日銀が 歴史的な! 金融政策を決めたらしい。
その直後から円安は進んで対ドル150円台に突入したが、買われないのね。
内容を見ると、インチキ株式購入は状況を見ながら段階的に止めて行く、マイナス金利は止めにしようと思うが、だからといってドンと上げることもない、ナンじゃらほい。
どの部分が歴史的なのか? 説明がないが、これから発表になるアメリカFRBの金融政策の方に世界の目は向いているから、BBCはじめ海外のメディアは、日銀の金融政策発表よりも自民党和歌山や埼玉での乱痴気エロ騒ぎの方がニュースになっておった。
在日英国大使館も在日米国大使館も、我が国の日銀と財務省はすでに手下になっておるから、あんまり興味もないらしい。
思考の元になる知識や情報を、自分の力で常に手に入れ自分の言葉に変換することをしない日本人は、最初からボ~っと見ているメディアの洗脳奴隷となることを素直に受け入れて生きている。
感情とは、知識や情報や経験から発するあやふやな空気のような説明のつかない霊的なものだが、義務教育で知識を統一され、メディアで情報を統一され、餌貰いの社会という高い塀で閉じ込められた養豚場に放り込まれると、日本人は感情まで人工的に統一されて同胞感に群れてブ~ブ~喜んでいる。
生理現象のある、出来の悪いAIロボットみたいなもんだ。
隣国と陸続きになっていない孤立した島国の立地を、管理して統治するのは容易い。
これを江戸時代の鎖国政策で進めたのは徳川だということになっているが、すでに裏では英国を中心にした欧州の奴隷植民地開拓の輩が操りを始めていた。
奴隷植民地政策の飴と鞭の飴になっていたキリスト教のイエズス会は、その前から島国に根を張り始めていた。
ギリシャの時代から政略に使われていたマニュアル通り、新しい文化や芸能、麻薬に酒、奴隷を管理統治する三種の神器がまずは日本人の社会に浸透して行き、あとは流行り病に集団で感染させれば孤立した島国は簡単に玩具になった。
長く続いた江戸時代の棟梁を勤めた徳川の代々の将軍は、血の繋がりなど実際は無かっただろう。
我欲の権力欲に邁進するボス猿を調教して据えておけば、こと足りた。
いまの日本を見ていても同じことで、米・英に留学させて洗脳教育な儀式を済ませた者が、三権の管理者として据えられている。
民間の大企業にしたってその経営陣は同じことだ。
もっと自立した自営業のツワモノを増やさなければダメだと俺が言って来てる根っこには、そんな色付けされて朽ちて来ている養豚場の酸鼻な景色が、現存する。
いつまでも、どこまでも、そんな情けのない植民地国家で、この国は良いのか? そんな問い掛けは俺がガキの時分に捨ててしまったものだ。
養豚場で朝から深夜までブ~ブ~言わされてヨダレを垂らして消費と労働に明け暮れている連中には、聞く耳よりも餌を探し歩く行動が先になっているのさ。
自分自身の生を自由自在に謳歌するには? その答えは今の俺の日常だろう。
血の繋がりはただの系譜でしかなくなっており、血の繋がりはなくともその生き様が似通った者が自然に集まっていて、笑っている。
その日常はそれぞれに自立して別行動をしているが、たまに会えばその笑い一つで激しい戦いをこなしていることが解り合える。
民衆の側から国家を変えて行くのならば、まずは自分から生き様を貫き通す。
八百万の神々が共存する島国に、取り戻さなければいけない。
掛け声ばかり、群れて反旗を翻すことではナニも変わらない。
まず自分自身が生きて見せて、大笑いしてやることしか方策はないと、俺はガキの時分にはすでに勘づいておったことだな。
こんな生を65年も経て来ると、通りすぎてきた景色の中では、嘘をつき他人を欺き、嘘に騙されたまんま他人を欺き、不健康な我欲に囚われて他人や社会を食い物にして生きた者のほとんどが、生きて地獄に落ち、孤独に狂い果てる、閻魔にのたうちまわる、そんなことになっているのは笑える始末だろう。
奇跡は俺の身に起きて、見飽きた無限地獄は彼方・其の方にある。
慌てて生きる必要もなく、のんびりマイペースで生きて来たことが幸いしている。
地球温暖化は、人々が低い低地に群れて暮らしている現状では、すべて大嘘。
ほんとうに地球が温暖化していれば獣らもすべて住居を高地へと移動し始めている。
俺は20~30年も前から言ってるが、そんな簡単な判断も出来ない現代人のオツムは、腐り果てているということだ。
新型コロナやワクチンにしても同じ原理で皆さんは引っ掛かってしまっていた。
花粉症にしても、これは黄砂とスモッグが根本にあり、感染症やアレルギーのせいにしているのは、その業界の金儲けでしかなく、中国やインドの経済成長の勢いから生じている汚染物質が、偏西風に乗ってやってきてるのと、この国自体の抱えてる環境問題が原因にあるが、すべて花粉のせいにして誤魔化している。
コロナでも解っただろうが、宗教とおなじで目に見えないモノに騙されてしまう猿の衆は原住民の頃の土人のまんま、現代でも生きて居るということさ。
そもそも毎週のように山に登っている俺なんざ、山ではナニも変化は無いのに銀座に居る時だけ鼻水や目が痒くなる訳で、これは何十年も前からのこと、おかしいだろう。
放射能もしかり、民話や昔話の地の怖ろしい場所にも登り歩いている俺なんざ、バチが当たったことなど一度も無い。
逆に嬉しい奇跡は、両の手にも余るくらいに頂いておるがな。
ま~、俺はガキの頃から逆療法で、とっとと痛い目に遭って免疫を獲得することで生きて居る獣だから、別に大騒ぎにもならない。
こうやって山や海で遊び惚けて生きていると、現代社会の嘘はすべて実地で解る。
お彼岸だと今年90になる婆さんが言うから、では合同墓の大供養会に連れて行ってやると笑っている。
じい様が93歳で大往生して一年チョイ経つが、俺がなんでも決めるから、毎年命日には合同法要をやってやろうと笑っている。
一緒に其処に入り、じきに地球に散骨してもらう仲間たちも増えているが、葬式や埋葬の仕方も意味も、俺が先頭きって大変革をしてやった。
だからと言って供養は徒党を組んでやるものではなく、個々で日常に顔を出しては故人を慕うことだと、決めている。
いつも賑やかな外国人や日本人の観光客がお参りに来ている古い大寺院は、地球に還る場所にはエエとこや。
日々のすべての習慣を、俺がガキの頃から疑問に思っていたことを基本にして今風にすべてを変えて来たが、これを日常とする為に3日に一度は散歩に出掛けてる。
人間の生死は底抜けに明るいものでなければならず、あらゆる束縛から解放されて地球に還ることを没と呼ぶ。