下界がドピーカンで気温が上がりすぎると、高き分水の嶺はガスのなか。
高気圧がグッと押し出してきておったから、福島を故郷とする老人が逝き、その供養にと軽い睡眠をとって福島の名山に登ってきた。
深夜に出発したときは、宇都宮を過ぎても大雨の影響で東北道は濡れておったが、那須を過ぎたあたりから快晴の予感がしておった。
登山口までの片道の運転はゆっくり走って4時間以上か・・・コロナ自粛で空いてる高速は心地良い。
安達太良SAで休憩して、二本松で降り、のろのろと山に登って行った。
福島を故郷とする老人は、俺の背に乗っておったろう。
・・・ガスが湧くかも知れんな・・・
ミネズオウ、イワカガミがたくさん咲いておった。
ツツジも中盤から咲いておった。
シャクナゲはピンクの花を咲かせてる一株だけで、まだまだ薄汚れた雪渓が残って居ったから、これからだ。
案の上、ガスが湧き上がってきて、視界はなくなったり、抜けて青空が見えてみたり、忙しいこっちゃだった。
降りる頃、下界はドピーカンだろうに、いつもの逆の景色になってた。
心地いい風のなか、たいして大汗もかかずに、息も乱れずに、登頂した。
急登らしい急登もなく、よく整備された人気の道は片道4時間の運転をこなした身体には、優しかった。
タタラという名のつく山は、硫黄や鉄や鉱物が採取され、大昔からドンドコドンドコと溶解場があった山々に多く、その夜も通した生業をしておった職人には、溶炉の高温の火加減を片目で覗く習慣のせいで、その片目を潰してしまう者が多かった。
一つ目の怪談や民話は、世界中の鉱山の山にある。
それが由縁でもある。
・・・幽界のようになったな~・・・
背に乗っている老人に笑って話しかけてやったが、無言で泣いているようでもあった。
・・・故郷の高い山から、天国へ行くのが嬉しいか?
黙って頷いているようでもあった。
乳首岩の上から視界の開けた火口を眺め渡して、別れを告げてきた。
山の神に挨拶をして、あとは頼んでおいた。
古い書物によると、日本中に、山の神を祀ってる頂の数は1200あると言われているが、実際はもっと多かったろうし、山の神は女性が多く、女人禁制の山の神は、当然に嫉妬深い女の神だった。
あちこちに女や子供を抱えて居る俺に、惚れるなよ・・・大騒ぎになるで・・・笑って語りかけてやった。
風の向きとは逆に、吐く煙草の煙がフワッと流れたのを確認して、下山した。
鶯に混じって、カッコウも鳴いておったが、そろそろ小虫の多くなる季節だ。
本宮の、こんもりした森の上には安達太良神社がある。
いま登り歩いてきた安達太良山を正面に見る。
暑い真夏のような景色に、ツバメが舞っておった。
人気のない神社に参り、旧社の柱をかじってる鬼の彫刻を見て、神々の話をし、お暇した。
寝てないから、暑い日差しは帰路の運転には堪えた。
那須連山や鶏頂山から、日光の山々までよく見えておった。
明るいうちにクタクタになって戻り、すぐに布団に入った。
いつものように深夜にバイクに乗り換えて銀座の店に出た。
涼しい風が吹いていたが、仕事を少しこなしといた。
それから車で戻り、4日で交換の腹のパウチのメンテナンスをやって、カレーを喰い、寝たのは2時過ぎだった。
背が、軽くなった。
こうしてまた、どこぞで俺の背中に乗ってくる亡霊が居る。
その孤独で懐かしい話をたくさん聞いておると、頃合いを見計らってまたその故郷の山に連れ帰ってやる。
神は故郷の高い山の頂きに降り立ち、亡骸はその頂から天に還る。
俺の中でも、あんたは終わった、そういうことだ。
そう、地球の土に戻るだけのことだろう。
そんなこんなで今朝もはよから区の生活福祉から電話があり、85歳の独り暮らしの足の悪い老人の住まいの打診があったが、死に場所を探さなきゃ~いけない世の中社会では、俺のような周旋屋も必要なんだろう。
コロナ自粛騒動に明け暮れるド阿呆な連中の狂騒のなかで、それでも億円単位の契約書を作りながら、こういう仕事も後回しには出来ない。
利益もいるが、俺には古い山の書物を探して読む、そんなことの方が優先されたりもする。
自由自在、自分のしたいことをして61年生き、四面楚歌の障害はその生き方だけでなく、身体にも負っているが、笑い飛ばして行くぜよ。
チンケな人間ばかりの世界でよ~、また今週末の山のことを考えてもいる。
自分で描く天気図が、一番に役に立つ梅雨に入ってくる。