・・・良い子にしてるとサンタクロースさんがプレゼントをくれるからね! と母親は言う。
・・・そんなのいないよ! プレゼントはパパがやるんだよ! と父親が答える。
ナゾナゾでぼんやり聴いていた娘の前で、母親は父親の頬をひっぱたく、
・・・どうして? そんな嘘をつくのよ! もう!
ナニが嘘なのか解らなくなってる話だが、そんな微笑ましい光景が近所の知り合いの家族であった。
・・・ま~ま~ま~、実はオジちゃんが本当のサンタクロースなんだよ!
父親は笑い、母親は俺を睨んで もう知らない! という顔をして、先に走り出していた。
サンタクロースがやってくる・・・子供は教えられたとおりの夢を見て、親は叶えてやろうとプレゼントを買いに走る、戦後の復興期から始まった可愛い洗脳猿芝居。
英国に憧れ、米国に憧れ、山岳信仰や太陽信仰がもともとの島国では、そうやって洗脳による狂騒が始まった訳だが、俺のように今でも高い山の頂で天に両手を拡げ、太陽に頭を垂れて手を合わせてる爺ィもいる。
キリスト教の国よりもキリスト教の消費の部分だけに乗せられてる猿の国では、女・子供は落ち着かない日常となってる師走のいつもの景色、あの世やお化けなんてあるもんかい! と怒鳴って笑ってるオヤジも、いる。
終わらないプレゼントゴッコを、いつまでやってるんだろう。
金がなければ、幸せは買えないの??
そうやって大人が仕掛ける子供への無意味な洗脳、これを大人になって阿呆らしく思うなら止めれば良いことを、無意味に続けて要らぬ消費にクレジット、頭を抱えている。
メディアはそれを当たり前のことのように間抜けな報道に終始して、企業・スポンサーの応援に余念がないが、無視すれば済むことを仲間外れにはりたくないからと村社会では嫌々でも参加してしまってる。
同じように時代に合ってない義務教育や偏差値教育の行き詰まりを、どうして改革して行かないのか? は政治や行政の話になるが、司法も同罪、戦うよりも迎合して我欲に奔り、乱交している恥ずかしい大人社会だ。
ありもしないモノを在るように見せかけて、在ると仮定した三文芝居に夢中になり、在りもしないのに、挙句に在ると自ら思い込んでしまってる日常が、在る。
93歳のオヤジが亡くなって1年を迎えようとしている。
3年前には田舎の無駄に広かった古い2世帯住居で、老夫婦二人きりで暮らしていた。
それでも良いと言う本人たちの意向を優先していたが、進行もたいしてない直腸癌に怯えて認知も進み、もう好きにさせては置けないと動いて東京に住家を用意した。
古い2DKだが全室南向き、明るい住まいにしてやった。
各業界の長年の付き合いがあるプロ連中に頼んで、まずは引っ越しの準備。
二人を先に飛行機に乗せて俺が東京に連れて来て、夜景のキレイな高層ホテルに三泊させ、医者や看護士の知り合いの協力も頼んだ。
その間に東京から派遣した引っ越し廃棄のプロと一緒に田舎に戻って大量の残置物の処分廃棄をやり、売却の手筈も整え、各公共・金融機関の手続きも済ませ、引っ越し荷物の搬出、掃除。
それから東京に戻って搬入と二人の入居と、いろんなトラブルやアクシデントも起きたが即座に対応して、足りない家財も新調して、さすがに精魂尽きる動きを一気にやったもんだった。
休む間もなく田舎の山の上にある石碑のまわりに、十何代もの先祖の墓が朽ちてあるが、そこの土や苔や石を拾って壺に収め、掃除して、線香をたてて手を合わせ、
・・・俺の代で此処は記念の地と変える、迷い浮ついている先祖がいるならば、俺が一緒に連れて行く
そんな儀式を自分でやって、写真を撮って帰って来たもんだった。
家も無事に売却が済み、すべての邪魔なお荷物がなくなり、その儀式の写真に紫色の見事な光が映っているのを見て、二人は見違えるように明るくなった。
ただのカメラのイタズラ、別に意味などないが、紫色は極楽浄土の尊い色だと説明しただけさ。
それから新しい生活収支を作り直し、毎日顔を出してやってはアチコチ連れ出して、爺様の認知はほどなくキレイに治った。
最後は毎日何回も俺の手を握って、ありがとう! ありがとう! と微笑んでいた。
直腸癌に怯え、田舎の大病院や医者のマニュアル医療に振り回されて俺とおなじオストメイトになるところだったのを、そこでも俺が飛んで行っては目の前で医者を説き伏せていたのを見せてやったが、東京に来てからすぐに最先端の癌医療機関を選別して、良い医師たちにお願いして現実が見えるようになっていた。
同時期に古女房が、いきなり大腸癌ステージ4を宣告されたのも重なって、根治までの半年間は自営の仕事など出来なかった。
いろんな家の古臭い風習や習慣や厳しい親に教わった6人兄弟の長男としての自惚れと責任感やが、空回りしていたんだろう。
見えない相手と会話して、仏壇の前で先祖と会話して、夜中に徘徊、いろんな愉快なことはあったが、キレイに治ってしまっていた。
・・・あとは俺に任せておけ! なにも心配はいらん! 文句がある奴や喧嘩を売る奴がおるならぜんぶ俺が引き受けてやるよ! たいしたことではない
笑って頷いている婆さんの横で大笑いして、いつも強く握手を返してやっていた。
キチンと独り立ちしてなければ、こんなことは出来なかったことだろう。
先祖だとか家だとか、古い日本人が怯える洗脳や呪縛の仮想世界から、生きているうちに現世に無事に連れ戻した、大変に俺の寿命は縮まっただろうが、達成感はハンパなかったよ。
もうすぐ亡くなって1年が経つが、べつに仰々しい行事はしない。
そういえば、亡くなった日の夜は親父の亡骸にドライアイスを添えて冷やし、窓を開けておいたが、婆さんを落ち着かせる為に俺が亡骸の隣の部屋で寝てやった。
真冬なのに、藪蚊がブンブン、2か所も刺されたがな。
きっと俺を眠らせないように、俺と別れの握手をしたかったんだろうと思ったから、暗闇の中で冷たい手を握ってやったさ。
・・・ありがとう 俺にははっきり聴こえたから、笑って剥げた頭を撫でてやった。
大きな古い寺の合同墓には戒名もなしで、他の人たちとともに生きた本名を刻んである。
死とは、そういうことだ。
死んでまで競い合うなんて、間抜けな猿のやることだ。
この1年、俺と婆さんは三日に一度は別々に、外人観光客で賑やかな大寺院に笑いながら顔を出していた。
供養とは、そういうことだ。
他にはナニも、無い。
嫁にいってる娘がこの年末に引っ越しを決め、2匹の犬と一緒に新年早々に引っ越しするが、それも俺の古い付き合いの引っ越し屋の社長がやってくれるようだ。
旦那は社会的な信用がいまだに無いから、なんとか一人前になって欲しいもんだが、娘にも別れるのは簡単だが、地べたから共に這い上がって行けば、また違った幸せはあるぞとも言ってやってる。
俺だったら、とは考えない。
親子でも、それぞれで良い、おなじである必要も無い。
一度しかない生を、想う存分に自分で生きて行って欲しい。
俺は他の子供らに対しても平等におなじだが、社会や組織に巻き込まれて自分を見失わず、自分という獣を、完結して後悔なく生き抜いて欲しい、それだけだな。
その為にも、俺の代で面倒な慣習や在りもしないお荷物や先祖の墓は、すべて断ち切ってやりたかった。
信用は、一朝一夕では身につかない。
安易な事で失ってしまった信用は、死ぬまで取り戻せないと知るべき。
自分の終わりが来るまで、黙って生きて見せるしかない。
小説やドラマや映画のようなラストシーンは、残念ながら無いんだよ。
俺はこうやって好き放題に後悔なく生きて来て、大笑いしてる。
だから社会では、威張って偉そうに言える立場でも、無い。