正月明けに救急車を呼んで入院させていた80歳半ばの爺様が今朝早くに病院で亡くなった。
動けなくなってたくせに、嫌がる爺様を無理やり救急車を呼んで入院させていたが、すでに食事もたいして食べず、点滴で生きてると報告を受けていた時には予期しておったので、充分に生きたろう人生を、せめて暖かいベッドの上で終えさせてあげれたことが、俺には満足だ。
クタクタの山の帰りに気になって食い物を持って訪れたのが最後で、救急車で病院に連れて行き、そのまま会うことも出来ずにお別れとなった。
別れた奥さんや子供らとも音信不通で、ひっそりと生きることを選んだ爺様には、幸せだったと思うよ。
コロナだからね~、どのみち身寄りの無い老人は区の方で埋葬まではやってくれるから、それだけでも有難いことだろうよ。
管理してるそこの古いアパート群には、20人近い身寄りの無い高齢者がまだ独り暮らしで住んでる。
俺が去年から管理を引き受ける前には、部屋で孤独死してたり、5棟の建物も築60年を超えて老朽化は激しく、草刈りからゴミ類の撤去まで俺も出動してやってるが、それでもひっきりなしに不具合も出ている。
貸主は脳梗塞で倒れて成年後見人弁護士がつき、借主のほとんどが高齢者の身寄りの無い老人、建物も築60年超えて老朽化、騙し騙しやるにも限度があるが、関わった以上は俺の仕事、俺の方が先に逝くかも知れないが、笑ってやってくだけだ。。
こんな間抜けな世の中で大儲けもしてるが、日々の仕事はそんな赤字の積み重ねみたいなことの方が多い。
・・・よくやるよな~、大手や普通の不動産屋は逃げてやらんだろう
・・・社長に関わってもらった人は、幸せだよ
同業の古い連中にはよく言われるが、誰もやらないから、俺がやる、そういうことになっている。
そう、死んだ爺様の部屋の片づけも、俺の仕事だ。
他にも死にかかってる老人があちこちにいる。
血管が切れそうなくらいに忙しいが、お国はコロナ対策と称してダラダラやってるし、善良なる見て見ぬふりの偉そうな国民様たちも自粛ゴッコに夢中だから、俺のやることが増えている。
利益もなく、助成や救済もなく、危険いっぱいの現場仕事ばかり、去年の春から・・・自粛などしておれん!・・・と続けているが、どんな人間も生まれて来た以上は、死ななければいけない。
誰も送ってやらないのなら、せめて俺が送ってやろう、これで30年、銀座で周旋屋をやっている。
今週末はまた高い山の頂きに登り、死んだ爺様の魂を空に放り投げてやる。
俺の登山には、昔からそういう意味もある。
そのくらいに多くの人を、送って来てる。
生きて居て、関わってしまった者には、みっともなく後悔しないようにと、全身全霊で当たって行く。
大きな話や、キレイごとなどには振り向かず、ひとつひとつ、自分の両手で出来ることだけを見て、積み重ねて行くことが、生きてる意味でもある。
そんなもんさ。