オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

盆と正月だけの、大袈裟な猿芝居

2023-07-14 10:46:33 | 地球と生きる

 

 

 盆と正月だという、その時だけ嘘っぽいオメカシして、虚勢を張ったり見栄を張ったり、醜いことこの上ない習慣を隠れ蓑にして、日本の大人社会は怠惰で身勝手な日常を誤魔化そうとして来た。

 俺の家もそんな腑抜けな形式だけの時代を、墓が解ってるだけでも10何代も続けて来たが、俺の代でいっさいを止めてしまった。

 去年の年末に大往生させてやった爺様の初盆だが、別にナニもする気もない。

 日常に、婆様と俺は週に3~4回は近所の大寺院に散骨した爺様の元に、笑いながら顔を出してやっている。

 仕事のついでに、買い物のついでに、歩くついでに、いつ行っても賑やかな大寺院に顔を出している。

 供養とはいつも故人を思い出して笑って語ってやることであって、普段は身勝手な我欲に溺れている連中の自己弁護の為に、年に1度や2度の大袈裟な行事をやるなど、故人の為ではないことくらい子供でも解るわい。

 大袈裟な行事はいっさいを止めて、親戚付き合いもいっさいしない。

 これが俺のガキの頃からの念願だった訳さ。

 それぞれが所帯を持ったなら、他人になる訳で、親族や親戚なんてベタベタ陰湿なキレイゴトだ。

 むしろ価値観を共有できるアカの他人の方が、付き合いは濃くなってしまってる。

 俺自身も死んだらそこに散骨してもらうことに決めているから、戒名も無し、個別の墓標も無し、すでに小さく他の連中と同じように本名を壁に刻んでもらっているが、それで充分だ。

 誰かが、いつかはやらなければいけないことを、すべて俺の代でキレイにやり終えている。

 喧しい外野の狂騒など、いっさい相手にせずに笑っている。

 婆様はこの頃よく笑って言ってるさ・・・あんたは本当に、強い男だね~・・・あんがとよ。

 無意味でくだらないことばかり、人間社会のリセットも、自らでやっておくことも今後の為さ。

 貧乏くさい見栄や虚栄なんざ、捨ててしまえや。

 

 冠婚葬祭や、家だとか会社だとか組織の風習や行事を大事に守ってる奴らは、しょせんは自分の言葉で自分の生を生きて語れないからこそ、そんな幼稚で貴方任せ・他力本願な自分を体よく誤魔化し隠す為に、古風な習わしを子や孫や社員やメンバーに強制する。

 自分の日常でキチンと自分を表現できている大人は、伝統や歴史や習慣を大袈裟に振り回して、いかにも殊勝な善人です!というような、メンドクサイことなどいっさい興味など持たないものだ。

 その長く続けている日常で答えを出しているから、黙って笑っている。

 自分に自信がないから、他のモノを色々と身にまとい、都合よく利用して、キョロキョロと猿の群れのなかで評価されようと借金・負債を抱えても見栄を張り、マナーだのしきたりだのと正装してオメカシして、善良なる庶民を気取っている。

 自分の墓守をして欲しいから、自分の老後の世話をさせたいから先祖を供養して、良い人だったと評価をして欲しいから伝統や歴史で武装して、子や孫には金だけ払って強制し、叶わないとなれば先祖の霊魂や幽霊の祟りまで持ち出してくる。

 卑怯モノの、愚かな自惚れの権化こそ、悪霊そのものだろう。

 生きた証が欲しい? 目いっぱいに毎日を生きて居れば、現世になんざ未練も後悔もナニもありゃ~しない。

 過去や未来で今を語る時代から、今を生きて過去や未来を映す時代に、早く変わって欲しいものさ。

 そんな価値観で生きて居る人たち以外、日常の会話が成り立たなくなっているさ。

 エエ加減に、見栄や虚勢張って隠し事に蓋をして、薄汚い借金・負債で豪勢な成金を装うのは、やめにせいや。

 

 人間の世の中社会には、いろんなトラブル・アクシデントが、幾らでも起きて来る。

 すぐに解りやすい対応をせずに放置しておくと、そのトラブル・アクシデントはこんがらがって来る。

 痛感するようなことが次から次へと起きては、その仲裁に入っているような毎日だ。

 その原因となっていることも、価値観の大転換期らしく、大笑いしてしまうような稚拙な事柄ばかり。

 とっとと話し合いの場を収めて、山や海へと出掛けたくなる。

 

 日本に棲んでおれば、円を持ってなければ生活がスムーズに出来ない訳だが、これが他国との貿易や売買交換となると、今まではドルが唯一の基軸通貨として世界を抑え込んでいた。

 経済戦争や金融戦争とは、ドルの武器化のことだった。

 通貨や紙幣が人類のすべての権力を握ることになってしまっていた。

 ゼニカネの核兵器化。

 ゼニカネを持っている者は、国家すら動かしてしまう、こういう奇妙でチンチクリンな世界が出来上がっていた。

 戦後の日本を見ていても、それはよくよく解ることだろう。

 あんなハゲ親父でも、金を持っているだけで良い思いをしている、そんなデブ親父でも、金でなんでも手に入れている・・・こういう社会が現実に目の前に出来上がっている。

 その金目当てに群がって寄って行くフナ虫の景色も、見飽きたがな。

 滑稽すぎて、笑えないくらいにおかしなもんだ。

 勝てば良い、強ければ良い、一番になれば良い、金メダルを取れば良い・・・ゼニカネの武器化が引き起こした社会崩壊の図式。

 欧米の王族やキリスト教教会が権力を持って世界を植民地化して蹂躙して来た歴史に、通貨や紙幣を武器の代わりにして、世界人類を弄ぶ連中がたくさん加わって来たことで、混乱は酷くなってしまってる。

 どうするの? 地球や宇宙のクシャミ一つで吹っ飛んでしまうような人類が、自惚れの極致に至っている。

 大混乱だろう。

 昨今の地球温暖化騒動も、ウイルス感染騒動も、宇宙開発も、人類の呆けた自惚れが元になっている。

 馬鹿馬鹿しい。

 人はどう生きるのが自然なのか? なぜ生きて行くのか? 生きて居る意味とはナニ? なのか・・・。

 俺はガキの頃からそればかりを考えて遊び惚けて生きて来た。

 そうやって60歳を超えてくると、自信と確信というものが、身について来ている。

 だからいつも大笑いして、自由自在に日常を走り回っている。

 

 猛暑のなか、バイクや車を乗り換えて走り回っているが、水分補給と塩分補給と栄養補給だけは気を遣う。

 俺もだんだんに、終わりを迎える準備に入ったような、そんな苦笑いもよく出るようになっている。

 4日に一度、腹筋に穴を開けて出している深紅の腸の端くれをキレイに洗ってやりながら、よく生きてるな~、と笑ってる。

 よく生きた、そんな感慨は毎日の余裕の元にもなっているさ。