先週末は関西地方の山の中に、先祖墓の掃除と草刈りと、先祖を東京に連れて来る儀式に行って来た。
儀式と言っても、俺が10何代ものみなに声を掛けて・・・付いてくる者は付いて来い!・・・毎週のように高い山の上からの絶景も見れるし、夏は太平洋の大波を味合わせてやるぜ! ということだ。
都会の霊園や墓地のように、管理されている場所ではないから、墓仕舞いということも出来ない。
2~3人は決断が出来ずにおったから、捨て置いて来た。
・・・また、冬にでも掃除にくるわい・・・
先に東京に連れてきている高齢な爺様婆様の元に、先祖は連れて来てやったと、そういう猿芝居を演じている。
・・・毎日毎日、日本中を飛び回って、怖ろしい男になっとるの~・・・92になる爺様は、いまや重石がなくなって、酷かった認知も消え去って、愉快なボケ老人となっている。
字も判別がつかない、朽ち果てた古い先祖の墓の真ん中に建つ家の碑にこびりついた苔と、砂と、墓石の欠片と、少々持って来て、小さくした仏壇に入れてやり、これで満足マンゾクということだ。
苔や砂は乾燥させるために、銀座の俺の店の、俺が大明神で入ってる神棚に置いてある。
猿芝居も、このくらいにオリジナルになってくると、愉快なこととなる。
しきたりや風習なんて、こうやって最初は始まっている。
親に言われるがまんまの間抜けな風習を守るなんて、ほどほどにしとき~や。
昨日は昨日で、中野に独り暮らししている身内の老婆が、帯状疱疹の後遺症の神経痛で動けないというから、買い出しと、小平霊園に代理で行き、先祖墓ふたつの掃除と草刈りをやって来てる。
みなどこもかしこも草ぼうぼう、可愛がって育てたつもりの自己満足が、そんな光景を作り出している。
墓石に凝り、墓の植栽に凝り、体裁ばかりに気を使っても、挙句の果てがこのザマだ。
大声でそこに眠る先祖に声掛けしながら・・・あんたらの子孫のザマがこれじゃ~な、草葉の陰が野放図な林の中、さぞかし残念なことだろうな~・・・と一緒に大笑いだ。
俺の行くところ、常にこうやって賑やかな笑い声が絶えない。
それを供養と言う。
テメ~ひとりの親の墓だけではなくって、あちこちに女と子供をこさえて育てた責任だけで、増えてしまった多くの身内の墓掃除までやってやってる訳で、自分への戒めにもなっている。
まだまだ、増やしてやるぜ! という、戒めだ。
皆さんの生のはるか先を生きている。
人類の誕生と死を、どう扱うのか? その答えを見せてやってる。
愛や恋やと自意識に溺れてるだけの猿の群れには、わかんね~だろうな~。
さ~て、ややこしい仕事がまた山積みになってるが、今週半ばも中国地方へと出掛けてくるわいな。
やっちもね~。