オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

おい、もっと愉しく生きて行こう

2018-09-21 10:50:21 | 身体障害者

 

 30年近く、銀座の端っこで周旋屋を続けて来てると、地元の子供ら、とくに悪さをする利口な連中は、ずっと仲良くしてやってるから、親には言えないいろんなことを、話しにやってくる子も多い。

 成人してる子らもいる。

 それはそれで良い。

 エエ大人になって、親にもなって、爺婆にもなって、そんだけの日常しか送れてない奴らのことはどうでも良い。

 ・・・お前はどうしたいんだ? 産まれる時と死ぬ時は、みな独りなんだぜ

 大人のせいにして、社会のせいにして、今という大事な時から逃げる口実にするようじゃ~、自分から逃げてばかりじゃ~、おなじ醜い大人になって終わりだぜ、つまんね~野郎だな

 後悔ばかり、人のせいにしてばかり、運が悪いとか、ついてないとか、不幸だと決めつけて悪さ続けるのか?

 それこそ地獄で閻魔と喧嘩でもしないのか?

 俺は自分の子供らには、腹違いも含めてみな・・・みみっち~幸せよりも、地獄で閻魔と睨めっこだ! そう言い放って育てて来た。

 俺自身、そういう生き方を続けて、他人の何倍もの波乱の生を生きて来た。

 親や爺婆は切れない縁、ならば考えても仕方ない、ひとっ飛びして超えてやって、あとで迎えに来てやるさ。

 現に親の借金・負債まで、俺は完済してやってる。

 幼稚園の七夕の短冊に・・・ぼくは大きくなったら地獄に行って、パパと一緒に閻魔と戦うんだ!・・・と書いた息子もいるくらいで、そういう愉しい教育ばかりしてきてる。

 先生も校長も警察官も、総理大臣や天皇だって、いろいろだ。

 ロクでもない大人は多いから、あんまり信用するな。

 大事なのはお前がどう生きるかだ。

 世の中社会なんて、人類が誕生して以降、たいして進歩なんてしてはいない。

 そこでどう愉しく、後悔なく生きて行くのか? それをガキの頃から考える癖をつけさせる。

 優しくはないし、贅沢もさせないし、とっとと独りで自立しなければ、放り出すぞ、そんな感じだ。

 そう言い放っている以上、俺はもっと激しく今を生きて居る。

 面白いことに、子供らはみな男女ともどもスポーツではキャプテンになり、都大会に出て暴れて、生徒会長になってたり、すぐに次の生を生き始めてる。

 夜の蝶になって資本主義社会を逆手にとってるのやら、旧帝国大学の大学院まで行こうとしてるのやら、俺の生が多彩なぶん、みなオモシロイ生を生きて居る。

 片親の子が多くなり始めた20年くらい前から、なるべく父親の代わりになってやれるようにと一緒に遊んでやったりしても来てるが、だいたい母親だけだと間抜けなカラス、そこでカラスを飛び越えて、後で笑って迎えに来てやれるような、そんな生き方を教えてはやってきた。

 親や爺婆や社会のせいにして、一度しかない生の時間を無駄にすることほど無意味なことはない。

 これから高齢化社会はどんどん痴呆化して進んで行く。

 いまの子供らや若い人たちには、それを教えてやるのも、俺の仕事だと想っている。

 

 当社はいつの時代でも、世の中社会の流れには影響を受けない周旋屋でやってきてる。

 良い時代・バブルの時代はプラスアルファ―が凄くなって、ひとりで何十億もの売り上げを上げて来てる。

 その分、扶養家族がいつも増えて行ってるようなことで、俺の手元にはいつもたいしてゼニカネは無い。

 新しい社員を育てるよりも、新しい我が子を育てる、会社を大きくするよりも、血の繋がりを増やし、身内と呼べる人々を増やして行く、これが俺の生き方だ。

 俺に蓄えはいらず、ゼニカネでは動かず、みなに散財することがオスの務めだと想ってる。

 腹違いの子供らと一緒に遊ぶのは感無量な想いになる。

 オモシロイ、俺の育てた子供らはみな可愛く、オモシロイ。

 その友達連中でも、片親や親と死別した子らも一緒に遊んでやってる連中はみなオモシロイ。

 俺が後悔しない生を激しく生きて来たのと同じくらいに、オモシロイ。

 母たちの愛情とはまったく違う獣のオスの想いが俺にはあるから、これは誰にも解らないだろうと想ってる。

 俺の年代では離婚すら罪悪、そんな時代だった。

 若い頃は四面楚歌、酷い男、犯罪者のような扱いを受けることも多かったが、それを貫き通すことで今の信用がある訳で、独りになっても自分を曲げなかったことが、すべてだったとも言える。

 子育てでも、俺は後悔しないようにと、山や海で一緒に遊べるだけ遊んで来てる。

 仕事も休んで、学校も休ませて、いつも一緒に遊び呆けて大笑いしておった。

 その友達らも巻き込んで、たくさん思い出を作ってやってきた。

 もの凄い思い出の量になるだろう。

 それいがいに、なんか生きてる意味でもあんのか?

 俺はガキの頃からその本質を手に掴んで、これだけは離さずに生きて来た。

 ご褒美は、この無茶苦茶に大量になってる人間関係だろう。

 そうして還暦を迎えて、独りで山の頂からいつも日本の景色を笑って見渡してる。

 これ以上の幸せは、ないだろうな。



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