朝はだいたい目覚ましなど必要なく、4~5時頃には自然に目が覚める。
それから熱いコーヒーを飲み、バイクに乗って店に出るが、これは雨が降っても雪が降っても、カッパを着込んで長靴履いての普通のことで、夜もバイクで移動している。
先週後半は雨が続き、冷え込んでいたから、素手でバイクに乗っていると、手がかじかんでいた。
そろそろ冬の出で立ちにした方が良さそうだ。
雲の中の山を歩いて来た。
いつものように1500mチョイの山だったが、眺望は少しだけ、たまに山に覆いかぶさって来る冷えた雲の中を歩き、風よけになる適当な岩場で熱いコーヒーを飲み、中本の旨辛飯を喰い、辛さで腹が温まり、風が北風に変わったので、下山にかかった。
深い笹の中を道を探しながら歩いた。
小さな携帯ほら貝を吹きながら、遊んで歩いていた。
山伏がほら貝を吹いて山を歩いていた意味は、そういうことで、熊よけの鈴なんかよりも、はるかに山に響く。
鹿のぴ~ぴ~も止んでしまってた。
どこの山にいても、獣たちも、よ~く理解している・・・あの、変なオヤジがやってきてる・・・と。
これからの季節は、熊公も木の上にいたりするから、かくれんぼし合っているようで、オモシロイ。
・・・おどかすなよ!・・・
・・・おめ~こそ、早く気がつけよ!・・・
こんな道の見えなくなってる山には、だいたい人間はいない。
整備するのは多くの人が集まる人気の100名山ゴッコの汚い山々。
自意識過剰で、見られたい、褒めてもらいたい、欲ボケ人間が集う山と決まっている。
ロクな山は無い。
その頂点にあるのが富士山だろう。
ゴミを拾いましょう? 大勢の人がいる場所ばかりで、人海戦術でゴミを拾って善人を気取っていたって、人の近づかない山にはダンプで産廃ゴミを捨て放題。
追いつかないだろう。
ポツンと道端に停めておいた車に戻ると、小粒の雨が降って来た。
神々は、お天道様と交信できるから、いつもこんな感じ。
しっかりした雨具やツエルトも担いではいるが、使うことが滅多にない。
濡れた木の根や、深い熊笹で見えなくなってる道を感覚だけで歩く。
踏み外すと、奈落の底。
岩場でも、危険な場所や事故のあった場所にはちぎれそうなロープや、さび付いておっかない鎖があったりするが、いつの時代のモノか定かではないので、決して頼りにはしないし触れない。
人気の山では無い山では、これは常識だろう。
死んでまうで。
自然栽培、無農薬、添加物無し、ミネラルウオーター・・・いろいろあるが、引き籠って、無菌室で生きて行くことを選んだ人間が、それは言うことであって、地球上で生きる人間には、その場で自分で、自分の感性で判断できないようじゃ~、生きてること自体が貴方任せの他人事。
商品の表示を素直に鵜呑みにしているレベルの自然食人間には、山や海での遊びなんて、出来る訳がない。
最初から土地を耕して、自分で喰いモノを育て、収穫して暮らす、これが出来もしない癖に、ゼニカネ出して高いモノを買って喜んで騙されてる猿ばかりが、ぎゃ~ぎゃ~健康について喧しい。
対応する、順応する、免疫を作り抗体を持つ、これを進化とは言うが、安全に籠って停滞して、オツムだけ使って能書きを主張して、喰う前にまず消耗するように身体を鍛え動かすこともせず、挙句に体力・精力がどんどん弱体化して行ってる現代人は、淘汰される側で生きている。
3連休の最終日は、お仕事をすることにしている。
40年前に日本に帰化した台湾人夫婦が、やってくる。
37になる一人娘が精神障害で家庭内暴力をふるい、70の母親がシェルターに避難していて、退所と同時に離婚して、生活保護を受けて独り暮らしを始めたいと、そういう大雑把な相談。
区や公共施設が休みなので、明日からそれぞれの面識のある担当に掛け合ってみるが、どうなることやら。
トイレも共同、風呂無しの築60年を超えるボロアパートでも、入居したいとの話。
社会の底辺の話でも、嘘や作り話は多いから、いつものように面談してからどうするか考える。
いまある現行の法律の中で、出来ることをする。
こういうことばかりやっている不動産屋のことを、周旋屋と呼ぶ。
貯えも無く、その日暮らし、俺は稼いでる額は違えども、好きでその日暮らしを謳歌しているが、嫌でもその日暮らしを続けている人たちは多い。
おかしなもんだぜ。
若いころから、自分の人生をどう生きるか? 七転八倒する時間があったかなかったかで、こうも違う老い先となる。
帰って行く老夫婦の背中に、山で吹くほら貝を吹いてやりたくなった。