのことで、他人の幸せの為に動いているのに、その他人から訴えられるというような、そんなおかしなことになることもある。

 余計なお世話ではなく、現に利益も出るように動いてあげていてさえ、そんな摩擦に襲われることもある。

 後ろから弾が飛んでくる、そんな感じになることもある。

 飄々と、胸を張って、それには対応する。

 不条理、これは眠れない夜を過ごす目覚め薬の役割を果たしてくれる。

 そうして何十年も、そんな日々を送ってきてすら、いまだに他人に関わり合っていってる俺は、それこそナニが楽しくて生きて居るの?? 子供らに聞かれるだろう。

 新しい生きてる他人とまた関わり合える、これは愉しいことだ。

 

 たくさんの眠れない想いを抱えて、高い山に登り、海で泳ぐ、その時に味わう、大自然・地球や宇宙の桁違いの大きさに心震わせ大気を目いっぱい吸い込んで、小さな人間社会の不条理なんて粉々になくなってしまう、その感じが、俺の生きてる愉しみになってしまってるようでもある。

 山に入る時、現実社会での煩雑なモノゴトなんてすべて登山口に置いておく。

 海で沖に泳ぎ出る時、浜辺のビーサンの横に、それは置いておく。

 俺の居場所は山や海の中、そこから銀座の街に出て、いつも他人と関わり合って大騒ぎしてる。

 そういうスタンスで生きてるからこそ、どんな時代でも、大笑いして居れるんだろうとも、想ってる。

 

 自分にとっての良いことも悪いことも、これは生きて居るからこそ味わえるシロモノで、負けたとか損したという想いを捨て去れば、不条理なことばかりであっても、別に一晩腹を立てれば済む話だ。

 やっちもね~。