オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

戦乱期の石仏や道祖神に今を観る

2020-05-26 19:33:29 | 地球と生きる

 

 戦乱の時代を終えて、天下泰平の江戸時代を迎え、わが国には新しい文化や芸術の勃興が盛んになってるが、これは民の統治の新しい形、そんな意味で世の中社会に共通の楽しい価値観を持たせて、安穏と過ごさせて徴税を粛々と行う、そんな官僚制度の確立ではあった。

 新しい風習や習慣、宗教的な儀式や祭りごともたくさん作られて、奴隷統治が戦乱による殺し合いから、共同生活のルール作りへと変化していった足跡が垣間見れる。

 山を歩いていても、江戸期以降の道祖神や石仏は多く、神や仏も多種多様、これは現実に生きる人間が神になれなかった証でもあり、強く生きた八百万の神々の国の衰退、そういう道筋を見るようで、興味深い。

 コロナ騒動での、任意の自粛を民の側で強制とし、窮屈な日々に自ら進んで入っていってる現代人を見るようで、笑えはするがそれ以上の想いも湧いてはこない。

 ナニナニ宗、ナニナニ教、ナニナニ観音、ナニナニ菩薩、法典や経典も多く取り入れて、もっともらしい学問も始まって、つまりは戦乱後の統治を静かに進めるための方策だったろう。

 

 俺はすでにそんな江戸期以降の文化や芸術には嘘臭さしか感じることはなくなっておって、習慣や風習、宗教的な儀礼も、笑い飛ばして終わり、そんな心持ちで生きている。

 61年、世の中の常識や良識といった価値観を飛び越えて生きてくると、そうなる。

 在りもしない霊魂やお化けや、在りもしないあの世や恨み辛み、心的光景を豊かにしたのは他でもない統治する側の策略でしかなく、そんなものにコロッと洗脳されて、語り継いできた民話を読むと、哀れ、ではある。

 もっと原始的な、人間が生きるということ、もっと根本の人類はどう生きようとしたのか、江戸期のメクラマシ氾濫時代で失われてしまったわが国の、本来の日本人の生き方にだけ興味は深くなってきてる。

 

 人は、人間関係やその日常で揉まれに揉まれて生きてくると、その持つ価値観を何度も自分で壊して作り変えることをしてこなければ、生き貫くことは出来ない。

 その持つ価値観が飛びぬけて、常人とは違ったモノになってる大人こそ、本当の意味での大人と言う。

 そうでない、ありきたりの古臭い価値観だけで、相変わらず生きて暮らしてる大人たちは、視野も狭く、経験も浅く、騙されるにはちょうど良い塩梅の平穏長寿だけを願い、統治する側に言われるがまんま、年貢を納め続ける暮らしで満足してしまってる。

 その不平不満は、祭りごとや風習や先祖やあの世を信じることで帳消しになってる。

 人類古来からの、民の統治だ。

 

 俺は17の頃には、大人たちの社会の価値観からすでに大きく外れて生きており、大本山の禅寺で修行を始めてみたりもしておったが、すべてが阿呆臭くなり、もっともっと人間社会で誰よりもグチャグチャに揉まれて生きてみたいと、そんなことばかり考えていたもんだ。

 その通り、61年、生きて来た。

 

 諏訪の山々や、佐久の南の山々には、不思議な容姿の石仏がたくさん残っている。

 そういう山々を歩くときには、高山植物が好きな山馬鹿オバサンたちとおなじように、目を凝らして歩いてる。

 厳格な、高貴で温和な、よく見るありきたりの観音様や仏の顔は政治の匂いがプンプンするが、そうではなく自由奔放で、愉快な顔の、愉快な姿の石仏が多く見られるので、自然と笑いが込み上げてきて、写真に残してみたりする。

 アイヌの文化なのか、南方の暑い国の文化なのか、インカが古いと言っても、わが国だって負けてないくらいに古い歴史を刻んでいるが、この頃の学者や専門家と称する連中はネットでポン! 情報収集を自分の足で歩いてする者がいなくなって、つまらない歴史ばかりを語り継いでいる。

 諏訪湖を源流とする川は天竜川。

 流れ流れて、遠く太平洋へと、伊那谷を掘って、静岡は浜松まで続いている。

 黒潮に乗って辿り着いた南国の人たちが、川を遡って諏訪にやってきたのか?

 北米プレートに乗った北海道から、列島を南下してアイヌ人がやってきたのか? 

 いろいろと、想像は拡がってくる。

 東北地方の山の民は、遥か熊野の山まで、平地に降りず、山伝いに詣でておった歴史もある。

 昔の人間は、スケールがでかい。

 それだけ体力や精力も豊かだったということだし、その旅の途上に、一宿一飯を頼った家で、その家の女房や娘と一夜の恋に落ち、種をおとして去っていった歴史も、そうとうに古くから日本中にある。

 一族だけで暮らす山の民は、同族結婚が多くなり、健康な子孫繁栄が行き詰まっておったから、そういった後腐れの心配のない旅人は、逆に歓迎され、亭主も喜んで女房や娘を夜伽に差し出していた、そんな歴史もある。

 夜伽に入る女房や娘たちも、秘かに胸をときめかしていたから、悲話になりようがなかった。

 東京に近い谷あいの街道の村では、そんな話は普通の話でもあった。

 それをしなければ一族は絶えてしまう、そんな大事な話だったのだ。

 血を繋ぐ、これは植物でも動物でも、生まれた以上は負う、宿命でもある。

 現代社会の性教育なんて、嘘とキレイごとの集大成みたいなもんだ。

 そういう島国の日本の歴史を、キチンと語り継いでいかなければいけないし、性やセックスのもっと根本の意味を理解しなければ、その行為のエクスタシーたって、たかだか知れてしまうことだろう。

 もっともっと凄まじいパワーで、それを謳歌しなければ、生き残ることは出来ないし、強い子孫は残らない、貧弱で退屈な現代人には解らないだろうな。

 ただ俺は、現代社会でも、それを続けて来た。

 義務のように、ただセックスをする、そんな現代人から見れば、猛獣でしかないのだろうが・・・。

 

 さ、コロナで支援、コロナで援助、コロナで救済な世の中社会でも、ナニもなく、ナニにも拠らず、こうやって笑って生きて行けることに感謝だけして、自分を神として祭ってる神棚に手を合わせ、今日も頑張るべよ。

 

 この国の現代の民は、コロナごときで集団自粛して、経済再開でも、元通りの生活には戻れないだろう。

 自らを解放しないものは、自らを苦しめる茨の道へと、自らで進んで行く、そう、群れた集団の形で・・・。

 高い山の稜線を、雁が群れて腹をすりそうに飛び越えてゆく、何千キロもひたすらに飛ぶ、渡り鳥のようでもある。



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