昨夜の地震発生と同時に、高齢者の元に連絡し、深夜に車で駆け回っておったが、エレベーターが止まってれば緊急連絡先に電話して、テレビが見れなくなっておったら接続を確認して、いろんな作業に寝不足だわさ。
生きて居れば階段で、どんなに高くとも必要なものは担ぎ上げてやる。
身長176センチ、80キロ近い身体で、20キロ前後のザックをいつも担いで、2000m超える山々を歩いてる。
まかせとけや~!! 大笑いしておった。
インフルエンザの新種のことを新型コロナと呼び、その感染対策のおかげでインフルエンザは壊滅したと言っておったが、ここに来て、今度はインフルエンザが大流行しそうだと騒ぎ始めている。
感染症の学会や、医者や病院だけが借金・負債を減らして、エエ加減にせいよ。
世界の国々を社会主義化しようと考えてるのは、金融経済の断末魔が聴こえているからだ。
まんまと人類を騙したと考えておるのならば、晒し首にして、一族郎党河原にその首を並べろや。
そのくらいの猿芝居を続けている。
俺は最初からずっと同じことを言っているが、世の中社会の阿呆臭さは、笑えるもんじゃ~ない。
自然に人間が持つ免疫を否定し、人工のワクチンを強制する、正気の沙汰じゃね〜んだよ。
人間は、この宇宙や地球から見ると、もっともタチの悪い、生き物・獣だということになる。
これが原点にあり、生まれた以上は、その人間社会のお掃除をする、それが生きている目的にもなる。
先祖や神や仏が、それをやってくれるものでもない。
あなた自身で、動くことだ。
この1年、田舎で古く大きな家に住まって、先祖の霊に朝夕のお勤めを続けていたボケ老人を救済することで動いていたが、それが父親であることから、世の中社会の高齢者の現状を映す鏡でもあると書いて来た。
いまでは幼い頃の記憶まで戻って来て、愉快に話すことが出来るようになってる。
誰が、いまの合理的で簡素で質素で楽しい日々に連れ出したのか? よく笑いながら聞けば・・・お前よ!・・・そう即答が返ってくるようになった。
旧習や先祖との在りもしない呪縛から解き放つことは、子や孫の仕事だろう。
それを解らせるには、目の前で、身を粉にして獅子奮迅の戦いをしなければ出来ない。
やってみれば解るが、周囲は自己保身だけ、貴方任せ、傍観者ばかりの中で大騒ぎになる訳だ。
ひとり悪者になり、全責任を負う、それには自営で誰にも拠らずに食い扶持を稼いでおらんとならんし、体力も人並み外れた強靭なモノを手にしておらんとならんし、すべての邪魔を論破できる経験知識も備えておらんとならん。
誰かをアテにすることすら、ナニも無い。
世の中社会は邪魔ばかりするが、その中で毅然と事を進めていかなければならない。
金でどうにかなるものでもない。
愉しい1年だった。
悲惨な結末を期待して、すべて面倒なことを俺のせいにして、悲劇が起こることを裏腹に想像していた周囲の連中は、残念なことだったが、腹筋に穴を開けて腸の切れ端をそこから取り出して、生き残って退院した時とおなじで、残念だったな、阿修羅・夜叉は善良なる庶民のフリをするミジンコの群れなど木っ端微塵にして、暴れ大笑いして行くものだ。
わが子はたくさん育てて来ている。
その友達・幼馴染らも、たくさん一緒に育てて遊んで来ている。
高齢者の相手をすることは、それとは違って未来を夢見るということが、無い。
いつ逝っても当たり前。
昨日や明日よりも、いまの笑顔を見る、それしかない。
なんでも利得計算で生きてる現代社会では、親や爺婆の相手ほど、無意味に思えることはない。
その思考や感情の動きすら、古臭い価値観のまんまで生きている高齢者に、諭すことも最早できないだろう。
ただ元気で笑っていてくれる、それが最高の贈り物だろう。
だから俺は爺様婆様の日々の生活の形が出来ても、毎日のように話をしに立ち寄って、愉快に一緒にご飯を食べたり、出掛けたり、続けてる。
新しい生活を築いてやって、それで終わりという訳にはいかない。
子育てを金を出して他人にやらせ、高齢者の介護も、金を出して他人にやらせてる現代では、徒労にも見える無駄なことだろうが、それが俺の笑いにも繋がっている以上は、ずっと続けて行く。
わが子はみな大自然の中でたくさん一緒に遊んでやることで育て、高齢者もおなじように笑わせて 楽しかった と本音で言わせてやる。
資本主義社会では、ナニも生まれないし利益もないことだが、それが出来るようにと日々の自営でその原資を作って行ってる。
キチンと、丁寧に、それをやってる者同士は、その笑顔で解り合える。
そういう愉快な付き合いも増えて行ってる。
皆さん、孤立した状態でも、キチンと筋道を作って、強く生きている。
メディアでは、決して取り上げられない連中の、愉快な付き合いだがな。
体力も、資力も、その為にしっかりと身に付けて生きている。
自己責任とは、関わる者らの責任も、背負って生きて行くことを言う。
85歳で大腸がんになり、手術のあげくにオストメイトになったという老人がいるが、この頃は腹のパウチが剥がれたり漏れたりが続いて、本人や近親者がみな困り果てていると聞いた。
俺の腹の袋を見せてやり、使っている小道具を見せてやり、パウチ(小袋)の交換のやり方も教えてやった。
原因は幾つかあるが、そのすべての解決法も教えておいた。
激しいセックスをあれやこれや何時間も続けても、4日で交換、それが普通に出来る俺の話は、大爆笑になっておった。
老いて来るとナニをするにしても、メンドクサクなる。
目も見えづらくなり、余計にメンドクサクなる。
オストメイトとは、簡単に言えば腹筋に穴を開けて、そこから腸の端を出し、そこにパウチという袋を貼り付けて、排便を処理する身体になった者のことを言う。
俺は6年前に腸が破裂して死にかかり、オストメイトになってる。
激し過ぎる人生で、身体はボロボロになっている。
そのひずみが腸に出てしまったとも言える。
腹膜炎を起こし、すぐに手術も出来ず、水すら飲めない個室で1週間、手術は上手くいってもあちこちの臓器に癒着した腸を剥がしたり切ったり、身体に酷い障害が残る可能性が高いと言われたが、手術しなければ死んでしまうという、せつない選択を前にして、もう、充分に生きたな~と、笑っておったもんだ。
退院後の半年間の、まさに経験したことの無い生き地獄を乗り越えて、今では以前よりも強くなった身体を堪能している。
腹に貼り付けるパウチにはイロイロあって、腹の形や柔らかさ、その日常の行動に合わせたモノを自分で探し出して使用しなければならず、老いたオストメイトにはとてもメンドクサイことだ。
まわりの身内の者らも医者や看護師の言うがまんま、振り回されているケースがほとんどだ。
これでは新型コロナとおなじで、解決のつかない金儲けのネタになるのが関の山。
馬鹿と阿呆の、吹き溜まりには、お似合いの事件・事故は無くならない。
残念なことだが、大笑いだ。
去年も今年も、当社は夏には売り上げにブレーキをかけている。
すでに今年も来年のことを考えて蠢き始めている。
オツムは生きてるうちに使うモノで、身体も生きてるうちにしか、使えないのさ。