こういうタイプの典型的なO型人間で生きて来ると、昔から上からも下からも人が集まってきて、喧しいことこの上ない半世紀を生きておった。
自営の周旋屋を始めて、それら全部を放り投げたまんま、こちらからは連絡を取らなくなった。
もう人間の形だけの付き合いなんか要らないし、興味もない。
来るものは相変わらず善悪老若男女拒まずだったが、10年くらいすると随分と静かになったもんだ。
それからまた10年もすると、完全にマイペースの周旋屋が完成した。
定休日はお天気しだい、悪天候だと仕事して、山や海の気象が最高ともなると定休日となっておった。
ところが定休日までも定めないで営業をやるというのはなかなかにお客様に迷惑をかけることとなるので、さすがに今では日曜日は完全定休と銘打って営業をやるようにしている。
それでもあとの日についてはまだまだ身勝手な状態ではある。
人間付き合いは大事、目上の者には常に気を使って、下の者にも気を使って・・・という、戦後の日本の中元・歳暮ゴッコはすでに相当に絞り込んでやっている。
周旋屋は芸能人ではなく、人気商売でもない訳で、別に他人にどう思われようともナニも困らない。
いまだにね、仕事は寝る間もなく活発に働いて、休暇はゴルフや観劇にお食事会・・・これは俺の親父が銀行屋だった半世紀前の退屈な生活だったが、それを喜んでやってる連中ばかりが銀座にも多い。
17の頃、親父のライオンズクラブの定例会のゴルフ会に連れられて行かれ、いきなり初コースで90幾つで回ったことがあるが、それ以来、ゴルフ自体にも俺は興味もない。
その時に日本人の偉そうにやってることはただの猿真似だと、思ったよ。
親父を含めて、みな猿に見えた。
その後、その親父の借金まで完済させられて、やっぱり猿だったんだと再確認したもんだ。
こんだけ山や海に囲まれて暮らしておるのに、なんで山に登ったり海で泳いだりしないの? そう想った。
その後のバブルを幾つも過ごして来てるが、やっぱり猿ばかりが仰山ど阿呆音頭で踊り始めるのよ。
寂しいもんだ。
日本人の退化、衰退、猿の中でもどんどん愚かな猿に成り下がっている。
そんな猿ばかりの人間社会で生きて居ると、どんどんメンドクサイことばかり増えて行く。
・・・まだまだ、これからだよ、そうやって生きて居るとメンドクサイことも気にならなくなるさ
80歳を超えた地上げの歴戦の勇者が、笑って言っておった。
そうか、まだまだか・・・。
昨日は後輩の50路オヤジがやってきておって、黒田日銀の続ける紙幣印刷ゴッコで、薄気味悪い日本人ばかりが金と力を手にしているが、あ奴らは本当に日本人なのか? という話が、大笑いしながらの余興話になっておった。
周旋屋の情報網は果てしの無い面白さがあるから、なるほどなるほどと頷くことは多い。
しかも政治だけだとか、経済だけだとか、細分化・専門化されておらず、エロ話まで含めた人類全般の話になるのが常だから、現代の下手な大本山の禅師なんかよりもはるかに愉しめる。
そう、この頃は寺の坊主にもロクなのはおらんな。
俺が17の頃に修業に入っておった臨済宗大本山の禅僧は、オモシロイおっさんだった。
もう、今じゃ~黄泉の国さ。
簡易裁判というものも何度も原告としてやってきてるが、小法廷で機械的に流れて行く簡易な裁判、これは面白くもなんともない機械的なものだ。
だいたいが金融の滞納のトラブル、原告だけで被告の姿は無い。
聞いていると原告はTVCMでもお馴染みの大手金融会社が多い。
やってきてる原告の社員は胡散臭そうな中年サラリーマン、淡々と進んで行く。
俺が火曜日に出た法廷でも、被告は姿を見せず、和解を申請してきておった。
和解するくらいなら最初から支払うものを支払っておけや! そういうことだが、裁判官は穏便に済ませたい。
機械的に進める判決の途中で、その流れを乱して暴れるようなことも、今回はしなかった。
人の血の通ってない裁判、これらもいずれ人工知能にとって代わられることだろう。
それよりも簡易裁判所の駐車場で、障害者手帳を見せてるにも関わらず待機を命じられたことに腹が立って、
・・・おめ~らも一緒についでに訴えてやるぞ!!
先に来ておった原告の夫婦が、中から笑って見て居った。
身内の裁判所の職員を訴えるのって、素早く対応するものなのかどうか・・・。
自分で不動産を買って登記するときは司法書士など使わずに自分でする、会社登記も行政書士など使わずに自分でする、裁判すら弁護士は雇わずに自分でやっている。
俺が片手間に出来る仕事だから、人工知能にいずれとって代わられるんだろうよ。
肩書きや職種で偉そうに儲けて居った時代は、とうの昔に終わってるさ。