オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

無視された岩野泡鳴に赤松小三郎

2024-10-09 11:38:24 | 神々の話

 

  

 遠方に出掛けて戻ると、90歳になった婆様のところに娘が飼い犬二匹連れてお祝いに来るというので、夜を一緒に過ごして居った。

 婆様も俺も戌年生まれでO型の天秤座だから、犬や猫や他の獣は子供の頃から色々と飼って共に転居を繰り返して暮らしていたから、どんな獣でもすぐに懐いて来る。

 毎週の山歩きでも、熊公や大猪や大猿や鹿に出くわしても、別に驚きもせずに淡々と気を送り睨みを利かせるだけで、みな道を開けてくれる。

 メディアのマニュアルなんざ嘘ばかり、あんなの真に受けて信じてたら山には入れない。

 そもそも大型(O型)の犬は後光がさして、獣の中でも一目置かれる存在なんだろうと笑って居る。

 先日、銀座の老舗のイタリアンにこの婆様を連れて二人でランチに出掛けたが、食事中に顔を見せて頂いた80歳前のオーナーシェフもビックリ驚くくらいに元気で、100歳でも普通に自炊して生きてそうな勢いだ。

 来月は89歳になる婆様がいるから一緒に愉しい食事をと考えている。

 なんとか寿だとかは関係なく、なん周忌とかも関係なく、盆も正月も興味なく、いつもの日常に常に関わり合っていることが一番に大事だと生きて居る。

 無意味な血が繋がっているだとかの関わり合いなんざ、俺には関係のない話になる。

 葬式や結婚式やナントカ式という集まりは、俺には猿芝居にしか見えなくなってる。

 その日常で関わり合いの無い者は、すでにアカの他人、そういう扱いで生きて居る。

 皆さんは、なんか甘ったれた勘違いで生きているのと違うのか?? 

 もういつ逝っても後悔なく生きて笑って満足だとは思っているが、この婆様を送ってやるまではメンドウだが俺も元気で居なければいけいない。

 

 破滅的な生き方には二種類あると思っているが、戦後の作家で言えば太宰治や萩原朔太郎や中原中也など多くは独りで自滅してゆく型、今東光や谷崎潤一郎や坂口安吾なんかは他者を道連れにして腐った果実を破壊してゆく型、明治時代の群を抜く作家は岩野泡鳴だと俺は想っているが、その日常の生き方でまわりを巻き込んで破天荒な嵐を呼ぶような、そんな生き様を晒して貫いた者こそ、俺から見れば偉人・賢人という扱いになってる。

 口先だけ、その時だけ、恰好だけ、動画や画像の中だけ、こういう薄っぺらい猿には興味がまるでない。

 明治維新の憂国の士、赤松小三郎なんて天才も明治の時代に封印・無視された偉人のひとりではあるが、岩野泡鳴なんかは明治の時代には狂人扱いだったろう。

 その時代に、樺太で缶詰事業を始めようと考えた芸術家なんざ、他にはおらんがな。

 日常を生きて作品を描く、ほんらい芸術で生きる者はそうでなければ嘘ばかりになる。

 詩人とは、言葉のお遊びをする者ではなくって、生きて貫いて見せる者のことを言う。

 気に要らない奴がおれば一緒に地獄に連れて行き、そこで腹を割って話そうか? こういう生き様を貫いていると、微々たる小悪人なんざ近づいてはこなくなる。

 相手にもならない。

 悪ぶってる小賢しい善人くらいが勘違いして近づいては来る。

 お父様お母様の元にお帰りなさい!

 家の着飾った間抜けな墓の前でサメザメと泣きなさい!

 道徳や倫理に縋りついて、神や仏に手を合わせ祈りなさい!

 後悔ばかりしている馬鹿タレどもには解らないだろうが、俺には後悔というモノは無縁だ。

 古い寺に詣でれば手をあげて おう! 古い神社に行けば手をあげて よお! 高い山の頂に建つ朽ちた祠をそっと撫でて さあ神々の話でもしようか! と生きて居る。

 それが冗談や酔狂ではなくって、俺の普通の生活になっている。

 

 俺はアチコチで女を愛して子供はこの手で育て上げて来てるが、子供は10歳くらいまでは徹底的に一緒に遊んで実地に背中で見せてやって過ごすようにするが、それ以降はこの腐り果てた猿の島国では自分のオツムと身体で生きて行くしかない。

 そこまで手を貸してしまえば、ロクな大人には育たない。

 上手く行かなかったり、諦めてしまったり、放り投げるような獣ならば、そこまでの命だったと感傷・感情なんざ動かない。

 エエ歳こいて父親や母親から離れずにくっついている社会人なんざ、薄気味悪いだけ。

 俺も3年前までは勝手気儘に生きて居た両親と遠く離れて関わり薄く暮らしていたが、現実的な諸問題を詳細に見て、無理だと判断して一気に動いて傍に呼び寄せ、再会を果たして今がある。

 山の熊は、そうやって今生の別れを森の中でいつもやっているさ。

 人間だけだろう、家だの家族だの墓だの名誉だのと甘ったれて気持ちの悪い慣習を頑なに守っている。

 ちんまり身勝手な守銭奴ほど、そんなものに凝り固まって、メディアで持て囃されている。

 反吐が出る、酸鼻な景色ではある。

 そういう本音で生きてはいるが、爺ィになっても俺は変わったことでも言っているのか。

 

  いまの日本の社会を眺めていると、組織や集団、チームや仲間の中に絶対的な強い個性のリーダーが存在しなくなっていることが解る。

 個々の人間的な魅力なんざ不要となっている。

 時間を守り、与えられた仕事や指示を忠実にこなす者が優遇される。

 AIロボットの方が生理現象が起きないぶん優秀だろうが、AIロボットには出来ない雑用が多くなるのもそんな流れだからだ。

 強い個性と余裕のある広い視野を兼ね備えた者は、すでに群れからは離れてしまっているのが本当のことだろう。

 商売で言えば、自営を長く淡々と続けて居る。

 群れの中のリーダーなんざ、要らない情報過多な現代社会では、ナニもしない安穏としたお地蔵さんでなければ通用しない。

 個々の魅力を不要なモノとして扱う価値観は、幼児教育から洗脳されている。

 その狂い果てた頭デッカチで勘違いの時代が行き詰まるのは、金融経済からだろう。

 金さえ持てばナンでも出来る、そんな猿の衆は老いてロクでもない取り巻きに唆されて哀れな孤独に狂い果てる。

 手前勝手な楽を求めて、卑怯で逃避ばかり考えてる愚かな猿の衆のリーダーになんかなりたいと思う者はおらんだろう。

 キレイゴトでそこに居るとすれば打算と演技と嘘で誤魔化してる守銭奴くらいだろう。

 誰かがしてくれる、なんとかなる、甘ったれた時代が続くと豚舎の豚はブ~ブ~ブ~。

 銀座の周旋屋のところに集まる魅力的な老若男女は、自立してる人たちがほとんどだ。

 群れには入らず、メディア報道からも距離を置いて、自分の地頭でモノを判断できる。

 成金・守銭奴、組織や肩書、怪しい青二才らには近づかないし、必要ともしない。

 毎日を淡々と他人や社会との関わり合いで過ごし、それも両手の届く範囲以上には拡げないし、嘘やキレイゴトには付き合わない。

 見栄や虚飾を必要としない、外観を習慣や風潮で着飾らない、それは本当の人間としての自信を身につけてしまってるからだ。

 俺はそれで良いと思ってるし、もっと強い自営がどんどん出て来ればエエのんさ。

 住宅ローンも含めて借金・負債持ちや、家や風習に捉われている者や、パトロン・スポンサー付きじゃ~、駄目だけんどもな。

 メディアの情報しか話題の無い大人なんて、愚の骨頂、相手にはしない。

 どんどん社会は分類が進んで行っているが、無派閥・無干渉・自立無借金な自由人の範疇は、暗黙裡に繋がっているだけ。

 いろんな立場の人たちはいるが、二面性を確固として決して本音は口にしない。

 俺はさ、不器用だからそのまんまで生きて居るが、愉快な連中は多いんだよ。

 

 石破新総理は、過去のキレイゴトばかりの総理とは違って、敗戦後に初めて日米安保について改正をはっきりと広言している。

 これは凄いことではあるし、日本国憲法よりも上に位置する日米安保を改正すると言えば暗殺までされてきた島国では、初めて自立に向かう行動ではある。

 ただし、言うだけで出来るかどうかは別の話だし、言うだけで暗殺されて来た歴史を紐解けば、米・英の覇権の力の衰退加減が解ろうと言うモノさ。

 与・野党に浸透している旧統一教会や米・英大使館の圧力指図はまだまだ大きく、すぐに足を引っ張り始める猿の衆が政界には腐り切って溢れており、国会議事堂はクサイんだよ。

 二代目三代目ともなると、その放つ体臭も近親相姦的で、山の獣も近づかない。

 こういう話が公に出来るということは、世界の構図が大きく変わってきている証拠ではある。

 



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